前の書き込みをしてからたくさんの連絡を頂きました。
公の場所に書き込んでいるのですから知られて当然なのですが、それでも半年に一回も書き込まない死にブログがこんなに読まれたなんて驚きです。
皆さん等しく私のことを心配してくれました。
本当に申し訳ないと思っています。

書いたことに嘘はありません。
だけども文章に乗せたほど深刻になってはいません。
今、自分の置かれた状況が面白くて、残しておきたくて、そしてせっかく書くのだったら少しは他人にも見てもらいたくて書きました。
少し曲がってはいますが、所謂創作意欲に突き動かされて書いている文章です。
なので、そこそこ楽しんでいると思ってください。



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お金がないのは本当に辛いです。
でも、それよりもっと辛いのは、お金を稼ぐ価値を持っていない自分について考えてしまうことです。
お金のことを考えているとこころがうすら寒くなっていくのを感じます。
でも、どんなに考えてもそのたった家族三人が暮らしていくだけのお金さえ稼ぎ出すことができない自分の価値を思うともっと冷たくこころがえぐれていくのを感じます。
人間50年も生きていればなんかしら経験をもっていて当然です。
私だって50年寝ていたわけではなく、それ相応の経験は積んできたつもりでした。

今の会社の部門長は私のひとつ上、隣の部の部長は同い年です。
並んで座ると明らかに格の差があるのが自分でもわかります。
私が若く見えるからではありません。きっとこれが50年生きてきた間の人生経験の差なんです。
創業から会社の成長を担ってきた人にはそれ相応の、その道でこつこつと真面目に技術を磨いてきた人にはそれ相応の風格が備わっているものです。
他人の作った会社の中で、なんの実績を上げるでもなく月々のモノをもらって生きてきた私が持っていないものです。

そもそも私は何になりたかったんだ?

大学を出た時はバブルの真っただ中でした。
私が、学友が揃って大手メーカーや銀行系の会社に就職していくのを見ながら130人の学部の中でただ一人就職先を決めなかったのは、つまらないサラリーマンになり下がりたくなかったからです。
当時は漫画家になるんだといって、原稿を書いては投稿していましたが、実のところ自分に才能がないのは薄々気が付いていました。
セブンイレブンと、ゼミの先生にお情けでもらった実験助手のバイトをしながら、芝居をやったり、音楽を作ったりしていました。
とにかくなんでもいい、人とは違った価値を持ちたかったのです。
一度結婚して少しまともっぽいフリーランスのソフト屋みたいになりました。
サラリーマンのソフト屋よりはるかに腕がいいと思い込んで調子に乗ってました。
バブルがはじけて仕事がなくなって、最初の貧乏になって、妻に逃げられて、それでも自分は特別な才能を持っている人間だと思い続けられていました。

一度底に沈んだあと、友人に拾われてゲームを作る仕事をもらいました。
今にして思えば仕事の仕方を知らなくて、酷いデスマーチプロジェクトでしたが、それでもなんとか4タイトルほど世に出すことができました。
やっぱり自分は特別な才能を持っていると思い込んでいました。

ゲーム会社と喧嘩別れして、2回目のどん底に沈んで、30過ぎてから1年ほどパチンコ屋で清掃の仕事をして、なぜか縁あって外資系の大きな会社に内勤で務められることになりました。
今にして思えばとんでもないラッキーだったのですが、当時は自分の実力だと思っていました。
会社の中でなんでだか認められ、なんでだか調子に乗っていろいろなことをしました。
そして上司の厚意と火事場のどさくさに紛れてなぜか社員として雇ってもらえることになりました。

思えばこの時が人生の転機だったんだと思います。
引く手あまたでより取り見取りだった新卒の時、土足で踏みにじった会社員という地位に落ち着くことを選んだのです。
その時友人に言った言葉を覚えています。
「俺的にはリタイアしたようなものだから。残りの余生のんびり暮らすわ。」
実際、就職するまでの十数年は一時も安心できない生活でした。
会社に就職した理由も、会社をあっせんしていたトンネル会社の経営が悪化して給料が滞るようになったからでした。
私の子供が生まれた時に素敵な木のおもちゃをプレゼントしてくれたその会社の社長は半年後詐欺罪で逮捕されました。
どこぞでだまし取った金の一部が私に振り込まれていたということで、生まれて初めて刑事さんから事情聴取をされました。

私はその時、自分の人生はゴールしたと思っていました。
この後はなんの心配をすることもなく社会人として生きていけると思い込んでいました。
就職してからの10年、人生で一番遊びました。
最初の5年はファイナルファンタジー11、後の5年はバトルスピリッツ。通してこぞうとは本当に楽しく遊びました。
その間米国本社とやりあったり、中国へ渡って仕切ったり、早期退職したあとはアジアの辺境の国の連中をまとめたり、自分ではそれっぽい経験を積んだつもりだったのですが、今レジュメに並べて書いてもただ流されてその場にあった仕事をこなしてきました、というストーリーにしかなりません。

10代のころ、ただものではない何者かになりたくて、20代のころ、社会に反抗して流れに逆らって、そうやって生きてきたはずの50の自分が、家族3人つつましやかに暮らすだけの価値も無いと気が付いて、打ちひしがれています。