じいちゃんが肺炎になりました
かかりつけのお医者さんが体温の上昇に気が付き、採血をしたところ何らかの感染が確認されたようです
今のところ口から食事をとれていますが、三歳児くらいの量を食べればいいほう、嚥下障害があるので水分はゼリー状にしなければ取れません
昭和一桁の人にしては頑丈な体だったのが、今ではばあちゃんと同じになりました
体力、免疫力のようなものはもちろんありません
このまま放置したら死にます
普通、こうなったら入院するそうです
進行性核上性麻痺の診療を受けてるところに行かなければ満足なケアは受けられないのですが、車で一時間以上かかってしまう病院です
近所の病院に掛け合って、入院の許可をもらいましたが、条件を付けられたそうです
入院したら、退院できないそうです
病院が意地悪をいっているわけではありません
病院は預かったら最後、患者を殺すことはできませんから、命をつなぐように管理せざるを得ません
喉を開け、管を挿し、心臓と肺を合理的に動かさなければならなくなります
家でばあちゃんがしているような三食口から食べさせて、抱えてトイレに連れて行くようなリスクを冒すことができなくなります
病院でケアするということは、そういうことなのです
じつは、それが正しいと思っている人はそんなにいません
もう死んでもいいんじゃないですか?もう死んでもいいですよ、と言うには責任が伴うのです
ばあちゃんは、家で看ることに決めました
緊急事態の場合にどうしますか?と、かかりつけのお医者さんに確認されて、言葉にならなかったけれども×をしたそうです
ばあちゃんは、相談しないで決めちゃったけど、よかったかな?と聞きました
私は「相談されても同じことを答えたよ」と言いました
弟も、母の決断に賛成したそうです
進行性核上性麻痺がすっかり進行しきって僅かに手をあげることくらいしかできなくなっていましたが、それでも幸か不幸かいままで死ぬような兆候はありませんでした
言い方は良くないですが、やっと「死」のトリガーが引かれました
今の命を恐らく一番望んでいないのは本人です
だからといって、死んでくださいということはできません
なんてめんどうくさいんでしょうね、命って
ちっちゃい人間が決断をしなくていいように、神様っていうのがいるんだったら、どうかうまくやってください