若い頃、ある病気が見つかり、新聞に小さく載る程度の出来事があった。

 当時は治療法が確立されていなかったが、今では珍しい病気でもない。

 

医学はすべてが解明されているわけではない。
治療法が確立されていない病気もあれば、診断が難しい症例もある。
その程度のことは承知している。
そして、誤診や医療ミスは残念ながら珍しくない。

 

だが、中でも精神医療の診断ミスは群を抜いて多い。

投薬の判断が、その薬の作用やリスクの重さに見合っていない場面は少なくない。
本来であれば、慎重な検討や経過観察が必要なはずの薬が、あまりにも簡単に処方されてしまう。
これは私自身の経験からも強く感じるところである。
診断はあまりにも曖昧で、医師によって言うことが変わることも少なくない。
そして一度つけられた病名が、その先の人生を大きく左右してしまうこともある。

 

さらに厄介なのは、文章や発言の中に、特定の人物にしかわからない情報や描写をさりげなく混ぜ込むやり方だ。 

外から見れば単なる一般論や日常の話に見えるが、当事者には自分を指しているとわかる。

 直接は名指しせず、証拠も残さず、相手の心を揺らすことだけを狙う、そんな方法だ。

そういうやり方に頼る姿勢に、その人の性根が透けて見える。

 

もちろん、こんなことを書けば、あの世界では“あの診断名”を貼られるかもしれない。 

だが、ここは診察室ではないし、二度と関わるつもりもない。

 もし将来、別の病で自分が自分でなくなる日が来たら、そのときは好きにしてくれればいい。

 

ただ一つ思うのは、 異論や否定的意見に対して、表情がわずかに曇る。

 こんな反応を見せるのは、医師としてどうなのだろうか、ということだ。

 

そこに、本質が表れている気がする。