何もしなくてもいいよ。って言われると
妙に不安な気持ちになるのはなぜだろう?
「何もしなくていい時間」こんな素晴らしい言葉は
忙しい生活の中で眩いばかりの光を放つ希望。
しかし、何もしなくてもいいということは
裏返すと何かをしなければならないということだ。
例えば
教科書を読まなければならない、
テスト勉強をしなければないらない、
このような外部から与えられた「しなければならないこと」
というのは僕自身にとって特に苦痛には感じない。
そこには明白な目標があるからだ。
なぜ教科書を読むかというと
その教科、学問、分野に対しての理解を深めること
なぜテスト勉強をするかというと
そのテストでいい点を取るため、
または
その教科で学んだことを反芻することによって
その教科に対する理解を深めること
これら与えられた「しなくてはいけない」ものは
得てしてこのような明白な答えを持つのだ。
「しなくてはいけないこと」に答えがなければ
それは「しなくていいこと」も同然だ。
なぜなら「しなければいけないこと」に答えがなければ
結局人は「何を」していいか分からないからだ。
そして人間の生活の中に溢れた
「しなければならないこと」は
外部と自分の関係を成立させる上で必要不可欠なもの。
「しなければならないこと」を介して外部と接することで
自分というに人間は成り立つのだ。
したがって
毎日の生活の中でこのように外部から附与された
「しなくてはいけないこと」に晒されいる自分は
いざその外部からの附与物がなくなったときに
自分の存在をひどく曖昧に感じることがある
自分は周りから何も求められず
自分は不必要なのではないか、と。
自分とは独立したものであって
何者にも属していないのではないか、と。
そのような気持ちを払拭するために
人は「なにもしなくていい時間」の中でも
何かをしなければならないのだ。
自分の存在する意義を失わないために。
結局は「何もしなくていい時間」の中で
人は「何か」をしているのだ。
「何」をするかはその人によって違うが
僕はその問いに対する答えを持ち合わせていなようだ。
そんななかで僕は不安になり
「何もしなくていい時間」の中で
必死に何か「しなければならないこと」を
探しているのだ。
後に気付く。
この行為こそがその「何か」ではないかと。
要するに
暇ってこと。
で、時間を持て余してるんですよー笑
あーちょっと時間つぶしになった。笑
今日のランニング 28’27”17
足の方は今日はそれほど痛くはなかった。
自分に負けたってことだよね。
いかんいかん、気合が足りん。
腹筋マシーンで腹筋をいじめよう。
そして小説を読もう。
じゃ
ちょっと自分を苛めてくる!!!