ビワハヤヒデと3度戦って3度とも敗れたネーハイシーザーだったが、それでも彼は諦めなかった。古馬中長距離戦線に君臨するビワハ
ヤヒデを倒さなければ、ネーハイシーザーの栄光はありえない。ネーハイシーザーにとって、打倒ビワハヤヒデを断念することは、戦いに生きるサラブレッドの
宿命を放棄することにほかならなかった。
宝塚記念の後、ネーハイシーザーはビワハヤヒデにならったかのように、夏も放牧には出ず、連日の調教で地力の強化に努めた。布施師はこの年の夏競馬を北
海道で過ごしたが、夏は出走予定のなかったネーハイシーザーも北海道へと連れていき、自らの管理下で鍛えあげたのである。涼しい北の大地で、ネーハイシー
ザーはたくましくなっていった。
1997年2月には定年によって勇退することが決まっている布施師にとって、ネーハイシーザーは最後の大物になるかもしれない、という予感があった。こ
れまでに皐月賞、日本ダービー、菊花賞の牡馬クラシック三冠完全制覇を果たしていた布施師だったが、天皇賞は勝ったことがなかった。ネーハイシーザーの秋
の大目標となる天皇賞・秋は、自分の調教師生活の中でも最後の目標だった。大正生まれの老伯楽にとって、「天皇賞」「盾」という響きは、戦後世代には想像
もつかないほど強い魅力を持っていた。彼は、自分自身の調教師生活の総決算をネーハイシーザーに求めたのである。