ネーハイシーザーが引退したころ、競馬界の時代の流れはより大きなものとして競馬場、馬産地を呑みこんでいった。競馬場は新時代の輸
入種牡馬たちの産駒によって席巻され、さらに彼らの登場と時期を同じくして一般化した種牡馬の多頭数交配の一般化は、ネーハイシーザーの生産者である大道
牧場の人々がかつて危惧したように、馬産地全体からいわゆる「マイナー血統」を駆逐していった。
そんな中で、天皇賞馬ネーハイシーザーも、種牡馬としての見通しは決して明るいものではなかった。ネーハイシーザー自身の現役時代の実績は申し分ない。
天皇賞・秋をはじめとして中距離重賞を5勝し、しかも日本レコード2回を含む3回のレコード勝ちも記録しており、ネーハイシーザーが現代競馬で最も強く求
められるスピードを備えた名馬だったことは、否定すべくもない。しかし、父サクラトウコウというネーハイシーザーの血統は、まさに馬産界から駆逐されんと
している「マイナー血統」以外の何者でもなかった。
それでも供用初年度のネーハイシーザーは、83頭もの種付け頭数を確保した。この数字は人気輸入種牡馬並みの数であり、数だけ見れば大成功の部類に入
る。ネーハイシーザーとの種付けを希望する牝馬が予想以上にたくさん来たため、同じスタッドで種牡馬をしていたものの人気が出ずに不遇をかこっていた天皇
賞馬の先輩スーパークリークは、ネーハイシーザーのためのアテ馬ばかりを務めさせられる羽目になり、担当厩務員が
「実績はこっちが上なのに」
と悔しがるほどだった。
しかし、ネーハイシーザーの種牡馬としての人気は、実績でも血統でもない別の理由によるものだった。ネーハイシーザーの初年度の種付けにあたっては、と
にかく繁殖牝馬の数を確保しようという狙いから、種付け料が無料とされていた。これは、これから人気の輸入種牡馬と同じ舞台で戦わなければならないネーハ
イシーザーのために、せめて配合頭数くらいは確保してやろうというスタッドの親心だった。ネーハイシーザーのもとには、「種付け料無料」にひかれた繁殖牝
馬たちが大量に集まってきたのである。
奇策が功を奏し、初年度は大成功となった種牡馬ネーハイシーザーだったが、奇策はあくまでも奇策であり、これをずっと維持するわけにはいかなかった。種
牡馬を繋養することは、それだけでかなりの経費がかかる。その経費は、種付け料の中から捻出しなければならない。そこで、ネーハイシーザーの翌年の種付け
料は50万円に設定された。
すると、その途端にネーハイシーザーの人気は急落した。前年83頭集まった繁殖牝馬の数が、この年は13頭にまで激減したのである。結局のところ、ネー
ハイシーザーの実績やスピードは、時代の流れの中で、種付け料無料の価値しかなくなってしまったというのだろうか。これが、古馬の最高峰である天皇賞を制
した馬に対する悲しい現実だった。