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春分の日が過ぎ、夏至に向かって日はこれから長くなり夏は確実にやってくる。今年も暑いんだろうなぁ。本人の意思とは関係なく時間はただ過ぎ去っていく。

先週はホワイトデーがあった、その風習は日本発祥だという。

バレンタインデーで貰いっぱなしは潔くないというのであろうか、そんな日本的美学のような意識と、お菓子メーカーの戦略が一致したのであろう。

いずれにしても男性は気配り或いは見栄が大事という事なのだろうか。

 

ホワイトというと思い出す女優がいた、パール・ホワイト。サイレント時代に一世を風靡した活劇女優だ。と、やたら強引な繋ぎではある。

ホワイトの名前だけは有名なのだが、古典すぎて断片的に観てはいても、映画そのものを観たことはない。

 

彼女の一代記をコメディタッチで映画化した作品が「ポーリンの冒険」だった。ホワイトの活劇シリーズの主人公名が題名になっている。もちろん映画なので事実そのものではない。

黄金時代のハリウッド女優の一人、ベティ・ハットンがパール・ホワイトを演じた。元気いっぱい爆弾娘のようなハットンの持ち味が存分に生かされた作品だった。

 

「アニーよ銃をとれ」や「地上最大のショウ」などの楽しい作品に多数出演して人気者になったハットンだが、1950年代の中ごろから映画界を離れていった。

ほぼ忘れられ、噂になることも無くなった1970年代中頃にベティ・ハットンが生活のために家政婦をしているというニュースが流れた。

なぜそうなったかの経緯は定かではないが、それを知った友人・関係者の応援もあり、やがて舞台に復帰し晩年は主役でこそないものの、舞台女優としての生活を得ることになったようだ。

 

一時は生活苦に陥ったハットンではあるが86歳で没した。

一方パール・ホワイトはトーキー映画には馴染めなかったようで、サイレントと共に消えていったが、全盛期に蓄財を成し生活は安泰だったようだ。

しかし撮影中に痛めた身体に苦しめられ49歳の若さで没した。

いわば対照的ともいえる生涯を送ったように思える二人だが、当然ながら幸福度の尺度は当人しか知りえない。

 

ある日、ネットタイトルをスクロールしていると、パール・ホワイト、カール・ドライヤーという文字が目をかすめた。カール・ドライヤーというとサイレントからトーキー初期の映画監督で「吸血鬼」が有名だ。この二人が組んだ作品があったのかと画面を戻してみた。

それはパールホワイト色のカールドライヤーの製品紹介だった。