アメリカでは。帰還兵の多くの方がなってしまうと聞いてます。
でも日本でも多分にありますよね、
日本人は我慢強いから、「辛いのは自分だけではない」と思ってしまい、一人抱え込んでしまい、苦しんでいる人って沢山いる様な気がする。 言葉で安心する事もあるけれど、この様に動物との無言のコミュニケーションで救われる事もありますよね。
前に真冬の北海道で、馬の牧場で馬の世話をした事があり、食事が出来ない、先天性の病気を持つ仔馬がいて、そこの牧場は基本的に放牧なので、その仔馬も母馬の側にいつもぴったりくっついていた。
他の馬がその仔馬を苛めようとすると、直ぐに母馬が追い払う、毎日決まった時間に ザワザワと山から みんなご飯を食べに降りてくるのだけど、
ある日母馬と仔馬が降りてきていない、次の日も降りてきていない・・・・
雪の中探しに行ったら、案の定仔馬は息絶えていて、その側を母馬は離れようとしない。
私が近づいたら、鼻先で仔馬を起こそうとしたりして、でもこのまま母馬が食事に降りて来ないと、極寒の北海道、直ぐに弱ってしまう・・・・
「そうか・・・死んじゃったね・・・つらいね・・・でも、ご飯食べに行こうよ。ねっ 行こう」と母馬の横に立って話しかけたけど、母馬は動かないから、ご飯を持ってくるか・・・と下に降りてご飯を抱えて戻ろうとしたら、母馬が降りてきた。
それから何日か後 私がとてもへコンテでいて・・「あ~私あかんたれだ・・・根性無だあ~・・・」とブツブツ言いながら、柵越しに馬達を見ていたら、いつも私をからかう馬がきて、何時もの様に「撫ぜろ!」と頭を突き出してくる。ボリボリと掻いてあげながら、自分にくやしくて、涙が出てきたら、
あの母馬が柵に来て私を じ~と見ている。その目が私には 忘れられない。 「撫ぜろ」と言う馬とは違った目で 私を じ~と見ていた。
思わず「ありがと」と答えてしまいました。あの瞬間とても癒されたのでした。
動物達のこの言葉の無いコミュニケーションは 本当に凄いエネルギーを感じます。
日本人は我慢強いから、「辛いのは自分だけではない」と思ってしまい、一人抱え込んでしまい、苦しんでいる人って沢山いる様な気がする。 言葉で安心する事もあるけれど、この様に動物との無言のコミュニケーションで救われる事もありますよね。
前に真冬の北海道で、馬の牧場で馬の世話をした事があり、食事が出来ない、先天性の病気を持つ仔馬がいて、そこの牧場は基本的に放牧なので、その仔馬も母馬の側にいつもぴったりくっついていた。
他の馬がその仔馬を苛めようとすると、直ぐに母馬が追い払う、毎日決まった時間に ザワザワと山から みんなご飯を食べに降りてくるのだけど、
ある日母馬と仔馬が降りてきていない、次の日も降りてきていない・・・・
雪の中探しに行ったら、案の定仔馬は息絶えていて、その側を母馬は離れようとしない。
私が近づいたら、鼻先で仔馬を起こそうとしたりして、でもこのまま母馬が食事に降りて来ないと、極寒の北海道、直ぐに弱ってしまう・・・・
「そうか・・・死んじゃったね・・・つらいね・・・でも、ご飯食べに行こうよ。ねっ 行こう」と母馬の横に立って話しかけたけど、母馬は動かないから、ご飯を持ってくるか・・・と下に降りてご飯を抱えて戻ろうとしたら、母馬が降りてきた。
それから何日か後 私がとてもへコンテでいて・・「あ~私あかんたれだ・・・根性無だあ~・・・」とブツブツ言いながら、柵越しに馬達を見ていたら、いつも私をからかう馬がきて、何時もの様に「撫ぜろ!」と頭を突き出してくる。ボリボリと掻いてあげながら、自分にくやしくて、涙が出てきたら、
あの母馬が柵に来て私を じ~と見ている。その目が私には 忘れられない。 「撫ぜろ」と言う馬とは違った目で 私を じ~と見ていた。
思わず「ありがと」と答えてしまいました。あの瞬間とても癒されたのでした。
動物達のこの言葉の無いコミュニケーションは 本当に凄いエネルギーを感じます。