すっかり放置…


いろいろ考えるんだけどね…



最近は、


佐久穂町で、テレビ的な事出来ないものかと

真面目に考えてます…



こればっかりは、一人じゃ何とも…


ルイーダの店って

どっかにねぇかな?


上区中尾地区にある鳥居・・・


佐久穂草 (仮)-味噌塚外観

この企画をやろうと思ったきっかけでもある

なんだ!?これは!?と・・・


いろいろ調べた結果  ”味噌塚”だということが わかった

手元の資料によると

戦国時代に 味噌を隠して 土盛りしたのではないか といわれているらしい


・・・。


それだけかい!?ってことで 

じゃ じゃ じゃあ 自分なりに 考察していこうじゃないか


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佐久穂草 (仮)-味噌塚鳥居

まず鳥居

結構 おんぼろだ・・・


形からして 明神鳥居のような感じもするが

神明系のような感じもする


西向きに立っていて

中にある石祠とは 違う向きになっている


西向き・・・酉の方角


酉は 「緧({糸酉})」(しゅう:「ちぢむ」の意味)で、果実が成熟の極限に達した状態を表しているとされる。        

(wikipediaより)


果実の成熟・・・ 味噌と関係があるのか?


と いろいろ考えたが

結論として ただ単に 道に沿って作ったと思われる



中に進むと 南向きに 石祠が2つ



佐久穂草 (仮)-味噌塚石祠

祀ってあるのは 山の神 と 諏訪明神 らしい

どっちが何なのかは わからんかった・・・中身は 空っぽだったし


ただ 資料によると 山の神の方に”永禄六年”とあったらしいが

確認は出来なかった


永禄六年・・・1564年

建立されたのが1564年だとすれば 

この地に祠を建てようとしたのは それ以前のはず


1560年には 桶狭間の戦いがあった

ってことは 武田信玄が活発に動いていた頃


上区本郷地区にあったとされる福田城の指示で

戦に備えて 味噌を出せと言われた住民が

味噌を隠したってことも 考えられなくはない・・・


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現場で思いついたのは この位のことで

もう少しなんかねぇかと wikipediaで調べてみた


味噌塚の”塚”とは なんだ?

(いろいろ書くのは面倒なので 簡単に・・・)


味噌塚ということなので 墓ではない

自然崇拝 や 祀り・感謝 の意見での塚ということか


昔の味噌

現代のような ペースト状の味噌ではなかった


ヌカに 大豆や麹を加えて醸造させたもので

ポロポロとしたものだったらしい

調味料としてではなく 保存食として食べられていた

戦国時代には 兵糧としても使われた


ん~ そう考えると

味噌を隠した説の信憑性がアップするなぁ


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あと 太平洋戦争前までは町内でも

味噌祈願が行われていたらしいが


そういえば 韓流ドラマ「チャングムの誓い」にて

味噌を祀る儀式 ・ 松の花粉が 味噌の味を良くする

なんて シーンがあった


この味噌塚も 松が何本か立ってるし

味噌の味が 良くなるようにと味噌祈願が行われていたのか・・・


戦国時代以前から 味噌祈願の場所だったとすれば

そんなところに 味噌隠したってバレバレなような気もする・・・


味噌を隠した説の信憑性がちょっとダウン・・・


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こんなとこか


結局

結論は出ないということになるんだが

結構楽しめたってことでいいじゃね~かい?








 



さささぁ 一発目は 双子池


佐久穂草 (仮)-双子池

観光スポットは やらないと 言っておきながらも・・・


まままぁ いいじゃないか


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原生林の中に 雄池と雌池がひっそりと寄り添りそうようにたたずむ双子池


その様子から 


「縁結びの池」「雨乞いの池」として信仰の対象になっている・・・らしい


山岳信仰の一種だと思うが


私は あんまり聞いたことがなかった


また、伝説として


”与七郎とお染の悲しい恋の物語”や”二子池のぬし”といったものが残されている

(詳しく知りたい人は ”双子池 伝説”で検索)


あと 雄池の水は飲めるけど 雌池の水は飲めない(逆?)

なんてことも 幼いころ聞いたことがある



雄池と雌池の間には 山小屋があり宿泊出来るようです


気分は まるで ”ブンブンクンバン”・・・

どうでしょうファンの方は 行ってみてはいかがでしょう?



話は反れて 道のはなし


鷽の口~双子池に至るまでの道は ”諏訪道”といわれ

大河原峠~諏訪北山新湯・滝の湯~茅野へと通じる古来よりの峠道らしい


一説では 諏訪大明神絵詞の”おほとまり”であるとも云われている

また 未確認だが 修験道だったという話もある


石器時代には すでに道が出来ていたんだろうか・・・

いつ頃から つかわれなくなったんだろうか・・・


今後の研究課題


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現在は とんでもねぇ道になってます


この秋に 鷽の口から行ってみたのですが


もちろん未舗装 途中川をわたり  

雨水で削られて川底のような道を通り 

鹿と並走しながら やっと双子池に着けます


佐久穂町から 双子池に行くんであれば

軽量級のオフバイクがいいでしょう


車は 絶対ムリです

パジェロでもジムニーでもムリです


最終手段は 気合いで歩いて登るしかありません




行くのは大変ですが

双子池は とても静かで 時間がゆっくり流れる所です

一回 足を運んでみてはいかがでしょう?