blues【blúːz】 グッド・ナイト・ベイビー 18-2(2)ピーピーピーコーヒーの出来上りを知らせるデジタル音が鳴って、キャビネットに寄り掛かってぼんやりしていた松本は、フッと我にかえる。窓の外に目をやると、月が見えていた。今日は月が出ていたのかと、しばらく窓の外を眺めていると、ドアが開く音がした。内田が風呂から戻ってきたようだ。この前置いていった、自分のTシャツとスウェットパンツを着ている。「丁度、コーヒー出来たよ」松本が声を掛けると、内田はパタパタと走って来た。マグカップにコーヒーを分ける松本の隣に、ピッタリと寄り添うように立つ。髪は乾かさなかったようで、濡れたままで、首からタオルをかけている。「髪乾かさなかったの?」「うん」カップをひとつ内田に渡して、「牛乳、あっちにある」ソファーのテーブルの上の牛乳パックを指差す。コーヒーメーカーのスイッチを切って、ソファーに移動する。途中、サイドボードの上のリモコンを取って、濡れた髪の内田が風邪をひかないように、設定温度を上げる。ついでに、引出しを開けて、中から塗り薬を取り出した。先にソファーに座っている内田の横に腰を下ろすと、「ウッチー、顔貸せ」言うや否や、内田の顎を掴んで自分の方へ向かせる。内田は驚いて、表情を硬くした。「喧嘩したの?」懐かしいような匂いのする塗り薬を塗りながら、松本が問う。「…うん」内田は眼を伏せて、頷く。長い睫毛が、影を作る。「殴られたんだ?」「…俺も殴った」「そっか…」薬のふたを閉める前に、「他に怪我は?」と、問う松本に、「ない」と、内田は首を横に振った。「…よかった」内田の頭を抱えて、濡れた髪にキスをする。「俺…友達、ひとりいなくなった」内田が、ポツリと話し出す。松本は、内田の肩を抱えて、自分の方へ引き寄せる。「俺ね…木村のこと、仲が良い友達だと思ってたんだ。でもさ…木村は、そうじゃなかったみたいで…」松本は、「何かあったのか?」というか「何かされたのか?」と、先に質問したいのをじっと堪えて、内田の次の言葉を待つ。「…なんかさ、俺に同情してただけみたい」「同情?」「両親がいなくて可哀想だから。…祖母ちゃんにも置いていかれて」「別に、置いていったわけじゃないだろ」納得いかないというように、松本が言葉を挟む。「でも、木村は、そう思ってるんだよ。…祖母ちゃんが遠くに行っちゃったから、代わりに頼れる人を探してるんだって言われたし」松本は、溜め息をつく。自分に言ったことと同じことを、内田にも言うとは、引出しの少ない奴だと、少し失望した。「両親が死んじゃったのは、仕方がないし…皆と違うところはいっぱいあるけど…俺、そういうの気にしないようにしようって…祖母ちゃん心配するから。…でも、なんか…友達に面と向かって、可哀想とかって言われると、やっぱ、ショックだ」片親で育った自分にも、少なからず同じ思いがあると、松本は感じる。内田の思いが解るだけに、「やっぱり、ショックだ」と言う内田に、遣る瀬無い気分になる。「ウッチー、頑張ってたもんな」松本は、内田が以前見せてくれた、ハゲがある辺りを撫でた。内田は、自分がした話を覚えていてくれたのかと、松本の仕草に胸がキュッとなった。松本は、いつも、ポイントを押さえて優しい…「祖母ちゃんの代わりが欲しい俺に、松本さんは、つけ込んでるんだから、ちょっと優しくされて、その気になるなって…自分は、お前が可哀想だから、心配してやってるんだって…木村が」内田は、悔しさを思い出したのか、声を詰まらせる。「俺は、そんなつもりないのに…。俺のこと、女みたいな言い方して…俺のこと、女みたいに思ってたんだ……」“女みたい”は内田の地雷だ。何年来の友人だか知らないが、その辺を、木村は察することはできなかったらしい。両親がいないことも、口に出さないのが証拠に、内田はとても傷ついているのだろうことも、木村は想像すらしなかったのだろう。それとも、自分は内田にとって特別な人間だから、何を言ってもいいと思っていたのか。そうだとしたら、その精神構造が気持ち悪いな…と、松本は思った。内田は手の甲で、唇をゴシゴシと擦っている。あまりに何度も擦るので、松本は内田の腕を取って、止めさせる。「唇、腫れちゃうよ」「…」「…見せてごらん」「…」「ほら」松本は、内田の顔を自分の方に向かせる。唇は赤くなっていて、さっき薬を塗った唇の端の傷からは、血が滲んでしまっていた。「…何かされたか?」松本が問う。自分でも、吃驚するほど優しい声色だった。内田は、松本の顔をじっと見つめる。決心したように、黒い瞳が揺れた。「…キス…された」小さい声で言って、視線を逸らす。「ここに?」内田の赤い下唇を、親指と人差し指でつまんで、離す。内田は頷いて、そのまま項垂れる。「ここも?」引っ掻いたように赤くなった首筋を撫でた。「…木村に、女にするみたいにされたんだ。…凄く嫌で、暴れて、少し…殴り合いになって…」項垂れたまま、内田は話す。松本は、木村の所業にグッと奥歯を噛みしめた。「なんか、いろいろ…裏切られたみたいな気持ち」「うん」松本は、内田の髪を撫でて、旋毛の辺りにキスをする。静かな部屋の中。内田は俯いたまま、松本に寄り掛かるように少し体重を預けている。黙ったままで。だから、松本も、黙ったままでいる。「馬鹿にすんなって言えばよかった」内田の声のトーンが、少し軽くなる。松本に、一番言い難くて、言いたくなかった、キスの件の話ができて、少しすっきりしたのと、松本の体温を感じながら優しく撫でられて、気持ちが落ち着いてきたようだ。こういう、内田の子供のような単純さが、愛おしくて堪らないと、松本は感じる。大切に守っていけたらいいと、心から思う。「木村君はさ、ウッチーのことどう思ってるのかな?」話の核心を探るために、ちょっとストレートかもしれないと思いながら、それとなく水を向ける。「馬鹿にしてる。自分の方が全てにおいて優位だと思ってるから」完全に木村を否定した。気の毒な奴だ。松本は、「ふっ」と、笑いとも、溜め息ともつかない息を短く吐いた。どうやら、愛の告白はしなかった…いや、できなかったらしい。自分から「好きだ」と言ってしまったら、優位に立てなくなるという、プライドが邪魔をしたのが容易にわかる。きちんと自分の想いを告げていれば、少なくとも、嫌われずには済んだに違いないのに。馬鹿な奴だ。敵に塩を送るつもりはないが、松本は、少しだけフォローを入れる。「木村君はさ、多分、寂しかったんじゃないか?ウッチーが、自分といる以外の場所で、楽しそうにしてるから。友達を取られたみたいな気持になったのかもね。子供みたいなヤキモチでさ」木村のためじゃなく、内田のためにだ。内田が木村の好意に気付いていて、遠ざけようとするなら、それはそれでいい。でも、木村の好意に気付いていないなら、せめて、自分が嫌われていると思わないようにしてやりたい。「俺からしたら、ヤツだって、まだまだ子供だよ」松本が言うと、「おじさんだもんね」内田が言った。軽口を叩けるくらいに、元気が戻って来たらしい。「この口が言うか?」松本は、内田の赤い唇を摘む。指を離して、そのままキスをしようと顔を近づけたら、「…あ…えっと…」と、内田が顔を後ろに引いた。「どうした?」「…気持ち悪くない?」「何が?」「だって…俺…キスしたじゃん……」木村とキスをした自分の事を、松本が気持ち悪いと思うかもしれないと、気にしていたから、さっき、顔を覗き込んだとき、俯いたのかと合点がいった。「俺だって、誰かとキスしたことあるぜ?ウッチーは、俺のこと気持ち悪いか?」内田は力強く首を横に振る。気持ち悪いはずがない。「気持悪いわけないよ。…でも、嫉妬はする」松本は安堵したようにフッと笑い、自分のおでこを内田のおでこに、コツンとぶつけた。「俺、ホントは、ヤツのことぶっ飛ばしたい」思いがけず、内田は松本の顔を両手で挟み、唐突に、自分の唇を松本の唇に、ぷちゅっとぶつけた。松本は驚いて、目を丸くした。内田は、急に恥ずかしくなったらしく、顔を背ける。「あーっっ今のなし」松本から身体を離そうとするのを、松本がガッツリ引き寄せ、抱きしめる。「今のなしなら、もう一回やり直し」「恥ずかしいから、もういい。もうできない」内田からの初めてのキスかもしれない。ほんの数秒、掠ったくらいのキスだけど、想いは充分伝わった。松本には、自身がある。自分がこんなに愛おしく想っているのだから、内田だって想ってくれていると。
松本内田妄想劇場
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