今日おとうさんと離れのうちで午後の時間を過ごした。


 台風が近づいているため、外はザーザー降りの雨と激しくなってくゆく風。


 おとうさんは長椅子に腰かけて、ハリウッドB級の災害ものの映画を見ていた。

 (洪水とか、宇宙人襲来とか、ベタな地球存亡の危機がすき。)

 全然面白そうじゃなかった。

 リスキーなことが大っ嫌いなのにどうして怖いのばっかり見るんだろ。


 でも、久しぶりに離れでゆっくりできたからか、表情が柔らかくのんびり寛いでいた。


 私は部屋を片付けて、洗濯物をして、ミルミルを飲んだ。


 クラシックのCDをかけて家事をしたら、ほかの部屋でおとうさんはリラックスしているし、私はちゃんとうちのことをやってるし、それぞれに有意義な時間を過ごしている気がして、しあわせを感じた。


 結局ゆっくりしたのは1時間弱で、ばあちゃんを1人にできないから、そのあとはうちに帰った。


 車に乗り込んだ時には父の顔は眉間に皺がよっていて、コセコセおじさんに元通り。

 いつの間にかここにたどり着いた気がする。


 波乱万丈な日々ではないけれど、20代前半はすごく心に波があってコントロールが難しかった。


 ちょっと楽になったかな。


 相変わらず山に囲まれた田舎で子供に囲まれてのんびり暮らしている。


 この毎日にが続けばいいのにと思うこともあれば、


 変化が欲しいと騒ぎたくなることもある。


 だけど年をとったからか、自分から変化を起こそうと躍起にならなくなった。


 いいのか悪いのかわかんないけど、それなりにこんな毎日を「まんぞく」と思えることもあるから、


 こうして暮らしている。

遠方にいる友人からメールがあった。

要件は私が送った手紙が着いたとのこと。



文面には、「手紙が着いた日には、ちょっと落ち込むことがあって、すごく励まされました」とあった


「ちょっと落ち込むこと」という表現が彼女らしいなと思った。



その「こと」がどんなものだったかは分からない。



ただ、最も適切な表現だったしても、「ちょっと嫌なこと」とか「ちょっと辛いこと」といった言葉はきっと選ばないだろうなぁ、とふと思った。



受け手まで配慮したことばを選べるひと。

自分と世界との間に中立な目線を持っているひと。

でも、ちゃんと自分を持っているひと。



魅力的なひとです。