今を戦えない者に、次や未来を語る資格はない。
思いついたプレーの中でいつも一番難しいものを選択している。
PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。
PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない。
私はサッカーに恋をした。
私の知っているドーピングはひとつだけ、それは“努力”だ
以上、R.バッジョ
そこにゴールがあるから蹴るんじゃない、俺が蹴るからゴールがあるんだbyバティストゥータ
スタンドに足を運んでくれるサポーターを裏切る権利など、我々にはないのだbyベンゲル
今日の試合が雨上がりのピッチならば、僕の左足で虹を描いてみせるよbyレコバ
偉大なフットボーラーのリストにバッジョを加えるつもりはないよ。
なぜなら彼は別の惑星からやって来た宇宙人だからだ。byキエーザ
自分の理想は、背番号19番。ストライカーとしての9番と、ゲームメーカーとしての10番、
その両方を持った選手になりたいby小倉隆史
何でサッカーをしているんだろう
どうして苦しさに耐えているんだろう
それはサッカーを愛しているから
サッカーを心から楽しめているから
君はどうだ
サッカーが楽しいかby小野伸二
ゴールキーパーの『役立たず』と『英雄』は紙一重byカーン
誤審? 関係無い。全部俺が止めればいいんだbyカーン
もっとサッカーが上手くなりたいです(引退会見で)木村和司
ゴールは、ゴールネットへのパスだ。動かない反面、強弱、コースなどわがままな面もあるbyジーコ
人々を楽しませたい。それはいつも考えている。そうすれば自分が楽しめるからbyジダン
バッジョ?筆を執っている時のバッジョは”ヘボ画家”に見える。
しかし、その作品を目の前にするとラファエロのタッチを感じるbyサッキGM
PKよりFKの方が簡単だ。何故なら壁が蹴る瞬間をさえぎってくれるbyゾラ
それでもあなたは偉大だ(W杯でバッジョがPKを外して)byタファレル
サッカーの基本は美しさと豪快さだbyストイコビッチ
10番は完璧でなくてはならないbyストイコビッチ
世界の中で自分がどの位置にいるのか、確かめたい(ペルージャ移籍時)by中田英寿
僕に足りないものがイタリアという国にあると思うので、それを見つけにいきたいby名波浩
最も美しいサッカーとは0-0もしくは相手選手のミスによる1-0であるbyマルディーニ
僕が鹿島に移籍した理由の一つは鹿島に入れば本田泰人にマークされなくてすむからですbyビスマルク
完ぺきなチームとは明神が8人いるチームだbyトルシエ
ストライカーにとってゴールこそが人生なんだbyインザーギ
もしこれが勝利なら、俺はずっと敗北者でありたい。
もしこれがサッカーなら、俺はこのスポーツを嫌いになるだろう。
もし彼らが韓国人なら、二度と会わないことを神に望む(日韓W杯韓国戦後)byトッティ
サッカーは人生と同じだよ、いつも上手くいくわけじゃないbyベッケンバウアー
サッカーは魔法を使って、すべての人々を夢中にさせるbyペレ
ポルトガル代表である限り、フィオレンティーナにいる限り、
ルイ・コスタが王冠を手にすることは無いが、ファンタジスタの背中には天使の羽が生えている。
それだけで十分だbyルイコスタ
勝ちたければパスを回してくれbyプラティニ
ワンタッチこそ最高の技術だbyクライフ
フットボールの神様は、いつもちょっとだけ僕にやさしいbyロナウド
人生とは旅であり、旅とは人生であるby中田英寿
オシム語録
限界には、限界はありません。
限界の定義は何だと思いますか。
限界は個々の選手の目標で、
限界を超えれば、
次の限界が生まれるのです。
「不可能」とは、自分の力で世界を切り拓く事を放棄した、臆病者の言葉だ。
「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳にしかすぎない。
「不可能」とは事実ですらなく、単なる先入観だ。
「不可能」とは、誰かに決め付けられる事ではない。
「不可能」とは、可能性だ。
「不可能」なんて、ありえない。
今日唯一良かったことは、
最低のプレーをした選手が全員だったということだ。
あまり指示を出さないジーコ監督を「放任主義」と言った人もいるようだが、
何も言わない方が、時には言葉をより伝えることもあるものだ。
アイデアが存在する間は常にアクティブになる必要がある。
同じことを繰り返すようになると人間は終わりだ。
今の私には仕事なしの状況が考えらない。
金のためではない。いつも金は私にとって重要じゃないことだ。
フォワードをひとりしか置かなくても全員で攻めれば攻撃的にもできる。
日本人はシステム論議が好きらしいが、
システムは保証でしかないことを理解したほうがいい。
システムの奴隷になってはいけないのだ。
私には、理想とするサッカーはない。
「こういうチーム」と決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。
完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。
日本では選手が気楽過ぎるんだよ。
プレーし、勝つ。もちろんオーケー。
プレーし、0-3で負ける。オーケー。
プレーし、0-8で負ける。それでもオーケーなんだ。
何をやっても周囲から批判されることがない。
2点をとったのは佐藤でも勇人でもなく、
ジェフというチームが挙げたものだ。私はそう考えている。
日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。
コーチが本や紙を見ながらやっているうちに選手には違う現象が起こっている。
その現象を見てコーチが判断する。サッカーはそういうスポーツ。
人生は100年も続かない。選手のサッカーキャリアなど短いものだ。
その短い選手生命の中で、何か歴史に残ることをしよう。
サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。
サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。
いろいろな 情報やビジョン、アイデアがあり、それらが全部混ざって成り立っているものだ。
本当のファンというのは、
いいときばかりではなく、負けたりしても足を運んでくれて、応援をしてくれる人を指す。
そういう意味では、ファンもチームが何をできるかしっかり見極めてほしいい。
決して負けたり引き分けたりしたいわけではないのだ。
なぜ、そのような結果になったのか、現実を見つめてほしい。
選手のメンタリティを変えるには、監督だけでなく周囲の人々による力も必要なのです。
普通の監督なら、お金がないクラブは嫌いだろう。
でも私は、自由を与えてくれるクラブが好きだ。
大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、
一日一日を大切にすること。
私にとって、サッカーは人生そのものだ。人生からは逃げられない。
ぜひ試合を見に来てください。
そこではきっと、素晴らしい出来事が待っています。
試合は、負けることがあるものだ。勝利は保証されたものではない。
相手を尊重すれば、いい結果につながる。
どんな強いチームでも慢心したり、ミスを犯せば負ける。
私にも経験があるが、監督がいくら油断してはいけないと言っても、
目が覚めていないような状態になる。
いつもいっているが、私の感想より観客の感想のほうが大事なんじゃないかな。
選手だって私のためにプレーしているわけじゃないんだからね。
サッカーの法則で、良いプレーをしているときには勝てないものだ。
集中を続けられない選手は、これから試合に出場するのが難しくなるだろう。
それだけ重要なことであり、ものすごく大事な要素なのだ。
例えば近代サッカーでは、練習試合でも勝たなくてはならない。
そういうプレッシャーに耐えられるかがポイントであり、
それはウチだけでなく日本全体の問題ともいえる。
賢い=できるだけ経済的という意味だ。
自分勝手なプレーをせずに、とにかくシンプルなサッカーを心がける。
日本にも多かれ少なかれ賢い選手はいるが、例えば先が読めるような選手が真のクレバーなプレーヤーといえるだろう。
5秒先を読めれば40メートルのダッシュをしなくてもいいはずだし、力を蓄えられる。
監督というものは、常に何がうまくいっていないかを探さないといけない。
私はブラシのようなもの。常にホコリをはらうことをしないといけないのだ。
グラウンドへ出るのに勇気を持たない選手はいないだろう。
たとえいたとしても、私はそういう選手は使わないし、
勇気を必要としないスポーツに転向すればいい。
日本の長所は、あくせく、すばやく動き回れる点だ。
体が小さい分、ぴったり厳しいマークにつくこともできる。
日本人としての特性を、自分たちのやり方で生かさねば、もったいない。
体の大小や、肌の色など関係ない。
知恵と工夫次第では、弱点を利点に変えることもできる。
だからサッカーは、おもしろいのだ。
例えばフィジカル面を補うため、
身長190センチの選手をそろえてもまったくサッカーにならない。
同じように欧州やブラジルから選手5人を連れてきて勝ったとしても、
価値や意味はあるだろうか?
ないだろう。
監督のあるべき姿は、一つに定義付けできない。
誰かのマネをして同じことをしても、優勝はできない。
一方、自分一人の力だけでやっていけるわけでもない。
選手や組織のことを考慮しつつ、それぞれの考えや個性を生かしていければいい。
試合の流れで、選手自身が相手に対応した動きをしながら、変わっていくこともある。
一つのシステムに凝り固まるようでは、選手の顔ぶれだけでなく、
プレーの質も限られてしまいかねない。
私にとってサッカーは人生だ。
サッカーは終わりがなく、新しい道を突き進む。
だから「サッカーとはこういうもの」と発展を妨げる「壁」は作らない。
心がけているのは、その点だ。
サッカーはひとりの人間がすべてを知っていることはあり得ません。
他人の意見も尊重するべきです。
その意見が良くても悪くても、尊重するべきです。
他人の意見を聞けないような人間は、必要ありません。
人間は他人を尊重できるという面で、ロバよりは優れているでしょう。
夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、
現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう?
今からピッチで起こりうることを想定しよう。
今からできたら、ピッチでプレーすることが容易になるからだ。
サッカーに最も必要なのはアイデアだ。
アイデアの無い人ももちろんサッカーはできるが、
サッカー選手にはなれない。
まず自分たちを信じ、そして相手を尊敬すること。
だが相手を恐れてはいけない。
サッカーは遊びではない。
選手にとっては義務であり、観客、スポンサー、
そして自分たちのためにもベストのプレーをしなければならない。
攻撃というものは、攻めやすいところから攻めるもの。
それは見ていればわかるだろう。
疲労している時こそ、賢くプレーしよう。
時には引いて守る時も必要だろう。
ただホームゲームなのだから攻めて勝たなくてはダメ。
行くときはリスクを犯してプレーしよう
私が思考するのは、観客やサポーターは一体何を望んでいるのか、
そして何が目的なのかということだ。
サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。
その要素のなかでいろいろな方法論をとることができるが、
私としては、いる選手にやれる最大限のことを求めて、
魅力的なサッカーを展開したいと考えている。
撃的ないいサッカーをしようとする。
それはいい家を建てようとするのと同じ意味。
ただ、それを壊すのは簡単です。
戦術的なファウルをしたり、引いて守ったりして、
相手のいいプレーをブチ壊せばいい。
作り上げる、つまり攻めることは難しい。
でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。
そう思いませんか?
選手というのは、同じプレーをするものなんて1人もいない。
だから戦術が存在するのだ。
同じ選手ばかりなら戦術なんて必要ない。
選手の良い部分を最大限延ばし、欠点を補うために戦術とは必要なもの。
攻めと守りは紙一重ということ。常に両方を考えなくてはいけない。
何もしていないし、何もしようとしていない。
何かをやろうとしなければ、何も起こらない。
ここでいろんな事を伝えることはできるが、
結局プレーするのは君たち。
今からどんな状況にも対応できるよう準備(心の)をしていこう。
相手を必要以上に恐れないように!
恐れていたって人生は続くもの。
ボールが1つしかないのは、いつもと同じ。
とにかくかしこくプレーできるかにかかっている。
大事なのは、相手にとって怖いプレーをみせること。
プレーしている選手はみなが強い気持ちでゲームに臨むこと。
それで相手のサポーターが自分たちにとって味方にできることもあるはず。
戦っているが、アイデアがない。
何かをやろうとしなければ何も変わらない。
でも実際に選手が何かを学ぶなら、
勝ったときより負けたとき、
敗北から学ぶことが本当に大きい。
勝つことからは学べないことがある。
日本は裕福な国だし、逆に貧しい国もある。
しかし、環境の違いはあっても、
スタジアムに来れば自分が大声を出して熱狂できるものがある。
特に、近代サッカーというものは自分の生活の次に大事な要素になりつつある。
だからこそ監督やスタッフ、スポンサー、そして観客と、
チームにかかわっている人間が一体にならなければならない。
そういう意味で私にとってはサッカーが宗教であり、
スタジアムが教会なのかもしれない。
世界中に有名な教会があって人々がそこに集まるけれど、
その数よりも有名なスタジアムのほうが知られているんじゃないだろうか。
サポーターの皆さんに分かってほしいのは、
サッカーというのは人生と同じであって、
必ずしも自分の思った方向に物事が動くとはかぎらない。
勝つこともあれば負けることもあるのだ。
勝ちだけを望むサポーターであってほしくない。
ゲームに負けることはある。
ただ負けるにしても自分たちのプレーをやりきって負けるのと、
そうでないのでは大きな違いだ。
考えなくてはいけないことは、
相手に足りないところをプレーで見せること。
走ること。考えること。
かしこくプレーすること。
守るだけではチャンスなんて来る訳がない。
攻撃がなければ相手はどんなに楽にできるだろうか
やったことが返ってくるのが人生というもの。
もっと走るべきだし、タイトにプレーすべきだ。
全てが返ってくるのだからやらなくてはいけない。
まずは俺の練習を100%でやれ。
足りないものはその練習に全部つまっているから
我々の国民は過小評価する癖があり、日本サッカーについても"あれは子供のプレーだ"と言うだろう。
けれども日本を経験した選手が誠実になれば、どんなプレーをしていたか率直に語るはずだ。
日本でプレーすることはそうそう容易いことではないとね。
残念ながら体格面が日本人の大きなハンディキャップだ。
世界のサッカーは高さへと向かっているが、日本で190cmの選手を持つことは決してない。
体格の良い選手を持っているヨーロッパならば、次の解決方法に手を伸ばすことができる。
"美しいサッカーができなくとも、パワーによるサッカーは可能だ"というもの。
日本はそんな立場にない。けれども日本人は素晴らしい面を持っている。
非常に速いスピード、尋常ではない闘争心、サッカーに必要な多くの感覚や素晴らしい個人技術といったもの。
それら全ての特徴を集めれば非常に"強い武器"となる。
日本人は伝統的に責任を他人を投げてしまうことに慣れてしまっている。
工場ならそれでも機能するかもしれない。全ての責任を取締役に押し付ければいいんだからね。
けれどもサッカーでそれは通らない。サッカーでは上司も労働者も全員が一緒にいるわけだから。
日本ではジャーナリストもサポーターも常に良い意思をもっているので、私は気分良く仕事が出来るよ。
フィールド上ではますます良いサッカーがプレーできるようになった。
それはスピードや機敏さ、根性や規律といった日本人の特性だけではなく、優れたテクニックや戦術遂行能力によるものだ。
日本サッカーを経験した誰もが単純に考えてこの国を語ろうとするが、彼らは既に去っている身分だ。
ヨーロッパでは全てが壊れている上で、更に綺麗なサッカーを壊そうとしている。
いずれ、ここでも破壊が構築を上回る日が来るだろうけどね。
日本の選手たちは、試合に負けてもまだ明日があると考えている。
プロサッカー選手には、負ければ明日はない。
向上心のない選手は、
自分がプレーする環境もどんどん下へと下がっていくだけだ
残念ながら現在は多くのケースにおいて、どんなサッカーをプレーするか決めるものが金となってしまっている。
金がサッカーを求めている。なぜなら結果なしではスポンサーはなく、スポンサーなしでは金がないからだよ。
この社会は明らかに金なしでは抜け出られないほど閉ざされてしまっている。金銭がサッカーの芸術的な部分を殺してしまったのだ。
フィーゴが大金を積まれてバルセロナからレアルに移籍した時、非常に興味深い質問を投げかけたね。
"このだけの金のために私はレアルに何を与えればいいんだろうね"、と。答えは自分一人で出していかねばならない。
ある時代、サッカーにかかわる全員が貧しかった。
ある時代、サッカーは貧しい人達のための貧しい人達による遊びだった。
しかし今日では全てが大きく変ってしまった。特別な金持ちのサッカー選手を生み出した一方で、貧しい人達が客席から夢見ることすらできないほどの金銭を得た選手達を見ている。
選手達はサポーターの"それだけ稼いでいるのだから、どんなプレーをするんだい?”という脅迫めいた問いがプレッシャーとなるのさ。
自分の稼ぎを正当化しようと、選手達はどんなボールに対しても走り、戦い、そして"殺しあう"。
それは監督の戦術だけによるものではないんだ。金のせいで今日のサッカーは剣闘士的な要素を引き入れてしまった。
ジーコはブラジル学校みたいな存在だ。
サッカーを愛しているし、選手も好みから選んでいる。
ある代表選手は所属クラブでは不安定なプレーをしていても、彼の下では代表でプレーする。
中田と中村のせいでジーコは苦しむことだろう。彼らはクラニチャルと同じように走らず(ボールを)待っている。
ジーコのマイナスは余りにも攻撃的にプレーし、守りを固めないことだ。
それはセットプレーでとりわけハンディキャップになるだろう。
シャムスカ語録
知的で繊細で透明なサッカー。それが日本のスタイル。 とても美しい。欧州とも南米とも違う何かがこの国には眠っている。
ゲームに失敗はつきもの。それよりももう一度チャレンジする気持ちを持つことのほうが大切です。その時のチームや選手の状態を見てプレッシャーをかけたり やさしい言葉をかけたり・・・
選手を尊敬しているから『こうやれ』と命令はしない。彼らは機械じゃないんだ。
全員で楽しんで、喜んでやろうと話しています。プロ選手としてプレーできることを幸せに思わなければいけないと思うのです。自分の愛する仕事に就くことができる人間は全体のわずか5%だと。サッカー選手は愛する仕事をやっているのです。すごく運がいいのです。それを感じて、楽しんでプレーをしようと話しています。
必ずいつかは負ける。最後まで、あきらめずに戦ったことが、非常にいい。
サッカーに’マジック’は存在しない。
「人数が多いのがいい守備とは限らない」
「満足するということはない。パーフェクトなチームというのはないが、私はいつもそこを目指している」
思いついたプレーの中でいつも一番難しいものを選択している。
PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。
PKを決めても誰も覚えていないが、外したら誰もが忘れない。
私はサッカーに恋をした。
私の知っているドーピングはひとつだけ、それは“努力”だ
以上、R.バッジョ
そこにゴールがあるから蹴るんじゃない、俺が蹴るからゴールがあるんだbyバティストゥータ
スタンドに足を運んでくれるサポーターを裏切る権利など、我々にはないのだbyベンゲル
今日の試合が雨上がりのピッチならば、僕の左足で虹を描いてみせるよbyレコバ
偉大なフットボーラーのリストにバッジョを加えるつもりはないよ。
なぜなら彼は別の惑星からやって来た宇宙人だからだ。byキエーザ
自分の理想は、背番号19番。ストライカーとしての9番と、ゲームメーカーとしての10番、
その両方を持った選手になりたいby小倉隆史
何でサッカーをしているんだろう
どうして苦しさに耐えているんだろう
それはサッカーを愛しているから
サッカーを心から楽しめているから
君はどうだ
サッカーが楽しいかby小野伸二
ゴールキーパーの『役立たず』と『英雄』は紙一重byカーン
誤審? 関係無い。全部俺が止めればいいんだbyカーン
もっとサッカーが上手くなりたいです(引退会見で)木村和司
ゴールは、ゴールネットへのパスだ。動かない反面、強弱、コースなどわがままな面もあるbyジーコ
人々を楽しませたい。それはいつも考えている。そうすれば自分が楽しめるからbyジダン
バッジョ?筆を執っている時のバッジョは”ヘボ画家”に見える。
しかし、その作品を目の前にするとラファエロのタッチを感じるbyサッキGM
PKよりFKの方が簡単だ。何故なら壁が蹴る瞬間をさえぎってくれるbyゾラ
それでもあなたは偉大だ(W杯でバッジョがPKを外して)byタファレル
サッカーの基本は美しさと豪快さだbyストイコビッチ
10番は完璧でなくてはならないbyストイコビッチ
世界の中で自分がどの位置にいるのか、確かめたい(ペルージャ移籍時)by中田英寿
僕に足りないものがイタリアという国にあると思うので、それを見つけにいきたいby名波浩
最も美しいサッカーとは0-0もしくは相手選手のミスによる1-0であるbyマルディーニ
僕が鹿島に移籍した理由の一つは鹿島に入れば本田泰人にマークされなくてすむからですbyビスマルク
完ぺきなチームとは明神が8人いるチームだbyトルシエ
ストライカーにとってゴールこそが人生なんだbyインザーギ
もしこれが勝利なら、俺はずっと敗北者でありたい。
もしこれがサッカーなら、俺はこのスポーツを嫌いになるだろう。
もし彼らが韓国人なら、二度と会わないことを神に望む(日韓W杯韓国戦後)byトッティ
サッカーは人生と同じだよ、いつも上手くいくわけじゃないbyベッケンバウアー
サッカーは魔法を使って、すべての人々を夢中にさせるbyペレ
ポルトガル代表である限り、フィオレンティーナにいる限り、
ルイ・コスタが王冠を手にすることは無いが、ファンタジスタの背中には天使の羽が生えている。
それだけで十分だbyルイコスタ
勝ちたければパスを回してくれbyプラティニ
ワンタッチこそ最高の技術だbyクライフ
フットボールの神様は、いつもちょっとだけ僕にやさしいbyロナウド
人生とは旅であり、旅とは人生であるby中田英寿
オシム語録
限界には、限界はありません。
限界の定義は何だと思いますか。
限界は個々の選手の目標で、
限界を超えれば、
次の限界が生まれるのです。
「不可能」とは、自分の力で世界を切り拓く事を放棄した、臆病者の言葉だ。
「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳にしかすぎない。
「不可能」とは事実ですらなく、単なる先入観だ。
「不可能」とは、誰かに決め付けられる事ではない。
「不可能」とは、可能性だ。
「不可能」なんて、ありえない。
今日唯一良かったことは、
最低のプレーをした選手が全員だったということだ。
あまり指示を出さないジーコ監督を「放任主義」と言った人もいるようだが、
何も言わない方が、時には言葉をより伝えることもあるものだ。
アイデアが存在する間は常にアクティブになる必要がある。
同じことを繰り返すようになると人間は終わりだ。
今の私には仕事なしの状況が考えらない。
金のためではない。いつも金は私にとって重要じゃないことだ。
フォワードをひとりしか置かなくても全員で攻めれば攻撃的にもできる。
日本人はシステム論議が好きらしいが、
システムは保証でしかないことを理解したほうがいい。
システムの奴隷になってはいけないのだ。
私には、理想とするサッカーはない。
「こういうチーム」と決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。
完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。
日本では選手が気楽過ぎるんだよ。
プレーし、勝つ。もちろんオーケー。
プレーし、0-3で負ける。オーケー。
プレーし、0-8で負ける。それでもオーケーなんだ。
何をやっても周囲から批判されることがない。
2点をとったのは佐藤でも勇人でもなく、
ジェフというチームが挙げたものだ。私はそう考えている。
日本人コーチに即興性、柔軟性、創造性が欠けているから、選手にもそれが欠ける。
コーチが本や紙を見ながらやっているうちに選手には違う現象が起こっている。
その現象を見てコーチが判断する。サッカーはそういうスポーツ。
人生は100年も続かない。選手のサッカーキャリアなど短いものだ。
その短い選手生命の中で、何か歴史に残ることをしよう。
サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。
サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。
いろいろな 情報やビジョン、アイデアがあり、それらが全部混ざって成り立っているものだ。
本当のファンというのは、
いいときばかりではなく、負けたりしても足を運んでくれて、応援をしてくれる人を指す。
そういう意味では、ファンもチームが何をできるかしっかり見極めてほしいい。
決して負けたり引き分けたりしたいわけではないのだ。
なぜ、そのような結果になったのか、現実を見つめてほしい。
選手のメンタリティを変えるには、監督だけでなく周囲の人々による力も必要なのです。
普通の監督なら、お金がないクラブは嫌いだろう。
でも私は、自由を与えてくれるクラブが好きだ。
大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、
一日一日を大切にすること。
私にとって、サッカーは人生そのものだ。人生からは逃げられない。
ぜひ試合を見に来てください。
そこではきっと、素晴らしい出来事が待っています。
試合は、負けることがあるものだ。勝利は保証されたものではない。
相手を尊重すれば、いい結果につながる。
どんな強いチームでも慢心したり、ミスを犯せば負ける。
私にも経験があるが、監督がいくら油断してはいけないと言っても、
目が覚めていないような状態になる。
いつもいっているが、私の感想より観客の感想のほうが大事なんじゃないかな。
選手だって私のためにプレーしているわけじゃないんだからね。
サッカーの法則で、良いプレーをしているときには勝てないものだ。
集中を続けられない選手は、これから試合に出場するのが難しくなるだろう。
それだけ重要なことであり、ものすごく大事な要素なのだ。
例えば近代サッカーでは、練習試合でも勝たなくてはならない。
そういうプレッシャーに耐えられるかがポイントであり、
それはウチだけでなく日本全体の問題ともいえる。
賢い=できるだけ経済的という意味だ。
自分勝手なプレーをせずに、とにかくシンプルなサッカーを心がける。
日本にも多かれ少なかれ賢い選手はいるが、例えば先が読めるような選手が真のクレバーなプレーヤーといえるだろう。
5秒先を読めれば40メートルのダッシュをしなくてもいいはずだし、力を蓄えられる。
監督というものは、常に何がうまくいっていないかを探さないといけない。
私はブラシのようなもの。常にホコリをはらうことをしないといけないのだ。
グラウンドへ出るのに勇気を持たない選手はいないだろう。
たとえいたとしても、私はそういう選手は使わないし、
勇気を必要としないスポーツに転向すればいい。
日本の長所は、あくせく、すばやく動き回れる点だ。
体が小さい分、ぴったり厳しいマークにつくこともできる。
日本人としての特性を、自分たちのやり方で生かさねば、もったいない。
体の大小や、肌の色など関係ない。
知恵と工夫次第では、弱点を利点に変えることもできる。
だからサッカーは、おもしろいのだ。
例えばフィジカル面を補うため、
身長190センチの選手をそろえてもまったくサッカーにならない。
同じように欧州やブラジルから選手5人を連れてきて勝ったとしても、
価値や意味はあるだろうか?
ないだろう。
監督のあるべき姿は、一つに定義付けできない。
誰かのマネをして同じことをしても、優勝はできない。
一方、自分一人の力だけでやっていけるわけでもない。
選手や組織のことを考慮しつつ、それぞれの考えや個性を生かしていければいい。
試合の流れで、選手自身が相手に対応した動きをしながら、変わっていくこともある。
一つのシステムに凝り固まるようでは、選手の顔ぶれだけでなく、
プレーの質も限られてしまいかねない。
私にとってサッカーは人生だ。
サッカーは終わりがなく、新しい道を突き進む。
だから「サッカーとはこういうもの」と発展を妨げる「壁」は作らない。
心がけているのは、その点だ。
サッカーはひとりの人間がすべてを知っていることはあり得ません。
他人の意見も尊重するべきです。
その意見が良くても悪くても、尊重するべきです。
他人の意見を聞けないような人間は、必要ありません。
人間は他人を尊重できるという面で、ロバよりは優れているでしょう。
夢ばかり見て後で現実に打ちのめされるより、
現実を見据え、現実を徐々に良くしていくことを考えるべきだろう?
今からピッチで起こりうることを想定しよう。
今からできたら、ピッチでプレーすることが容易になるからだ。
サッカーに最も必要なのはアイデアだ。
アイデアの無い人ももちろんサッカーはできるが、
サッカー選手にはなれない。
まず自分たちを信じ、そして相手を尊敬すること。
だが相手を恐れてはいけない。
サッカーは遊びではない。
選手にとっては義務であり、観客、スポンサー、
そして自分たちのためにもベストのプレーをしなければならない。
攻撃というものは、攻めやすいところから攻めるもの。
それは見ていればわかるだろう。
疲労している時こそ、賢くプレーしよう。
時には引いて守る時も必要だろう。
ただホームゲームなのだから攻めて勝たなくてはダメ。
行くときはリスクを犯してプレーしよう
私が思考するのは、観客やサポーターは一体何を望んでいるのか、
そして何が目的なのかということだ。
サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。
その要素のなかでいろいろな方法論をとることができるが、
私としては、いる選手にやれる最大限のことを求めて、
魅力的なサッカーを展開したいと考えている。
撃的ないいサッカーをしようとする。
それはいい家を建てようとするのと同じ意味。
ただ、それを壊すのは簡単です。
戦術的なファウルをしたり、引いて守ったりして、
相手のいいプレーをブチ壊せばいい。
作り上げる、つまり攻めることは難しい。
でもね、作り上げることのほうがいい人生でしょう。
そう思いませんか?
選手というのは、同じプレーをするものなんて1人もいない。
だから戦術が存在するのだ。
同じ選手ばかりなら戦術なんて必要ない。
選手の良い部分を最大限延ばし、欠点を補うために戦術とは必要なもの。
攻めと守りは紙一重ということ。常に両方を考えなくてはいけない。
何もしていないし、何もしようとしていない。
何かをやろうとしなければ、何も起こらない。
ここでいろんな事を伝えることはできるが、
結局プレーするのは君たち。
今からどんな状況にも対応できるよう準備(心の)をしていこう。
相手を必要以上に恐れないように!
恐れていたって人生は続くもの。
ボールが1つしかないのは、いつもと同じ。
とにかくかしこくプレーできるかにかかっている。
大事なのは、相手にとって怖いプレーをみせること。
プレーしている選手はみなが強い気持ちでゲームに臨むこと。
それで相手のサポーターが自分たちにとって味方にできることもあるはず。
戦っているが、アイデアがない。
何かをやろうとしなければ何も変わらない。
でも実際に選手が何かを学ぶなら、
勝ったときより負けたとき、
敗北から学ぶことが本当に大きい。
勝つことからは学べないことがある。
日本は裕福な国だし、逆に貧しい国もある。
しかし、環境の違いはあっても、
スタジアムに来れば自分が大声を出して熱狂できるものがある。
特に、近代サッカーというものは自分の生活の次に大事な要素になりつつある。
だからこそ監督やスタッフ、スポンサー、そして観客と、
チームにかかわっている人間が一体にならなければならない。
そういう意味で私にとってはサッカーが宗教であり、
スタジアムが教会なのかもしれない。
世界中に有名な教会があって人々がそこに集まるけれど、
その数よりも有名なスタジアムのほうが知られているんじゃないだろうか。
サポーターの皆さんに分かってほしいのは、
サッカーというのは人生と同じであって、
必ずしも自分の思った方向に物事が動くとはかぎらない。
勝つこともあれば負けることもあるのだ。
勝ちだけを望むサポーターであってほしくない。
ゲームに負けることはある。
ただ負けるにしても自分たちのプレーをやりきって負けるのと、
そうでないのでは大きな違いだ。
考えなくてはいけないことは、
相手に足りないところをプレーで見せること。
走ること。考えること。
かしこくプレーすること。
守るだけではチャンスなんて来る訳がない。
攻撃がなければ相手はどんなに楽にできるだろうか
やったことが返ってくるのが人生というもの。
もっと走るべきだし、タイトにプレーすべきだ。
全てが返ってくるのだからやらなくてはいけない。
まずは俺の練習を100%でやれ。
足りないものはその練習に全部つまっているから
我々の国民は過小評価する癖があり、日本サッカーについても"あれは子供のプレーだ"と言うだろう。
けれども日本を経験した選手が誠実になれば、どんなプレーをしていたか率直に語るはずだ。
日本でプレーすることはそうそう容易いことではないとね。
残念ながら体格面が日本人の大きなハンディキャップだ。
世界のサッカーは高さへと向かっているが、日本で190cmの選手を持つことは決してない。
体格の良い選手を持っているヨーロッパならば、次の解決方法に手を伸ばすことができる。
"美しいサッカーができなくとも、パワーによるサッカーは可能だ"というもの。
日本はそんな立場にない。けれども日本人は素晴らしい面を持っている。
非常に速いスピード、尋常ではない闘争心、サッカーに必要な多くの感覚や素晴らしい個人技術といったもの。
それら全ての特徴を集めれば非常に"強い武器"となる。
日本人は伝統的に責任を他人を投げてしまうことに慣れてしまっている。
工場ならそれでも機能するかもしれない。全ての責任を取締役に押し付ければいいんだからね。
けれどもサッカーでそれは通らない。サッカーでは上司も労働者も全員が一緒にいるわけだから。
日本ではジャーナリストもサポーターも常に良い意思をもっているので、私は気分良く仕事が出来るよ。
フィールド上ではますます良いサッカーがプレーできるようになった。
それはスピードや機敏さ、根性や規律といった日本人の特性だけではなく、優れたテクニックや戦術遂行能力によるものだ。
日本サッカーを経験した誰もが単純に考えてこの国を語ろうとするが、彼らは既に去っている身分だ。
ヨーロッパでは全てが壊れている上で、更に綺麗なサッカーを壊そうとしている。
いずれ、ここでも破壊が構築を上回る日が来るだろうけどね。
日本の選手たちは、試合に負けてもまだ明日があると考えている。
プロサッカー選手には、負ければ明日はない。
向上心のない選手は、
自分がプレーする環境もどんどん下へと下がっていくだけだ
残念ながら現在は多くのケースにおいて、どんなサッカーをプレーするか決めるものが金となってしまっている。
金がサッカーを求めている。なぜなら結果なしではスポンサーはなく、スポンサーなしでは金がないからだよ。
この社会は明らかに金なしでは抜け出られないほど閉ざされてしまっている。金銭がサッカーの芸術的な部分を殺してしまったのだ。
フィーゴが大金を積まれてバルセロナからレアルに移籍した時、非常に興味深い質問を投げかけたね。
"このだけの金のために私はレアルに何を与えればいいんだろうね"、と。答えは自分一人で出していかねばならない。
ある時代、サッカーにかかわる全員が貧しかった。
ある時代、サッカーは貧しい人達のための貧しい人達による遊びだった。
しかし今日では全てが大きく変ってしまった。特別な金持ちのサッカー選手を生み出した一方で、貧しい人達が客席から夢見ることすらできないほどの金銭を得た選手達を見ている。
選手達はサポーターの"それだけ稼いでいるのだから、どんなプレーをするんだい?”という脅迫めいた問いがプレッシャーとなるのさ。
自分の稼ぎを正当化しようと、選手達はどんなボールに対しても走り、戦い、そして"殺しあう"。
それは監督の戦術だけによるものではないんだ。金のせいで今日のサッカーは剣闘士的な要素を引き入れてしまった。
ジーコはブラジル学校みたいな存在だ。
サッカーを愛しているし、選手も好みから選んでいる。
ある代表選手は所属クラブでは不安定なプレーをしていても、彼の下では代表でプレーする。
中田と中村のせいでジーコは苦しむことだろう。彼らはクラニチャルと同じように走らず(ボールを)待っている。
ジーコのマイナスは余りにも攻撃的にプレーし、守りを固めないことだ。
それはセットプレーでとりわけハンディキャップになるだろう。
シャムスカ語録
知的で繊細で透明なサッカー。それが日本のスタイル。 とても美しい。欧州とも南米とも違う何かがこの国には眠っている。
ゲームに失敗はつきもの。それよりももう一度チャレンジする気持ちを持つことのほうが大切です。その時のチームや選手の状態を見てプレッシャーをかけたり やさしい言葉をかけたり・・・
選手を尊敬しているから『こうやれ』と命令はしない。彼らは機械じゃないんだ。
全員で楽しんで、喜んでやろうと話しています。プロ選手としてプレーできることを幸せに思わなければいけないと思うのです。自分の愛する仕事に就くことができる人間は全体のわずか5%だと。サッカー選手は愛する仕事をやっているのです。すごく運がいいのです。それを感じて、楽しんでプレーをしようと話しています。
必ずいつかは負ける。最後まで、あきらめずに戦ったことが、非常にいい。
サッカーに’マジック’は存在しない。
「人数が多いのがいい守備とは限らない」
「満足するということはない。パーフェクトなチームというのはないが、私はいつもそこを目指している」