原稿用紙3枚から5枚ほどで綴る短編小説「Day-lyrics]
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冬になると、夜空にはオリオン座が出現する。

空気が澄んでいるせいか、星は余計にキラキラと輝き、

その星座はとても雄大に見える。

人間が勝手に決めた「まとまり」なのだろうが、

世界的にも有名な幾何学的な模様は、得てして星に興味関心がない人でも

比較的容易に認識することができる。空を見上げれば。



1月半ばの金曜日。

桐谷礼二はいつものようにパソコンのキーボードをタイピングしていた。

タイピングが得意ではなかったので、

「ダダダッ!」というスマートではない音が礼二の指先から聞こえている。

ただ、その勢いから忙しさは十分に伝わってくるほどの音だった。


礼二が勤める会社は、

設立してから10年ほどで従業員も50人満たない小さな会社だ。

IT企業、俗に言う「ネットベンチャー」として、

これから発展できるかどうかの過渡期にあった。


まだまだ若いこの会社では、30歳手前の礼二も中堅社員として、

そこそこ重要なポジションを任されていた。

朝は就業時間の2時間ほど前には出勤し、

だからといって早く帰るわけでもなかった。

今週も週初めから木曜日に開催されるイベントの準備に追われ、

イベントを無事終えることができても、

その翌日の今日はまた新しい仕事や

事務処理に着手しなければならなかった。


しかし、この状況を礼二は“なんとも”思っていなかった。

体力的にはキツく感じる日があっても、

ある種の充実感が充満していた。


会社と理念みたいなものを共有できていたこともあったが、

それには礼二の私生活の変化が大きく影響していた。


礼二は昨年結婚し、もうすぐ一児の父になるのだ。

これまでは仕事に対して「楽しさ」や「やりがい」を求めていたのだが、

いえば「結果」を求めるようになった。

会社が発展して、収入が増えて、家族に還元する。

目的が定められたことで迷いはなくなり、

今まで以上に仕事に打ち込むようになった。


次の日の土曜日、妊娠中の妻と久しぶりに映画館に出かけた。

「家族」をテーマにした内容で、世間で公開前から話題を集めている。

観たい映画は公開初日に見る。これが礼二の“こだわり”だった。


和やかな雰囲気が漂う3時間弱のストーリーでは、

「幸せの定義」が投げかけられた。

金か出世か、それとも。礼二は「ハッと」させられた。


家族を養うために一生懸命に働く姿は間違いなく素敵だ。

礼二自身もフラフラとしていた20歳代前半と比べて、

大人になれたと自負している部分もある。

ただ、働く目的が「会社からの評価」に

なってしまっていることに気づいたのだ。


働いた対価として、それ相応の報酬を求めるのは

サラリーマンであっても当然のこと。

しかし、よく考えてみれば、それは“あとからついてくるもの“なのだ。


ギラギラとした野心は厳しい社会を生き抜く上で必要なことかもしれないが、

それが埋め尽くしてしまっている礼二の心は今、

“余裕”が状態となっていた。


映画館の帰り、駐車場から自宅に向かって

妻と感想を言い合いながら夜道を歩いた。

ふと、西の空を見上げると、そこにはオリオン座が浮かんでいた。


「そういえば、今回の冬で初めて見たな」と礼二は思った。


途中、自動販売機に寄って、ホットココアとコーヒーを買った。

缶からじんわりと伝わる温もりを妻にひとつ渡して、

もう一度、礼二は夜空に目を向けた。


そこにはオリオン座と、礼二が名前を知らない無数の星がキラキラと輝いていた。