アンディ・フグ(1964-2000)


1990年代。K-1絶頂期。

その中心にいたファイターで、

僕が好きだった『鉄人』アンディ・フグ。


今日は彼が旅立ってからちょうど21年。

時の流れは早い。

彼のことをご存知ない人も

増えているだろうが、

当時彼はまさにヒーローだった。


僕がアンディを初めて見たのは、

1994年頃にテレビ放送していた

『ラスタとんねるず』という番組。

『ボクシング対決』のコーナーでの、

あの鮮烈な足技『カカト落とし』を

目撃した時の衝撃が忘れられなかった。

翌日、僕も中学の友達に見よう見まねの

カカト落としを仕掛けてしまうほど、

彼に夢中になったものだった。

そして当時、日本中を席巻した

格闘技イベント『K-1』が隆盛を迎え、

アンディは瞬く間に

トップファイターになり、

沢山の名勝負を見せてくれた。

回し蹴りや裏拳など華麗な技の数々、

鋼の肉体から繰り出す

力強い打撃もさることながら、

僕がもっとも胸を熱くしたのが、

彼のファイティングスピリッツ溢れる

闘いぶりにだった。


1日に何試合も闘わなければならない時も、

体力の限界に挑むべく戦い、

たとえ以前に負かされた相手であっても、

リベンジをするべく果敢に闘った。

その根性に、その勇気に、

僕はどれだけ心打たれたことか。


今でも忘れられないのが、

僕が生観戦した1998年の

K-1グランプリファイナルの決勝戦だ。


リングがとても小さく見えた、

東京ドームの外野席上段からの光景。

超満員の熱気の中心に、

アンディの背中が見えた。

この日すでに2試合を戦ってきた彼は

満身創痍で決勝戦に挑んでいた。そして

「パキッ」という生音が聞こえた瞬間、

彼はリングに崩れ落ちた。

相手のハイキックを

こめかみに喰らってしまったのだ。


その瞬間は今でも忘れられない。


彼は自分の負け様も、

僕たちに見せてくれた。


それでも逆境から這い上がり、

立ち向かってゆく姿を見せてくれた。


そして、

強くなっていく姿を、

見せてくれた。



21年前の今日、アンディの訃報を聞いた。

僕は高田馬場の正道会館の道場前に行った。

アンディに、最後に手を合わせたかった。

道場前には大勢の報道陣。

道場の窓には門下生の影が並んでいた。


重い光景だった。

一般人である僕よりも、

はるかに彼に近かった彼らの背中から、

その衝撃と悲しみ、喪失感が

冷酷なまでに伝わってきた。


僕は合掌した。アンディに向かって。

周りにも同じように合掌している人がいた。

この光景は今でも鮮明に覚えている。


アンディ逝去の影響はK-1のみならず

格闘技界全体に悲しみをもたらしていた。

数日後に西武ドームで行われた

総合格闘技PRIDEの興行での出来事だった。

試合開始前、アナウンスがあった。

「先日亡くなられた、アンディ・フグ氏へ

黙祷を行います」

満員のドームが一瞬で静寂に包まれた。

そして所々で

「アンディー!」「アンディー!」の声…。

そして試合が行われ、対戦相手に勝った

同じ正道会館の佐竹雅昭が、

天を指差し、こう叫んだ。

「アンディ・フグ!見てるかーっ!」



21年前の記憶が甦ってくる。

今、改めて、

あの時と同じく、偲びたい。


ありがとう。アンディ。

あなたのことは、忘れません。

アンディよ、永遠に。



https://www.boutreview.com/report/k1/00/08hug/24kaiken.html







ビール試飲備忘録①

ヤッホーブリューイング『TOKYO BLACK』

『よなよなエール』で有名な
ヤッホーブリューイングの
ポータースタイルの黒ビール。
飲んでみると燻製の薫りが、
柔らかく舌を包んでくれるような口当たり。「アンティークな薫り」と表現したい
(が、伝わるかな)。
こういうビールを飲むと、
個人的には「落ち着く」。
こういうアンティークな感じが
自分の好みなのもあるかもしれないが、
この、決して軽くはないが、
渋めでも柔らかな味わいのビールが、
自分にある種の安心感をもたらしてくれている。
僕にとってこれは、そういうビールです。

最初のブログ記事で、
あえてこの節目の日に
この記憶を綴らせていただく。


10年前の今日。2011年3月11日。

自分はあの時は海外で、震災の報を聞いた。

深刻さを増していく被害状況に、
「もうこれ以上悪くならないでくれ」と、
遠くからただ祈ることしか出来なかった。

2か月後、一時帰国しボランティアで現地に行った。

行った所は、宮城県石巻市。
死者・行方不明者3695人。
約2000世帯の住宅が、津波で流されたという。

当時すでに全国からたくさんのボランティアが来て活動していたが、市街地はあらゆる所が瓦礫の山。至る所で片付け作業に従事している風景があった。

自分は救援物資を配送するボランティアの団体に割り振られ、石巻市の各地へ配送作業に従事した。

車窓から目に飛び込んできた風景は、報道で見たものより強烈に自分の脳裏に焼き付いている。

片道1車線の道のど真ん中に流れ着いている一戸建ての家屋。

ひっくり返っているあらゆる車。

そして忘れられないのは、雄勝町の沿岸部の集落。
特に被害がひどく、海岸沿いはことごとく瓦礫の山だった。
津波が襲うまでは普通の家屋だったと思うが、この瓦礫の山からはどうしても想像が結び付かない。

ある海沿いの小学校は、最上階まで津波が押し寄せ、机や黒板、ロッカーなど全て流されていた。

そしてある集落を車で通った時は、目を疑った。
そこは灰色の荒野が拡がっていた。
しかし地元の人は「ここは住宅地だった」という。
だが、その荒野には瓦礫すら残っておらず、家屋の土台が無数に並んでいる。
まるで売り出す前の分譲地のような光景だった。
写真やアルバムはおろか、瓦礫すら完全に流されてしまっている惨状に、赤の他人の自分ですら受け入れがたいのに…。

ただただ、ショック、衝撃を受けた。

自分がこの状況に遭ったら、耐えられるだろうか。

自らの目で見た被災地は、想像を絶していた。

己の無力さ、あらゆるものの儚さを強く感じた。


ここで自分は、ある有名百貨店の創業者の言葉を思い出した。

「街は、無くなるんだ。」

この言葉の主は、ある街に百貨店を出店する際に、その候補地周辺を頭の中で更地にしてから、街づくりをイメージしていったらしい。

その原点は、戦時中、あの東京大空襲を生き残った体験にあったという。

昨日まであった大都市が一晩で灰塵に帰した。
生き延びてその光景を実際に見た彼は、
後にどんな街でも更地のイメージで見ることができるようになったという。

そんな彼の言葉が、津波に流されてしまった、あの街の光景と共に、頭に浮かぶ…。

「街は、無くなるんだ。」


あの時目撃した、あの家屋、あの学校、そしてあの集落は、今どうなったのだろうか…。

10年経った今、自分の中で
改めて、思いが芽生えた。
いつか、再訪してみたいと、思っている。


合掌。