「伝えられるべき真実がある」
360度に渡って広がる気仙沼の瓦礫の山の真ん中に、
かつて不良のボスと恐れられた男が率いる 異色のボランティア集団があった。
そこには、2500万円相当の支援物資と、忘れられたサムライの魂が残っていた。
「偽善者でも神様でもないので 全ての被災者へ物資・義援金を送る事は不可能です。
しかし、支援を求める友人・知人やその家族・親戚・仲間へ余れば困っている人へ渡せばいい」
自分勝手だと、批判することは簡単です。
もちろん政府や、赤十字などが行う公的支援も、素晴らしい。
でも、その援助すら届かない人たちが多くいる現実、
そんな人達にも温かい手が差し伸べられる唯一の道は、
Think Global Act Local (大きく考えて、身の回りから行動を起こす)
皆がこれを実践することしかないのではないでしょうか?
これは、メディアでは取り上げられることのない、
被災地支援、現在進行形のオルタナティヴ・ストーリーです。
////////////////////////////////////
アウトローたちの被災地 目次リンク
■01 きっかけ
■02 自分にできること
■03 団体結成のいきさつ
■04 物資調達
■05 現地入り
□3週間後の気仙沼 動画
■06 悪夢の光景
360度に渡って広がる気仙沼の瓦礫の山の真ん中に、
かつて不良のボスと恐れられた男が率いる 異色のボランティア集団があった。
そこには、2500万円相当の支援物資と、忘れられたサムライの魂が残っていた。
「偽善者でも神様でもないので 全ての被災者へ物資・義援金を送る事は不可能です。
しかし、支援を求める友人・知人やその家族・親戚・仲間へ余れば困っている人へ渡せばいい」
自分勝手だと、批判することは簡単です。
もちろん政府や、赤十字などが行う公的支援も、素晴らしい。
でも、その援助すら届かない人たちが多くいる現実、
そんな人達にも温かい手が差し伸べられる唯一の道は、
Think Global Act Local (大きく考えて、身の回りから行動を起こす)
皆がこれを実践することしかないのではないでしょうか?
これは、メディアでは取り上げられることのない、
被災地支援、現在進行形のオルタナティヴ・ストーリーです。
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アウトローたちの被災地 目次リンク
■01 きっかけ
■02 自分にできること
■03 団体結成のいきさつ
■04 物資調達
■05 現地入り
□3週間後の気仙沼 動画
■06 悪夢の光景
■アウトローたちの被災地 06 悪夢の光景
震災から3週間後の気仙沼に入り、突如別世界に突入したボランティア一行。
現地のスタッフに合流する前に、1時間程時間を潰さなくてはならず、
海沿いのエリアを見に行く事にしたのでした。
■悪夢
海沿いへ向かうため、
メインストリートから適当な路地を曲がると、
そこには悪夢のような光景が広がっていました。
いや、想像できるものしか夢には見れないとすれば、
あの光景は悪夢以上のものです。
倒壊した摩天楼や、第3次世界大戦の後の広がる荒野は
SF映画に描かれますが
小さな住宅街の路地が壊滅している様子など、
今まで想像したこともなかったですから。
しかし、生活に密着した所にこそ、リアルさを感じるものです。
瓦礫の中、車一台がかろうじて通れるだけの整備がやっと。
これが気仙沼という大きな町での、
震災から3週間後の現状でした。
「ひでぇ、、、」
カーステレオの音を切り、
窓を開けると流れ込んでくる強烈な腐敗臭。
さすがに目につく所に死体がある訳ではないが、
この瓦礫の中には、何があってもおかしくない。
みんな、窓の外を見つめたまま、
無言でマスクを取り出します。
崩壊した家々に時折見える人陰。
避難後、状況確認と家の整理に戻ってきたのでしょうか。
何から始めていいのか戸惑い、玄関先に座り込む人。
何かしら見覚えのあるものを見つけて、
瓦礫の山から引きづり出そうとしている人。
車の中と外の現実が違いすぎて、
町の人と目が合わせられません。
沈黙に耐えかねたシロウが口を開きました。
「俺、ここ知ってる、、、」
以前、彼のバンドが気仙沼でライブをした時、
近くの民宿に泊まったとのこと。
「確か、タバコ屋の角を曲がって、、、」
とは言っても、
タバコ屋だった所も、銭湯だった所も、保育園だった所も、
今はみんな同じ。
ただの瓦礫です。
ふと視界がひらけたと思ったら海沿いでした。
辺り一面、文字通り360°瓦礫に囲まれています。
地上に打ち上げられ腐ったサンマの群れが目当てなのか、
カラスやカモメが群れをなし、低空飛行しています。
その先には緊急時らしく軍用ヘリが飛び、
地上にはハマーや軍用トラックに乗った迷彩服の自衛隊員が。
あまりにも理不尽で無慈悲な光景に、思考がまとまらず、
普段は考えない数々の抽象的な疑問が、頭を駆け巡っている。
瞳孔は異常に開き、全身が変なけだるさに包まれています。
再び沈黙が訪れた車内にけたたましく鳴り響く無機質な携帯の着信音。
「はい、、、」
「どーだ、海沿い結構すげぇだろ?」
「えぇ、、、」
「そろそろ合流するか」
我々、一行は今来た道を引き返し、現地部隊と合流したのでした。
現地のスタッフに合流する前に、1時間程時間を潰さなくてはならず、
海沿いのエリアを見に行く事にしたのでした。
■悪夢
海沿いへ向かうため、
メインストリートから適当な路地を曲がると、
そこには悪夢のような光景が広がっていました。
いや、想像できるものしか夢には見れないとすれば、
あの光景は悪夢以上のものです。
倒壊した摩天楼や、第3次世界大戦の後の広がる荒野は
SF映画に描かれますが
小さな住宅街の路地が壊滅している様子など、
今まで想像したこともなかったですから。
しかし、生活に密着した所にこそ、リアルさを感じるものです。
瓦礫の中、車一台がかろうじて通れるだけの整備がやっと。
これが気仙沼という大きな町での、
震災から3週間後の現状でした。
「ひでぇ、、、」
カーステレオの音を切り、
窓を開けると流れ込んでくる強烈な腐敗臭。
さすがに目につく所に死体がある訳ではないが、
この瓦礫の中には、何があってもおかしくない。
みんな、窓の外を見つめたまま、
無言でマスクを取り出します。
崩壊した家々に時折見える人陰。
避難後、状況確認と家の整理に戻ってきたのでしょうか。
何から始めていいのか戸惑い、玄関先に座り込む人。
何かしら見覚えのあるものを見つけて、
瓦礫の山から引きづり出そうとしている人。
車の中と外の現実が違いすぎて、
町の人と目が合わせられません。
沈黙に耐えかねたシロウが口を開きました。
「俺、ここ知ってる、、、」
以前、彼のバンドが気仙沼でライブをした時、
近くの民宿に泊まったとのこと。
「確か、タバコ屋の角を曲がって、、、」
とは言っても、
タバコ屋だった所も、銭湯だった所も、保育園だった所も、
今はみんな同じ。
ただの瓦礫です。
ふと視界がひらけたと思ったら海沿いでした。
辺り一面、文字通り360°瓦礫に囲まれています。
地上に打ち上げられ腐ったサンマの群れが目当てなのか、
カラスやカモメが群れをなし、低空飛行しています。
その先には緊急時らしく軍用ヘリが飛び、
地上にはハマーや軍用トラックに乗った迷彩服の自衛隊員が。
あまりにも理不尽で無慈悲な光景に、思考がまとまらず、
普段は考えない数々の抽象的な疑問が、頭を駆け巡っている。
瞳孔は異常に開き、全身が変なけだるさに包まれています。
再び沈黙が訪れた車内にけたたましく鳴り響く無機質な携帯の着信音。
「はい、、、」
「どーだ、海沿い結構すげぇだろ?」
「えぇ、、、」
「そろそろ合流するか」
我々、一行は今来た道を引き返し、現地部隊と合流したのでした。
■「日本昔話」に見る気仙沼の津波 動画
津波で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市の昔話がネット上で話題だ。津波をテーマにした「みちびき地蔵」というもので、海外サイトでも紹介された。しかもこの地蔵は実在するという。
1975年から90年代中頃まで主にTBS系列で放送されたアニメ「まんが日本昔ばなし」の中に「みちびき地蔵」という話がある。気仙沼湾にある離島、大島に伝わる民話だという。
津波前日、大勢の村人の魂が地蔵にお祈り
昔、母親と幼い子どもが農作業の帰り、地蔵の近くを通りかかった。この地蔵は「みちびき地蔵」と呼ばれ、翌日亡くなる人の魂が天国に導いて貰うため、挨拶に来ると言われていた。この日は子どもから年寄りまで大勢の人々の魂がお祈りをしていた。
母親は、「一体なぜこんな大勢…」と怪訝に思うが、家に帰って夫に話しても「そんな馬鹿なことがあるものか」と相手にされない。しかし翌日、浜辺で何十年か振りに遠くまで潮が引き、普段なら潮が満ちてくる時間になっても、全く満ちなかった。すると突然津波がやってきて浜辺にいた村人達を飲み込んでしまう。親子は高いところに逃げ無事だったが、61人の村人が亡くなったという。話は
「今もこのお地蔵様はみちびき地蔵と呼ばれて、人々は花やお線香を絶やさないそうです」
と結ばれている。
テレビでは1977年に放送されたこの動画が、震災から2日後の2011年3月13日、YouTubeにアップされ、大きな反響を呼んだ。
今回の大津波で果たして無事だったか
4月27 日現在までに約28万回再生された。「昔も同じことがあったんだなあ」「いま改めて見ると怖い話ですね」といったコメントも多数寄せられている。また、このアニメでは津波発生前に地震の描写がないことから「震源地はチリとか外国か」といったものもあった。海外サイトでも「The guiding jizo」と紹介され、「この話が実話をベースにしているのは間違いありません。歴史は繰り返されます」などとブログでコメントされている。
この地域の民話に詳しいリアス・アーク美術館(気仙沼市)の川島秀一副館長によると、みちびき地蔵と呼ばれる地蔵が大島に実在する。いつごろから「みちびき地蔵」と呼ばれたかは不明だが、1770年代に祀られた記録があり、昭和の時代にお堂が建て替えられたという。
「その(日本昔ばなしの)話は知りませんでしたが、こんな話もあります。昔、大きな地震があったとき、逃げ惑う人々に指示を出した人がいました。この人の後を付いていって助かった人々が、お礼をしようと思って探しましたが、結局見つからず『あの人はお地蔵様だったんだ』と言われたそうです」
今回の津波でみちびき地蔵がどうなったかは不明だが、「丘の上にあるのできっと無事だと思うのですが…。今度見てこようと思います」と話していた。
市によると、大島にいる約3200人の島民のうち現在も約200人が避難生活を送っている。まだ多くの地域で断水が続くなど、ライフラインの復旧が急がれている。