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レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの活躍を紹介していきます。

スイスのニュースを発信しているSwissinfo(スイス公共放送協会の国際部)によれば、ロカルノにある城の城壁はレオナルド・ダ・ヴィンチの設計によるものらしい。

レオナルド研究の権威であるカルロ・ペドレッティ氏や歴史家のマリノ・ヴィガーノ氏等もロカルノに集まり、事実の解明に挑んでいる。




ロカルノはスイスで最も標高の低いマッジョーレ湖畔にあり、椿やマグノリアの花々、ヤシの木々が育つ温暖なリゾート地である。スイスと言ってもミラノから北に100km程の位置にあり、弟子メルツィの実家があるヴァプリオ・ダッタからなら更に近いので、もしかするとレオナルドもロカルノを訪れているかも知れない。

当時のイタリアは正に戦国時代であり、ローマを中心とする教皇領、ロンバルディア(フランス領)、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ、ナポリ等の強国が覇権を争っていた。1499年にレオナルドの長年の庇護者であったミラノ公爵ロドヴィコ・スフォルツァが失脚すると、その後6年間にレオナルドはヴェネツィアの統領アゴスティーノ・バルバリーゴ、ロマーニャ公国チェーザレ・ボルジア、フィレンツェ共和国(メディチ家)、ピオンビーノの城主ヤコポ・アッピアーニ4世に軍事顧問として仕えている。

この時代の戦争を大きく変えたもの、それは大砲と地雷の急速な進歩であり、戦闘の方法や城の防御の仕方において根本的な変革が求められたのである。絵画作品を描くのと同時に、長年軍事技術や築城論を研究してきたレオナルドは、こういった君主達に重宝されたようだ。

こちらのデッサンは「二重の濠に囲まれ、多角形の基礎上に建つ要塞のスケッチ」だが、レオナルドによれば、「城壁は大砲の格好の標的になることを避けるために、角のない丸い構造にするべきである。」「城壁の下部には銃眼などの外部に直接開いた構造は作らないこと。」「基礎部分には敵にトンネルを掘られたり地雷を使われたりしても大丈夫なように、十分な強度を持たせること。」等のアドバイスが書かれている。


レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-アトランティコ手稿116r_41v-a要塞のスケッチ
アトランティコ手稿116r_41v-a
二重の濠に囲まれ、多角形の基礎上に建つ要塞のスケッチ
アンブロジアーナ図書館所蔵


しかしながら、これまで実際にレオナルドがデザインした建築物は発見されていない。もしこのロカルノの城壁がレオナルドによる設計だと証明されれば、大発見となるに違いない。