それでも高2まではギャルだった
問答無用。
こんばんは、
RIP SLYMEのグッドチューンには高校時代からお世話になっております ダテナナセでございます。
かれこれファン歴8年目、いや9年目になりますか、
こんなに遊び心のあるおっさんたち他にいませんよ。さいこう。
美大いきたいなってきっかけをくれたのも、実はこのおっさんたちだったりします。
いや、まちがえました、正確にはGROOVISIONSだったりします。まちがえてないけど。
とにかく当時、ジャケやらPVやらグッズが、他のアーティストとは比べ物にならないくらいかわいかったし斬新だった!
おっしゃれー!こんなことしたいな!
って漠然と思った高校1年生。
ちなみにRIPのマイベストPVがこちら
ちなみのちなみにマイベストチューン(えらべないのでベスト3)は
BLUE BE-BOPとミニッツメイドとジグソウルです。
いつかDJやることがあったらどれかはかけたいです絶対に。
高校時代はリップをはじめ
流行りのジャパニーズヒップホップが大好きでした。
ケツメイシキックザカンクルーノーバディノウズああなつかしい!
あとねあとねメロコアとかパンクも好きでした。
モンパチから入り、ハイスタとかハワイアン6とかとかとか~
ハイスタは今でもものすごい聴きたくなるときがあります、さすが。
だからフェス行った時はKen Yokoyamaはいつも見てしまうー!
あとはレミオロメンが売れる前とかもすきだったし
GOING UNDER GROUNDとかアジカンとか
邦楽ロックばかりでした。
ああそうだ
高2~3のころはオレンジレンジにはまってしまって一時期ライブに行きまくってたこともあります笑
もし今自分が高校生だったらきっと
毎日RADWIMPSとか聴いてたんでしょうね。
そんな感じ。
そうして
高3も終わりに近づき、
そろそろ美大生っぽい曲も聴いとかなきゃなと思って
とりあえずCD片っ端から借りて聴いてみたら死ぬほど良かったのが
くるり。
この曲バカみたいに良いよね
なんだかんだ邦楽にどっぷりで
洋楽なんて全然興味がなかったあたくしですが
大学に入ってからは、ストライクゾーンが本当に幅広くなりました。
また気が向いたら書きたいとおもいますー。

PESSY PESがイメージ。
夢を描いたテストの裏
今宵もいきます。
音楽で人生をふりかえる その2。
小5の夏に姉と離れて暮らすようになってから、
あたくし、ごくごく普通の感覚を持った小学生へ、華麗なる転身を果たしました。
まあ、あれよね、
とりあえず、SPEEDは通ったね。
多香子ちゃんがだいすきでした。
ALIVEとゆう映画も公開初日にいとこと観に行った記憶があります。
けっこう話がむずかしくて、特に感想を持たなかったきがする。
とにかくこの頃はJ-POP詳しかったです。
あとはもっぱらジャニーズJrでした。
小原くんが好きで部屋にポスター貼ってました。小原くんって今なにしてるんだろう。
ニノも好きだった。ニノって全然かわんないよね。
さて
中学生になり、
あたくしが史上最強にどんバマったアーティストがこちら。
19です。
あたしのせいしゅん。
なつかしいねこの曲。
特にケイゴのことがもう好きすぎて本当に狂ってました。
(髪が青くてサラサラの方ね)
姉ちゃんがオザケンに対して言ってた“唾液ガンガン飲めるぜ”感覚が初めてわかったのがこの時、少女ナナセ14歳。
もうピッチャーでも全然いけんなと思いました。
そして毎日、ノートのはしっこに
326氏の絵を 本人顔負けのクオリティで描いてました。
そうだ 326さんとは実は大学1~2年の頃マイミクだったんでした。
“もうすぐ芸祭です”的な日記を書いたら、
“楽しそうだね 行ったら案内してくれる?”みたいなレスが返ってきて
ちょっと本気で胸がざわついたのを覚えております笑
まあ来なかったんですけどね
彼らの影響で、
中3のときにはアコギを独学で始めたりしちゃってました。
受験勉強そっちのけ。
得意だったのは「三分間日記」という曲でした。ごきげん。
あーん なつかしいいいい
しかし当時わたくし実は日本におりませんでしたので(ブラジルはサンパウロ、日本の真ウラ。)
ライブに結局一度も行けないまま、
彼らは2002年3月31日、解散してしまったのでした。
わたくしが高校受験のため帰国したのがちょうど、2002年の2月。
完全に入れ違い。
それはそれは号泣でございました。
ケイゴがソロになってからはライブ何回か行ったけども、
弱冠15~6歳だったわたくしにはまだ奥深い彼の音楽性が理解できずに
気付いたら離れていってしまった。
今になってCD掘り起こして聴いてみたらすごいかっこいい。
てゆうか今すげーかっこよくなってんぞ!このひと!
やっぱりあたしの目に狂いはなかったね。
へへん
あたくしが24になったということは、
彼らは32歳になっているはず。
一世を風靡したのが二十歳そこそこだったと考えると、
ほんとうに、月日が経つのははやいものです。
そんなことをぼんやり考えながら今宵も酔っぱらっておりますダテナナセでした
ではまた。
音楽で人生をふりかえる その2。
小5の夏に姉と離れて暮らすようになってから、
あたくし、ごくごく普通の感覚を持った小学生へ、華麗なる転身を果たしました。
まあ、あれよね、
とりあえず、SPEEDは通ったね。
多香子ちゃんがだいすきでした。
ALIVEとゆう映画も公開初日にいとこと観に行った記憶があります。
けっこう話がむずかしくて、特に感想を持たなかったきがする。
とにかくこの頃はJ-POP詳しかったです。
あとはもっぱらジャニーズJrでした。
小原くんが好きで部屋にポスター貼ってました。小原くんって今なにしてるんだろう。
ニノも好きだった。ニノって全然かわんないよね。
さて
中学生になり、
あたくしが史上最強にどんバマったアーティストがこちら。
19です。
あたしのせいしゅん。
なつかしいねこの曲。
特にケイゴのことがもう好きすぎて本当に狂ってました。
(髪が青くてサラサラの方ね)
姉ちゃんがオザケンに対して言ってた“唾液ガンガン飲めるぜ”感覚が初めてわかったのがこの時、少女ナナセ14歳。
もうピッチャーでも全然いけんなと思いました。
そして毎日、ノートのはしっこに
326氏の絵を 本人顔負けのクオリティで描いてました。
そうだ 326さんとは実は大学1~2年の頃マイミクだったんでした。
“もうすぐ芸祭です”的な日記を書いたら、
“楽しそうだね 行ったら案内してくれる?”みたいなレスが返ってきて
ちょっと本気で胸がざわついたのを覚えております笑
まあ来なかったんですけどね
彼らの影響で、
中3のときにはアコギを独学で始めたりしちゃってました。
受験勉強そっちのけ。
得意だったのは「三分間日記」という曲でした。ごきげん。
あーん なつかしいいいい
しかし当時わたくし実は日本におりませんでしたので(ブラジルはサンパウロ、日本の真ウラ。)
ライブに結局一度も行けないまま、
彼らは2002年3月31日、解散してしまったのでした。
わたくしが高校受験のため帰国したのがちょうど、2002年の2月。
完全に入れ違い。
それはそれは号泣でございました。
ケイゴがソロになってからはライブ何回か行ったけども、
弱冠15~6歳だったわたくしにはまだ奥深い彼の音楽性が理解できずに
気付いたら離れていってしまった。
今になってCD掘り起こして聴いてみたらすごいかっこいい。
てゆうか今すげーかっこよくなってんぞ!このひと!
やっぱりあたしの目に狂いはなかったね。
へへん
あたくしが24になったということは、
彼らは32歳になっているはず。
一世を風靡したのが二十歳そこそこだったと考えると、
ほんとうに、月日が経つのははやいものです。
そんなことをぼんやり考えながら今宵も酔っぱらっておりますダテナナセでした
ではまた。


