昭和のバイクのある景色。
☆小学校高学年(1977年)バイクに憧れを強く持ったころに地元で見たバイクとライダー。
正直ライダーと言うか族でした。当時巷で走る棺桶と異名を持ったカワサキのSSにドカヘルの内側を抜き取った無意味なヘルメットを被り、ハンドルをしぼり乗りにくい状態を良しとして3段シートでポォーンと爆音を響かせているお兄さんが多かった。76年にSSからKH(通称ケッチ)に改名されたがどちらも右2本左1本のマフラーが特徴的。スズキGT380のように排気3本に対してマフラー4本も目立った。
そこで出現したホンダCB400F(通称ヨンフォア)から集合管の時代到来。後にヤンキーの間で大流行の半キャップは当時殆ど見かけなかったが、フルフェイスの口元を無理やり10センチ近くカットしたものを艶消しの黒いスプレーして黒い革ジャンにGパン姿が多かった。この頃、ドラマ赤い絆で清純派からツッパリに転身した山口百恵さんの影響でスカジャンも目立ち始めた。近所の400Fも、いつの間にか純正の集合管からヨシムラと貼られた黒い集合管に変わってコンチハンドル。大きな赤いタンクに黒いシートは健在。
車検のない250㏄のKHが主流だった。
坂道の多い地元ではバッテリーが弱くなったバイクは坂がけと言って、ギアをローに入れてクラッチを握り下り坂である程度速度が出た所で一気にクラッチを離すとエンジンがかる場面もよく見かけた。
そして自分たちが16歳を迎えバイクの免許証を取れる年齢になったが、校則で免許証所得は厳禁。1981年頃は、都内では想像できないが、若者がバイクに乗っていれば、やたら職質された。無免許運転が多かったことと、一部の若者の間でシンナーを吸ってラリってバイクに乗る輩が存在したことも影響している。当時は濃紺のドカジャンや特攻服にも見える作業着を着ている者やドテラ姿も多かった。
この頃の人気バイクはカワサキFX やGP、スズキGSX400F
ホンダCBX、ヤマハXJ、水冷のRZ350だった。
また高架下にスプレーで書かれていた落書きは、
〇〇参上!とか彼女の名前なのか、ちえこ命とか。何度命の下に日を足して命日にしてやろうと思ったことか。
ここで、昔のドカヘルや、フルフェイス口元カットから半キャップに至ったのかを考えてみると、俺が乗っているんだ、俺の顔を見てくれと言う自己顕示欲。当時のツッパリはなぜソリを入れたのか?それは額は自己主張の部位。額を大きく見せることで貫録を付けようという想い。当時はいかに大人に見せて舐められないかを重視していたからでしょう。
パンチパーマやアフロにリーゼント。ツッパリで額を隠している人はドラマ以外存在しなかったと言っても過言じゃないほど。そのツッパリ文化を変えたのは1985年頃、吉川晃司さん、チェッカーズの登場で一気にリーゼントは陰に隠れた。戦後陸軍の制服から生まれた学ランや海軍の制服から生まれたセーラー服も徐々に姿を消していったようです。













































































