アドラー心理学に出会った衝撃

アドラー心理学に出会った衝撃

本、「嫌われる勇気」を読み感銘を受けた私、アドラー心理学を実践していくブログ

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 生まれてこのかた27年、自分で言うのもなんだが、頑張って生きてきたと思う。
 というのも、物心ついた時から私は、過度な漏斗胸で、人よりも肺活量が半分しかなく、すぐ息切れや眩暈を起こし、体育も満足にできず、さらに勉強面ではもの覚えも悪く、あまりに親が心配して、知能指数を調べた結果、知識の偏りからか病院の先生から、アスペルガーかもしれないと、なんとも曖昧な回答をもらい今日まで暮らしてきたと思う。
 思春期のころになると、私は人よりも心身ともに劣っているという劣等感から自己主張ができず、俺なんてどこに行っても誰と接しても必要とされてないし、意見を言うなんてもってのほかだと、1人で悩む日々を過ごすのだった。
 そんな私も社会人になり、ここまで私は苦労しているのだ、だから報われる権利は人一倍あるはずと、根拠はないのだが今まで人と接しなかった分コミュニケーションを頑張り、それでも人並みにしゃべれるようになり、自己主張も当り障りなくできるようになった。
 しかし結局は過去の苦しみから抜け出せず、対人関係などの壁にぶつかったとき、結局俺はなにをやっても劣ってる人間だと自己嫌悪になり無気力になる。
 そんな葛藤を繰り返し生きてきたとき、趣味である読書の本を買おうと、近所の書店に行った時、人気の本のコーナーに運命の出会いであるこの「嫌われる勇気」という本に出合った。
 アドラー心理学をテーマに、哲学者と青年の会話のやり取りが書いてあるのだが、最初の原因論ではな目的論の件から私はこの考えの虜となった、いやこの考えが必要だと。
 今まで原因ばかりに気を取られてしまい、今の自分があるのは過去のせい、生まれた能力のせいとしていたのを全否定しているのだ。多少読んだ時はムッとしたが、今まのままでは過去にとらわれ幸せになれないことは薄々感じていた。
 アドラー心理学は兎に角変わりたい一心でこの本を読み、日常生活にアドラー心理学を生かせれないかと考えた。
 アドラー心理学は使用の心理学ということもあり、使用しないと意味がない。この私の日常にどう生かしていくか精一杯考えていきたいと思う。