確率論
多くのビジネス書で、「生産性を挙げるために、不必要なことをしない」と述べられている。
しかしながら、不必要なことを見極めるのはなかなか難しい。
そもそも仕事中の作業工程は、過去に必要だと思われる事案があったからこそ組み込まれたものがほとんどだからだ。
不必要と思われていた作業が、時と場合によっては、とても重要な作業になっていたりすることも珍しくはない。また、不必要な作業から、ブレークスルーが生まれることもある。
結局は、「必要」か「不必要」かは、「確率論」に支配されるのだろう。
決定権
前事務所で、同僚が「この作業は、不必要だ」との類の進言をしたとき、所長は「必要か不必要かは、私が決める」と述べていたことを覚えている。この決定は、ある意味正しいのだろうと思う。不必要なことを勝手に差っ引いていったら、組織が立ち行かなくなるからだ。
あるとき、自分のキャリアにとって、事務所での作業のほとんどが不必要なことと気付いたとき、僕は転職を決意した。自己のキャリアオーナーは、自分自身だ。ワンマン所長と同様に、自己のキャリアは自分で決める。
微笑と沈黙
先日、前職場の同僚と飲みに行った。
僕が抜けた後、僕が不必要だと感じていた数々の作業が他の人間に割り当てられたらしい。
その結果生じた過度の業務負担に関する恨み節の数々を聞かされた。
『煩わしい業務を一手に引き受けてた僕が抜けたのだから、そうなることは当たり前なわけで』
『てか、それまで、ある意味、全員がその手の業務を僕に押しつけてたんだから』
『ぐだぐだ言わずに、やめりゃあ、いいじゃん』
そんな黒い感情を隠して、微笑んで愚痴を聞いてました。
そして、黙って、相槌。
煩わしい業務を一手に引き受けていたことが、転職活動のときのアピールポイントになったのも事実。
何が無駄なことなのか、未だによくわからない。