結婚式
兄貴がとうとう結婚しました。ぜってー泣かねぇーと思ってましたが思わずウルウルときてしまいました。以前書きましたが僕と兄貴は仲がいいわけではないのです。
小学校、父が公務員だからいつも決まった時間に帰って来て家族みんなでご飯を食べていました。中学、兄貴と僕は同じ野球部に所属していました。それでもご飯は決まって家族で食べていました。変化があったとすれば僕も兄貴も反抗期ということもあり、「おい」「お前」とお互いを名前で呼ぶ事がなくなりました。喧嘩もかなりしており「ブッ飛ばすぞ!」「ざけんじゃねぇ!」と汚い言葉が飛び交いいつも母に怒鳴られていました。
高校、兄貴は野球部、僕は陸上部に入りました。当時野球部は名門でいつも練習後に自主練もあり自宅に帰ってくるのは21時過ぎ。その反面陸上部は、もうめちゃくちゃ弱くて陸上部なんてあるの?くらいの存在でした。僕はそれがすごい嫌でした。帰りがバラバラになり家族でご飯を食べる事は減っていきました。たまに休日家族そろってご飯を食べる事があっても甲子園の話ばかり。陸上の話になっても馬鹿にされた感じがあってこれまたすごく嫌でした。再び訪れた反抗期の僕は何を聞かれても「別に」と言っていた気がします。甲子園が決まり兄も背番号を貰いました。家に帰ると甲子園の話ばかりで嫉妬した僕は「試合にでれないなら意味ないでしょ」と兄貴に言い放ちました。これが決定的な出来事です。この日以降、兄貴と話をする事はほとんどなくなりました。
高校後、兄貴は自宅から専門の学校に通い僕は埼玉に1人暮らしを始めました。当然ながら家族そろってご飯を食べる事がなくなりました。たまに地元に帰って来ると駅に向かえに来てくれるのは大抵兄貴でした。特に車の中で話す訳ではありません。音楽だけが流れる車中。家に着いて「ありがとう」と言うのはなんだか照れくさいのでいつも「あざっす~」「さんきゅ~」と手短にして兄貴が「ああ」とボソッと言う。それでもなんだか兄貴との離れた距離感を縮めるような気がして嬉しかったです。友達の紹介で結婚式場でアルバイトをしていた時、その日も兄貴が迎えに来てくれました。
助手席には、後に結婚する〇〇さんがいました。兄貴の彼女と話す感じ。僕がいるからかなのかなんだかカッコつけた感じ。今でも覚えています。マジで気持ち悪かったです。特にイケメンでもない、無愛想で、饅頭みたいな鼻をしている兄貴。なぜ〇〇さんは兄貴と付き合う事にしたのか不思議でしかたなかったです。
兄貴は消防士になりました。
ふと思いましたが、自分の名前を呼んだ回数が多い人ほど愛情を感じるものだと。兄貴の名前を一番呼んでいたのは誰か?母でも父でも僕でもありません。おばあちゃんだと思います。朝起こす時も仕事で帰って来た時もおばあちゃんが迎えてくれる。兄貴にとっておばあちゃんは一番近くにいる存在です。その分一番感情をぶつけてしまったのもおばあちゃん。おばあちゃんが兄貴と話すのが怖くなっていた事を僕は母から知りました。1人暮らしをすると今までご飯を作ってくれた事や洗濯ものをやっていていてくれた事に対する感謝の気持ちをハンパなく感じます。兄貴は1人暮らしの経験がありません。その分一番近くにいる存在というのは時折うっとうしく感じおばあちゃんに冷たく当たってしまう事があったのだと思います。
結婚式、お色直しで合ってるっけ?新婦を実兄がエスコートしました。兄のエスコート役はサプライズでおばちゃんでした。その時僕は、やるなぁ~兄貴分かってる!と思わずにやけてしましました。でもその直後泣けてきました。兄貴と並んでいるおばあちゃんの嬉しそうな顔といったらもう。大好きな読売ジャイアンツが優勝する時以上にめちゃくちゃいい顔をしていました。おばあちゃんの結婚式かと思うくらい輝いていました。
結婚式の見せ場となる両親へのお礼の言葉と謝辞。
親父の謝辞。さすがウチの大黒柱。至ってノーマルな謝辞。さすがだ親父!会場は一気にフワッとなった!さすがだ親父!最後に兄貴のお礼の言葉。冒頭からハリのない声。マジかマジかと思いつつも決して泣くことはせず耐える兄貴。上司らしき人からのゲキが飛ぶ。耐える兄貴。もうすぐ涙が出ちゃうよ!けど必死で堪える兄貴の姿がカッコいい。ここはしっかり決める!という意気込みが顔面から伝わってきました。
兄貴、おめでとう!
僕もいつか結婚したいです。
新婚生活。
新しい食卓が出来た一方で、もの寂しくなった食卓もありました。
データ石浜
兄貴がとうとう結婚しました。ぜってー泣かねぇーと思ってましたが思わずウルウルときてしまいました。以前書きましたが僕と兄貴は仲がいいわけではないのです。
小学校、父が公務員だからいつも決まった時間に帰って来て家族みんなでご飯を食べていました。中学、兄貴と僕は同じ野球部に所属していました。それでもご飯は決まって家族で食べていました。変化があったとすれば僕も兄貴も反抗期ということもあり、「おい」「お前」とお互いを名前で呼ぶ事がなくなりました。喧嘩もかなりしており「ブッ飛ばすぞ!」「ざけんじゃねぇ!」と汚い言葉が飛び交いいつも母に怒鳴られていました。
高校、兄貴は野球部、僕は陸上部に入りました。当時野球部は名門でいつも練習後に自主練もあり自宅に帰ってくるのは21時過ぎ。その反面陸上部は、もうめちゃくちゃ弱くて陸上部なんてあるの?くらいの存在でした。僕はそれがすごい嫌でした。帰りがバラバラになり家族でご飯を食べる事は減っていきました。たまに休日家族そろってご飯を食べる事があっても甲子園の話ばかり。陸上の話になっても馬鹿にされた感じがあってこれまたすごく嫌でした。再び訪れた反抗期の僕は何を聞かれても「別に」と言っていた気がします。甲子園が決まり兄も背番号を貰いました。家に帰ると甲子園の話ばかりで嫉妬した僕は「試合にでれないなら意味ないでしょ」と兄貴に言い放ちました。これが決定的な出来事です。この日以降、兄貴と話をする事はほとんどなくなりました。
高校後、兄貴は自宅から専門の学校に通い僕は埼玉に1人暮らしを始めました。当然ながら家族そろってご飯を食べる事がなくなりました。たまに地元に帰って来ると駅に向かえに来てくれるのは大抵兄貴でした。特に車の中で話す訳ではありません。音楽だけが流れる車中。家に着いて「ありがとう」と言うのはなんだか照れくさいのでいつも「あざっす~」「さんきゅ~」と手短にして兄貴が「ああ」とボソッと言う。それでもなんだか兄貴との離れた距離感を縮めるような気がして嬉しかったです。友達の紹介で結婚式場でアルバイトをしていた時、その日も兄貴が迎えに来てくれました。
助手席には、後に結婚する〇〇さんがいました。兄貴の彼女と話す感じ。僕がいるからかなのかなんだかカッコつけた感じ。今でも覚えています。マジで気持ち悪かったです。特にイケメンでもない、無愛想で、饅頭みたいな鼻をしている兄貴。なぜ〇〇さんは兄貴と付き合う事にしたのか不思議でしかたなかったです。
兄貴は消防士になりました。
ふと思いましたが、自分の名前を呼んだ回数が多い人ほど愛情を感じるものだと。兄貴の名前を一番呼んでいたのは誰か?母でも父でも僕でもありません。おばあちゃんだと思います。朝起こす時も仕事で帰って来た時もおばあちゃんが迎えてくれる。兄貴にとっておばあちゃんは一番近くにいる存在です。その分一番感情をぶつけてしまったのもおばあちゃん。おばあちゃんが兄貴と話すのが怖くなっていた事を僕は母から知りました。1人暮らしをすると今までご飯を作ってくれた事や洗濯ものをやっていていてくれた事に対する感謝の気持ちをハンパなく感じます。兄貴は1人暮らしの経験がありません。その分一番近くにいる存在というのは時折うっとうしく感じおばあちゃんに冷たく当たってしまう事があったのだと思います。
結婚式、お色直しで合ってるっけ?新婦を実兄がエスコートしました。兄のエスコート役はサプライズでおばちゃんでした。その時僕は、やるなぁ~兄貴分かってる!と思わずにやけてしましました。でもその直後泣けてきました。兄貴と並んでいるおばあちゃんの嬉しそうな顔といったらもう。大好きな読売ジャイアンツが優勝する時以上にめちゃくちゃいい顔をしていました。おばあちゃんの結婚式かと思うくらい輝いていました。
結婚式の見せ場となる両親へのお礼の言葉と謝辞。
親父の謝辞。さすがウチの大黒柱。至ってノーマルな謝辞。さすがだ親父!会場は一気にフワッとなった!さすがだ親父!最後に兄貴のお礼の言葉。冒頭からハリのない声。マジかマジかと思いつつも決して泣くことはせず耐える兄貴。上司らしき人からのゲキが飛ぶ。耐える兄貴。もうすぐ涙が出ちゃうよ!けど必死で堪える兄貴の姿がカッコいい。ここはしっかり決める!という意気込みが顔面から伝わってきました。
兄貴、おめでとう!
僕もいつか結婚したいです。
新婚生活。
新しい食卓が出来た一方で、もの寂しくなった食卓もありました。
データ石浜