親に止められるほど勉強した高校を卒業後
父親の猛反対の背中を見つつ…
都会を夢見て上京(実際は埼玉)
一年も経たずに、事故で父親が急死
専業主婦の母の代わりに、高校1年と中学1年の弟のために地元(田舎)に就職
22歳で、足が少し不自由な明るい男性と知り合い…母の反対を押し切り結婚
まだまだ遊びたい夫に苦労したけど、反対されてた手前実家にも帰れず、そのうち妊娠
難産で長女を出産
子煩悩な夫とやり直すことを決意
しばらく落ち着くも、友人の借金を背負ったり、賭け事好きな夫にやはり苦労しつつ子育て
長女は弱視で、障害にならない程度の視力回復の為5歳で3度、札幌で手術
自分がちゃんと産めなかったと責める
長女の保育園が見つかり、その頃では珍しかった共稼ぎ
働いて、夫の足のケアをして、病院代と夫の賭け事代を賄い、長女には惜しげもなくピアノを買い習わせた
働いてるから、子育てに手を抜いてると思われたくなかったから
長女の大学は、食べるものを切り詰め、孫に甘い母の助けを借りて何とか卒業させた
卒業式の時は涙が止まらず号泣🥲
子の手が離れると、面倒を見るものを欲して、犬、鳥、猫、金魚の飼育に全力を注ぐ。
その後、孫には恵まれず、動物たちと足が悪化した父と、高齢になった母の介護に精を出し、自分のためにはほとんどお金も時間も使わなかった
旅行は、長女の夏休みの絵日記のために行った道東旅行と、夫の職場の表彰で行けたオーストラリアくらい
ずーっとずーっと、誰かの心配をして誰かのために生きてたような
弟のため 夫のため 娘のため ははのため
母を見送り、夫を突然死で亡くし、しばらくはショックでまともな生活できなくなったけど
飼い猫と2匹の保護した猫の世話で自分を取り戻して
ママ、これからのんびり自分のために生活するわって。
それから4年も経ってないのに
何も言わずに、寝たまま逝くなんてひどいよ
また明日って電話で言ったのに
一番、心配してくれる人がいなくなっちゃった
一番、褒めて欲しい人がいなくなっちゃった
でも、母からもらった人生楽しく幸せに生きないとね。
母の子でよかった
また会いたい
ママ、ありがとう
でも悲し過ぎる
今の気持ちを忘れないための備忘録、