今日も明け方に地震。

 

昔、産後ウツなのか育児ノイローゼなのか、超絶不安定だった頃、関東もよく地震が起きていた。

 

自宅が大田区だったせいか、空港からの地鳴りもあったらしく、夜中に震度1にもならない揺れで何度も目覚める毎日だった。

 

日中に震度4とかざらだったため、九州出身で地震が怖すぎた私は、暇さえあれば地震についてネットで調べる日々。

 

でも、まぁ、関東で地震が起きたら福岡に帰ろうと楽観的ではあった。

 

が、九州で西方沖地震があった。

 

両親や親戚としばらく連絡が取れず、帰るところが無くなった・・・と思ったのを覚えている。

 

それで防災セットを揃えるべく、ネットだとどうしても高く感じてしまって、自分で必要なものをリストにして、近所のお店を回って買い集めたりした。

 

自分で家計を握っていなかったので、使えるお金も限られていたため、セットになってるものを買えなかったから。

 

その後、福岡に帰り、二度と東京へは行かないって思ってたのに、何の因果か縁もゆかりもない埼玉へ。

 

東日本大震災の後、弟が神奈川へ引っ越すことになった時、両親は反対していたし、私もこの時期に行くのは得策じゃないと思っていた。

 

が、人間何が起こるかわからないものね。

 

これなら5年先もどこに住んでいるかわからない。

 

何をしているだろうか。

 

ここ3年、ゴールを決めずに歩いて来て、まだゴールを決めきれずにいる。

 

誰かの何かの縁に乗って流れ続けている。

 

私はいつも最初の一歩をやってみるだけ。

 

あとは誰かが流してくれる。

 

・・・あれ?ゴール決めててもいつも誰かが流してくれてる人生だったな。

 

じゃあやっぱりゴールは決めた方がいいね。

 

次は何しようか。

多分に漏れず、まぁ様を観に行ったわけですけど。

 

3列目だったので生声も聞こえるかなーと思いきや、真横がスピーカーだったので一切聞こえず。

 

むしろ音楽の方がデカイのでどうしても歌詞を聞き取れない箇所もいくつか。

 

これは、私の右耳の聞き取りの問題でもあるので致し方ないが、この規模の劇場の場合はあまり前方に行かない方がいんだなと学びました。

 

なので耳より目で堪能する方を選ぶw

 

今回は一切の情報を入れずに行ったので、誰がどういう役とか、誰が何の役とか全く分からないまま。

 

今、ブログ書くために公式見ながらってやつ。

 

実は今回、あんまりときめかなかったんだよね。

 

まぁ様の出番少ないせいかと思ったんだけど、でもしっかり泣きましたw

 

まぁ様は素晴らしかったの。かっこいいも綺麗もかわいいもキュンキュンするとこもあって。

 

でも、今までのまぁ様の舞台って、端役の全ての人たちがプロフェショナルというか、幕が開いた瞬間から高揚とか興奮とかがステージから溢れてて、よくわからないけどその熱で観てるこっちが涙出るみたいな。

 

まぁ、このコロナ禍で、声上げちゃいけないし、席も半分潰してるし、大人しくしなきゃいけない雰囲気があるせいかなとも思うんだけど。

 

声を上げられない分、拍手とか手拍子とかで客席は盛り上がるしかないんだけど、全然しないのね、みんな。

 

キャストが少し煽って始まって、でもなんか曲調変わるとすぐ消えるっていう。

 

え、今回は会の人いないのかしら・・・と、戸惑う。

 

客席に蔓延するお利口な観劇の空気に舞台も戸惑うんじゃないかなと思ったり。

 

なんでこんな空気なん?ってずっと気になりすぎてあんまり話に没頭できなかったんだけど、子供は「好きがいっぱい詰まってた」って言ってたから、まぁ、普通はそんなもんかなと。

 

でもずっとなんだろなぁって考えてて、完全に個人的趣向から言うと、ミュージカルっぽくなかった。

 

歌とパフォーマンスを入れた芝居って感じ。いや、ミュージカルなんだけど。

 

その一つに、パフォーマンスの不安。

 

1人だけ新体操やってたんだろうなっていう女性キャストがいて、その人に不安はなかったんだけど、他のキャストさんたちが100%でこの本番を迎えたのかって言うとそうではないと思う。

 

勿論失敗がダメってわけではなくて・・・色々と思うことはあるけど・・・今までのまぁ様のステージは端々まで全員が100%の気持ちと準備でスタートしてるものばかりだったから、舞台から放たれるパワーが弱かったって感じ。

 

ん~もちろん、みんな100%の気持ちで本番を迎えてるとは思うのよ。

 

でも今回は本当にパワーが弱いって思った。

 

題材が題材だけに、圧倒的にパワーがいる舞台だったと思うんだけど。

 

ステージの規模とかキャストの人数とか、似たものも色々見てるけど、サーカスの話しだからパフォーマンスをさせるってのが、もう少し内容に工夫が欲しかったかなぁ。

 

パフォーマンスはパフォーマンスで凄いと思う。私できないし。

 

でもいわゆる大道芸というものが中心だったので、これは1人か2人くらい、もしくは映像でピエロが出てたのでそこだけで良かったんじゃって思った。

 

それがけっこう何度も出て来るので、いや、サーカスの話しなのになんでずっと同じことみんながやるんやろって。

 

それより大勢で踊るか歌うかを観たかったなって。

 

加藤さんめっちゃ頑張ってたけどね。面白かったけどね。

 

なんか空気感がみんなバラバラで、書いてても考えがあっちこっちバラバラに飛んでくぐらい、まとまりがない感じだったかな。

 

悪くはないのよ。

 

面白くはあるの。

 

予備知識持たず行った私が悪い。

 

ストーリーテラー的な役の藤岡さんが降板されて、矢田くんがそれを兼ねてたってのもさっき知ったんだけど、これが意味がわからなくなってた一因でもあったり。

 

毎回この人、今、何の人なんやろ・・・って頭をよぎってたw

 

本来、違うキャストだったわかってたら迷わなくて済んだ、私の怠慢。

 

まとめると、夫婦愛とバーナムの人生とパフォーマンスのバランスが私の好みに合わなかったってだけなんだけどね。

 

中尾ミエさんの歌をもっと聴きたかったし、加藤さんの芝居のやり取りをもっと見たかった。

 

なんか、加藤さんは一人でずっと頑張ってる感で終わったというか、夫婦のシーンは勿論良かったんだけど、他が芝居でのやり取りよりパフォーマンス重視な感じで、他者と関わる感情があまり見えなかった。

 

もしかしたら私自身がダンスとかミュージカルより、ストレートプレイとかリアルな芝居見たい感強めの時期なのかしら。

昨日はいたるところで10年前の震災の振り返りデーでしたね。

 

私は10年前は福岡は博多駅「AMU PLAZA HAKATA」のレストランフロアにある「キャンベルアーリー」というお店のオープニングスタッフとして働いてました。

 

いよいよ翌日には九州新幹線が開通するという日で、フルーツ屋が出すパンケーキ屋でデザートも食事もあるよっていうお店だったので、開店から閉店まで給水するヒマもなくて脱水で頭痛がするほど忙しい日々でした。

 

15時か16時過ぎてやっと休憩になり、職員用休憩室に入ったら、テレビの大きい音と、休憩する人たちの静まり返る姿がありました。

 

当時、一応、まだ結婚してたので、安否確認しようにも電話は繋がらない。

 

カスタマエンジニアの元旦那は社内勤務ではないため、何県にいるのかもわからない。

 

まだLINEはなく、私の携帯もまだガラケーで、Twitterは情報を集める場所というよりチラ裏と呼ばれたくだらない愚痴や文句を誰に見せるともなく呟く場所という感覚でいたので、どう情報を収集していいかわからない。

 

思いついたのは2chの地震板だったかな。

 

何となく、地域ごとの現状とかを把握し、恐ろしいことが起こったことだけは理解した。

 

その何年か前に、西方沖地震があり、九州も大きな地震が起こっていたのだが、その時は私は東京に住んでいた。

 

そしてそういえばその時、両親への連絡も電話ではなくメールの方が早かったことを思い出し、それで関東の親戚や友人からパラパラと安否連絡が来て安堵したのを覚えている。

 

私はいつも、大きな地震が起こる場所にいないことが多く、ほとんど震災の怖さを知らずにいる。

 

阪神淡路大震災の時も、テレビで見て、現実味なく感じていたのを覚えている。

 

私なんぞ、命の大切さとかそういうのを考えるとか伝えるとか、何かどう言っていいかわからないけど、大したことを言えない。

 

自分でどれだけ理解できているのか、どれだけ感じてるかなんて、誰とも比べられないし、誰の気持ちも分かってないとも思うし、分かるとか言えない。

 

だから当日に振り返れなかった。

 

感情的なことも何も言えない。

 

何か思いはある。

 

でもそれが何という感情かは自分でもわからない。

 

だけど風化して欲しくないなとは思う。

 

何の感情かわからないけど。

 

 

11年前の3月9日の哀しい事故と共に、何もできない、何も分かれない、自分へのもどかしさを、とりあえず哀悼という言葉で片づけておこう。

 

 

 

私は忘れてないよ。

小さな命がお母さんの目の前で旅立った日。

人生で一番、生まれて来た意味を神様に問いたいと思った日。

今でも毎年思い出す。

小さな命も、そのお母さんのことも。

お兄ちゃんは元気かな。

お父さんは頑張ってるかな。

新しい家族は迎えられたかな。

事故に関わる全ての人が、今は笑顔で歩いて行けていますように。

小学生の時って、占いとか、おまじないとか、大体、女の子の間で流行るよね。

 

テレビでも今日の占いとかって、星座だったり、生まれ月別だったり。

 

今でもたまにうっすらと基準にするのは血液型。

 

男の子が多い座組だとあんまり気にならないんだけど、女の子が多い座組だと、演出する時に知っておいた方が伝え方だったり組み合わせを考えられるので、多少気にする。

 

当てはまらない人ももちろんいるけど、まぁ、どんな占いでも統計学ではあるので、確率が高ければそこを利用した方がスムーズな場合もあるということで。

 

私はそういう本やネットで見れるような、誰にでも当てはまる占いは、嫌いじゃないけど結果をすぐ忘れちゃう。

 

動物占い、九星気学、四柱推命、星座占い、誕生日占い・・・。

 

誕生日から割り出す占いは、基本が易学だと思っているので、運命の周期とか大体同じような感じになることが多いと思ってる。

 

人気の占い師さんは、いくつかの占いを組み合わせて、独自のものにしている人が多いので、その時の自分のメンタルとか時代に合った占い師さんを見つけるのは面白いなと思う。

 

私は友人に引っ張って行かれなかったら、個別でお金かけて見てもらうってことをしなかったタイプなのであるが、そこでは気学プラスαの占いだったのだけど、その後に私も勉強させてもらって、自分の運気の流れくらいは見れるようになった。

 

ノート見ながらじゃないとわかんないけど。

 

そして確認するの忘れて、後から、やっぱりね!ってなることも多い。

 

待つべき時に待てず、動くべき時に動かず、そうすると1年で叶うはずのものが次のタイミングまでお預けになったり、無くなったりする。

 

まぁ、これは占いとかいう問題ではなく、「チャンスの女神の前髪を掴め」ということなのだろう。

 

お世話になっている元宝塚歌劇団のOGさんに、教えられた言葉。

 

チャンスの女神には前髪しかないから、通り過ぎた時に掴もうと思っても後ろ髪がないのよ、って。

 

普通に姿を想像すると面白いことになるんだけど、私自身、そんな人生だったので、意味はよくわかる。

 

運気とかなんとか気にせずに、自分の実力や経験も顧みず、ちょっとでもチャンスがあれば手を上げて来た。

 

ので、何でも初期は順調に昇り詰める。

 

ダンスも、芝居も、仕事も。

 

その後、私の一番ダメな、努力嫌いが出て、行き止まるっていうのが今までのパターン。

 

人生半分終わってもそんなだからか、最近はまだまだ怠ける理由を探すために占いを見始めたりしちゃってるなって、自覚持ちながら、暦とにらめっこする日々である。

ずっと、やりたいことをやりたいようにしか生きて来なかった私が、自分のやり方が正しいわけじゃないんだと思い知り、自信を失くし、自分は何と才能も能力も実力もない何もできない存在なんだろうと思い込み、生活に関わる全てのことまでも誰かに聞かないと出来ない時期があった。

 

遠くからそれを見ていた友人が、もう限界だなって感じたらしく、俗にいう占いの先生のところに連れて行かれたのだけど、まぁ、占いというか、自分を取り戻す方法を教えてくれた人というか、その後、少しの間、一緒に活動したりしたので仲間のような、姉のような、人生の大事な時にアドバイスをもらう大切な人の一人との出会いがあった。

 

シンプルに言えば、目標や夢を叶えるためにきちんと順序を守って進めて行くこと。

 

「叶える」もしくは「叶う」という強い決意をして覚悟を持つこと。

 

そして努力すること。

 

言葉にするとシンプルで、誰にでもわかってるようなことだけれど、まず順序って・・・何からやればいいん?ってところから始まり、決意とか覚悟って実際心の問題だったりするので「つもり」になってるだけだと、途中で必ず試練が来たりする。

 

それで努力ってのがね、これも「つもり」になりがち。

 

自分を大切にすることと、自分を甘やかすことの違いが分からない私には非常に難しかったりする。

 

それと自分の弱いところを補いながら、やるべき事を粛々と進める。

 

その中には、これ必要か?みたいなことも多々あったりするんだけど、そこを飛ばすと遠回りになって飛ばしたことをやる羽目になったりする。

 

私は自分基準で考えなさいって言われていても、どうしても誰か他者の存在を考えてしまうせいで、幾度となく遠回りし、間違った方向へ行き、何度もゴールを修正して来た。

 

夢とか目標って、思い続けていればいつか叶うというのが、夢を叶えた人のセリフだけど、目標によってはやっぱり期限というものがある。

 

ミッションをクリアする度にゴールへは近づくのは確かだが、順番を間違えたり、クリアに時間がかかるとその時点でゴールが変更になり、いつの間にか新しいミッションがスタートしていたりする。

 

それでもゴールが変わったことに気づかず、元のミッションを進めていると、時々ドロップアウトしたりして、そこでやっとゴールが違うことに気づくというわけだ。

 

五感とか霊感とか感性とか、呼び方や強さが違うだけで同じものだと思っているので、時代を読み取る力や、人の気持ちを汲む力など、常にアンテナを張っていると、自分のゴールも見えてくるはずだ。

 

ただ、そもそものゴールを設定していないと、進むべき道もミッションも現れないと思う。

 

と、理解しているのだけどね。

 

ここ3年くらい、私はゴールを決めきれずにいる。

 

人間50年から80年時代になり、そうすると単純に私はあと半分残っていることになる。

 

これまでそれなりに頑張って生きて来たつもりだけど、まだあと半分もあるのか。

 

って、3年前に40歳になった時に思ったのだけど、そこから3年、まだ、あとの半分で何をしようか考えあぐねている。

自分の機嫌を自分で取るってね、自分を解ってないと難しいもんでね。

 

自分が楽しくなるものとか、癒されるものとか、何か自分が好きなモノを考えればいいんだろうけど。

 

これがね、難しい。

 

今まで好きかどうかっていう基準であまり物事を見て来てなくて。

 

嫌いだなって感情が沸いたモノには反応するんだけど、好きだなぁとかってわざわざ思ったりしなかったというか。

 

あとは、「私が」という感覚をきちんと認識して考えることがあまりなくて、「普通は」「一般的には」「みんなは」とか、自分以外を基準として、想像しながら考えることが多かったせいかなと思ったり。

 

だから自分が何故怒っていて、何故動かなければって思って突っ走ってしまうのか、あまり考えずに生きていて。

 

そこに来て、このコロナで立ち止まることを余儀なくされた時に、自分を大事にするという概念を知って、自分の機嫌を自分で取るための策を思案しているわけだけど。

 

難しいね。

 

ずっと舞台とかよさこいとかやって来て、感情がブレた時には、大体そのブレを無くすために行動するとか、不和の原因を潰すために自分が行動する、結果、破綻ということもしばしば。

 

解決せずに破壊で終わることもあるんだけど、自分が動くことでしか自分の損ねた機嫌を取る術はないと思っていたのでね。

 

でも、コロナで完全に活動が停止した時、私の中では誰かのために何かを創ることをしなくていいんだ、という、どこかほっとしたところがあり、生まれて初めて自由を感じた気がした。

 

職を変え、収入も倍になり、経済的余裕が生まれ、生活することが楽しいことに気づく。

 

長生きしたいとは思っていないけど、病気とか怪我をしながら生きたくないなぁと思い、日常での健康に気を付け始める。

 

通うことが面倒で手を出さなかったジェルネイルも月1で通うようになったが、これは化粧すら面倒で眉毛も描かない、そもそもスキンケアだったり自分の身体的なケアに一切興味がない私には段々月1が頻繁に感じ、優先順位としてケアより美味しいもの食べたいのが勝ってしまったので、表面的な自分ケアはお休み中。

 

これは、いずれ恋愛でもすればやる気になるかもね。

 

そんな感じで自分への興味をあまり持ってないことに気づいたわけだが、そんな自分の機嫌を取るために形から入ろうと思って、職場にはお茶セットを置いている。

 

ルピシアやカルディや成城石井などでちょっと高めの紅茶とかコーヒーとかを淹れて、リンツやゴディバなどのちょっと良いチョコを食べる。

 

子供が18歳になる今年は私の節目の年になるであろうから、次の人生は何をしよう、これから私は何をしたいのだろうか、と、そんなことをもう3年くらい考えているけど、いまだ結論は出ず、今日もイタリアの炭酸水飲んで、カカオ80%のチョコ食べながら仕事してます。

去年からのコロナ禍において、劇場やライブハウスが軒並み自粛となり、消えて行ったハコも多く、多くの表現者は生きるということに困窮したことと思う。

そんな中、あんまり大きい声では言えないけど、私はちょっとほっとした時間でもあったのです。

 

つい3年前までは、舞台を見たこともないし、劇団って福岡にあるの?って本気で聞いてくる普通の人たちに、「好きだから舞台とかやるんでしょ?」って聞かれて、「好きとかいう概念じゃなくて、物心ついた時から舞台があったから、舞台に立つことが生活の一部だったから、食べるとか寝るとかそういう生きるということと同じで、息を吸うのと同じ感覚なんですよね。」って答えていたのだけど、子供の受験を期に縁もゆかりもない土地に引っ越し、友達も親戚もいない新しい場所での生活に慣れるために学校から帰った時に家にいて欲しいという子供の希望のために半年ほど家に引きこもり、その後、やっぱり学校終わって帰宅しても母として迎えられる時間までの仕事を選び、細々と