先日、アップルが一時時価総額で世界最大の企業になったかと思えば、

CEOのスティーブ・ジョブズが退任を発表して、世間を驚かせた。


しかしながら、日本のメディアは島田紳介の引退を大きく報道した。


日本のメディアだから、日本国内を中心に取り上げるのは理解ができないわけじゃない。

とはいえ、影響の大きさを考えたら何に注目すべきかわかるはずだ。

日本の国債は評価を下げた。これは何も驚くことじゃない。少し経済に詳しい人なら予想できて当然だ。


日本は現段階では先進国として、サミットにも参加しているし、パラダイスであるのは間違いない。


そんなことを思っていたら、G8のメンバーにカナダがいることに不思議を感じた。

カナダは先進国であるのは知っていたけどどんな企業があるの?

ナイアガラの滝を見にカナダに入国したこともあるのに企業名を一つも言えない。


以上を契機としてカナダの経済について少し調べてみることにした。

以下、カナダの経済を自分なりにまとめてみる。


まずカナダ経済といって、イメージできるのがアメリカとの強い関係だ。

地理的に優位である。アメリカへの輸出は全体の8割を超える。輸入も5割超がアメリカからのものだ。

では、何を中心に輸出しているのか?

自動車や機械類が中心であり、オンタリオ州ではミシガン州に匹敵するほど自動車産業は活発だ。


カナダは他の先進国と同様に、一次産業に占める割合は3%ほどと少ない。

カナダと言えば林業であろうが、全体の6%と思ったより少ない。しかし、大事な部分であることに違いはない。

それから、カナダは数少ない資源の純輸出国である。

漁業では、グランドバンクが有名だろう。ちょうど潮が交わるところで、浅瀬であるため世界有数の好漁業場である。しかし、近年乱獲され、漁獲量制限が行われている。


最後に製造業を見てみる。

僕が強調したいのはブラックベリーを発売するRIM(リサーチインモーション)である。これはNOKIAに次ぐシェアを持っており(第4位)、日本にも進出している。


現在のスマートフォン市場ベンダー別ランキング

一位アップル

二位サムスン

三位ノキア

四位リサーチインモーション

五位HTC(台湾)


これにて今日のお勉強は終了とする。ださぼの

ノルウェイの森、アフターダーク、海辺のカフカ、もし僕らのことばがウイスキーであったなら、

風の歌を聴け、神の子どもたちはみな踊る、国境の南太陽の西、


そして、今から1973年のピンボールを読み始めるところだ。


村上春樹の小説はある程度一貫性があるように感じる。

文体はもちろんのこと、登場人物の性格や小説に対する春樹氏本人の考えがどの作品にも登場人物の言葉によって表現されている。

死後30年経った小説家の本しか読む価値はない。はずれを引いて時間の無駄をしたくない。それが共通した春樹氏の考えであろう。

ノルウェイの森では永沢さんが、国境の南太陽の西ではハジメくんがそう言っている。

永沢さんとの出会いを生んだ「グレート・ギャツビー」は素晴らしい作品だった。

映画も観たのだが、小説のイメージをほぼ完全に表現していて驚いたものだ。

大抵のメディアミックス作品は原作を壊す傾向にあるからだ。

皮肉なことに、ノルウェイの森もその傾向に沿う形になったことはほとんどの人に異論はないだろう。


それから、登場人物は孤独を好む。クラスにいるみんなでグループを形成して騒ぐタイプでは決してない。

社交的とは言い難い性格にして、社交的な人物から好かれる。

たとえば、ノルウェイの森のキズキであり、神の子どもたちはみな踊るの蜂蜜パイの高槻である。


ここに僕が村上春樹の小説に惚れる理由がある。

どちらかというと僕は社交的なキズキや高槻タイプだ。それは表面的なもので、実のところワタナベや淳平に近いものを精神的に抱えている。

煩わしい世の中を横目に自分自身は何者なのか、僕は何処にいるのか、いるべきなのか、といった類のことを考えていたい。

現実社会をうまく生きていくには、少しバカにならなきゃいけない。

だからこそ、本当の自分を周りの目に流されることなく実現しようとしている春樹氏の小説に魅力を感じるんだ。

小説は現実逃避であり、理想の実現でもある。



村上春樹というと、一般に過激な性描写を思い浮かべるかもしれない。

しかし、そこに本質はないと思う。それは特徴であり、魅力ではない。

過激な性描写が読みたいのなら、官能小説を読めばいい。


特徴といっても、松井秀樹のバッターボックスに立った時のしぐさとは種類が違う。

本塁打がたくさん打てるという特徴の方だ。

つまり、村上春樹の性描写は特技といったほうがしっくりするかもしれない。

男の性質として、女を抱きたくなる性欲を表現することもある。

ワタナベも直子と会えない時、永沢さんとバーに行き、そこで知り合った女の子と寝た。

そこには愛もないし、意味もない。

そうした現実的な表現とは別に、人との交わいを通じて自分を知る、世界の中の自分の位置を確かめるための交わいがある。

村上春樹の小説の登場人物は周りの同級生や社会になじめない人が多い。

そんな彼らが世界中のモノとの距離や自分が生きている意味を知るために、知ろうと葛藤する姿を通じて、

読者に考えさせる。

自分自身を見つめるために、登場人物を見つめる。

普通、人の考えていることはわからない。それを小説が可能にしてくれる。


ノルウェイの森が、アフターダークが、海辺のカフカが、もし僕らのことばがウイスキーであったならが、

風の歌を聴けが、神の子どもたちはみな踊るが、国境の南太陽の西が、

可能にしてくれた。



まだまだ読んでない村上作品もありますが、

まずは1973年のピンボールを読みます。ださぼの

身をよじって体の中の悪いもんをすべて吐き出した。

体の外も中も高熱の泥沼に犯されているような感覚。


吐いても吐いても、オレンジ色した液体しか出てこない。

ふと、昨日にさかのぼって考えてみても、

オレンジ色した食べ物も飲み物も摂取してない。


きっとビールが体内でなんらかの変化をもって変色したんだろう。


昨日の記憶ははっきりしているものの、なんだかいつもの自分じゃなかった。

少量のビールを口にしただけで全身の血液がビールになってしまったような感覚。

僕は終末を迎えたんだろうか。

ろくでもない日々を過ごし、ろくでもないと思える世界をこのまま泥酔状態で歩いて行くんだろうか。


目が覚めて、昨日思い切り蹴っ飛ばしたマイチャ凛子のことが気にかかった。

彼女はいつものように、僕を迎えてくれた。

昨日の僕も、今日の僕も君は君だよ、と。


さて、午前中はなにをしようか。

ある人のブログを読み尽くすことを午前の課題に決めた。


彼女は学生時代に友人をほとんどつくらなかったという。

きたのきいちゃんがでてくるドラマの中でも女子のいじめは残酷で正義だとか誇りのようなものは感じられない。

そうした、女子の表裏が離別した関係が嫌いだった。

それから、高校は男子高に進学しようと考えた。


それは不可能だった。

彼女が入学すれば男子高は共学高に姿を変える。


結果的には女子高に進学した。

女子高もある意味で男子高に近いものであろう、というのがその理由だ。


しかし、小中と抱いてきた不満はそこでも起こった。

当然。ごく当たり前の自然の摂理に適ったことだ。


そこでも彼女は友達をつくらなかった。


往々にして、学生時代に培った能力が人生を左右する。

コミュニケーション力が彼女から離れていった。友人とくだらない話を何時間もするほうのコミュニケーション力だ。

僕から見て、彼女は一般的な、どちらかといえばパブリックなコミュニケーション力はある。


社会に出れば、そこには男も女も同じように存在する。

同じように存在するべきである。


僕は正直、男子高や女子高をつくる意味はあるのか、と疑問に思った。

今だけ勉強に集中するために男子高?

生涯勉強だと思う。

変な男につかまらないように女子高?

社会に出てからのほうがダメージ大きいと思う。


男子高女子高への疑問と他に、人には人の人生がある、という当たり前のことに改めて考えさせられた。

僕の人生はこれからも続くけど、これまでは幸せだった。

平和でありたい、という信念が実現されてきた。苦しい時期もあった。

それはそれで、辛かったし長かったから、明るい未来を考える余裕なんてなかった。


高校で僕は変われた。

人の愛。家族以外の人の愛に触れた。笑顔のあふれる毎日を過ごした。


いいことがあってこその笑顔じゃなくて、笑顔でいりゃいいことあると思えたら

それがいいことの序章です


桜井さんのこの言葉に出会ったのもこの時だった。


そして、今僕は幸せだ。


いいこともやなこともあるけどさ、

笑顔で幸せを呼び寄せようよ。ださぼの