世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣径 大辺路を回る | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 世界遺産紀伊山地の霊場と参詣径には伊勢路・小辺路・中辺路・大辺路があります。今回は大辺路を回りました。

 

 ここは橋杭岩です。弘法大師は本州から紀伊大島に一晩で大橋を作ろうとしました。そこへ鬼がやって来て、夜が明けるまでに作れと言いました。大師は橋桁をかけ始めたのですが、鬼がコケコッコーと一番鶏の鳴き声を真似たので、大師は夜が明けたと思い橋を作るのを止めてしまいました。今では橋桁だけが残ったので、これが橋杭岩となりました。

 

 そんな伝説が残っているのですが、実はこれ、紀伊半島はユーラシアプレートに乗っかっています。熊野灘からはフィリピン海プレートが北西方向に沈み込んでいます。そのため玄武岩質の岩が南東方向から北西方向に並んでいます。つまり圧が掛かって弱い岩盤に玄武岩がせり出しているのが橋杭岩です。橋杭岩だけでなく、紀伊半島の東岸には同じような岩が平行に並んでいます。

 

 ここは本州最南端串本町の紀伊大島にある樫野灯台。南国らしいハイビスカスの赤い花が咲いていました。ここには明治期の御雇外国人ブラントンが設計した日本最古の石造りの灯台があります。

 

 真夏の今はハマユウが白い花を咲かせています。春浅い時期に来ると一面にスイセンが咲いています。年末にはソメヨシノが一輪咲いていたことがあります。最南端の街はやはり暖かいのでしょうか。それにしても今日の暑さは格別です。

 

 日本には登れる灯台があるのですが、ここは数少ない灯台です。今日の熊野灘は快晴で波は少なめ。やはり黒潮躍る熊野灘といわれる荒々しい海が好きです。

 

 泊まったお宿は白鯨。メルビルの小説からとったのでしょう。これは鯨ミニコースです。

鯨のベーコン・ささり、南蛮漬け・ごま和え・ハリハリ鍋です。皮が美味しい。これでミニコースで、フルコースはどんなお料理なのでしょう。びっくりです。

 

 ここ和歌山県太地町は、古くから鯨を捕っていました。昭和の時代には南氷洋の捕鯨基地となりました。

 

 最後には竜田揚げか出てきました。これってフルコース並みのおもてなしです。鯨のような知能の高い哺乳類を捕るのはタブーだとみる考え方があります。私たちは、牛や豚も食べています。うさぎを食べると可愛そうと考える人もいます。私たちは、鯨やうさぎを食さない方を尊重しなければならないと思います。でも、食べる人も尊重してほしい。それはその国の食文化なのでしょう。違いの違いをお互いに尊重して、快く過ごしたいものです。何だからダメだと決めつけないでください。鯨のお味かみしめながら、そんなことを思っていました。食事は本当に美味しかったです。命を頂いて、私たちは生きている。そのことを実感しました。

 

 白鯨の海側のお部屋からはオーシャンビュー。ところが左右に山があって視界は狭いです。夜になるとここは漆黒の闇夜になります。視界が狭い分、街灯などの光害がありません。なぜか流星が出ていました。光がないとこんなに流れ星が見えるのか。ペルセウス座流星群の極大期は12日なのですが、すでにもうその走りが始まっているのでしょう。朝日を撮りましたが、一眼カメラがなかったので満天の大空を写すことはできませんでした。

 

 水平線には漁り火、水平線の上には漆黒の闇の中に昇ってきたばかりのスバルがぼんやり輝き、流星群の始まりを予兆しています。白鯨から見える窓は、大海原に接続しており、その上には宇宙に直接繋がっているのです。

 

 二つの山に反射した潮騒は、さらに部屋まで木魂して伝わってきます。満天の空の下に広がる珊瑚の海を想像しました。ここには鯨を養う豊饒の海が広がっています。

 

 串本の無量寺。江戸自体の絵師蘆雪が京都から個々に使わされて竜虎図を描きました。

 

 この屏風絵、どこかでご覧になられた方もいらっしゃるかと。本物はここにあります。天明6年京都から使わされた蘆雪はここで筆を振るいました。蘆雪の絵は控えめで緻密なのですが、南の国に出向いて、画風は大胆な物になりました。はみ出しそうな虎と龍。蘆雪は串本で清新さがはじけてしまったのでしょう。それは日本の絵画界に新しい風を起こすきっかけになりました。先駆者という存在はいつも孤独です。

 

 熊野という風土が蘆雪の天才を開花させた瞬間でした。熊野はやはり隈野。世の果てなのです。その隣は黄泉の国。死と生を繋いでいます。そんな現身で絵を描けば、彼の魂は自由となり常識をはみ出して、虎も龍も自由を得てふすま絵を飛び出してきたのです。無量寺の空間には天明6年の時空が今更ながらに展開されています。一度美術館に入れば、江戸時代の不思議な空間が広がっています。

 

 帰路の朝食は那智勝浦町でとりました。勝浦は何と言ってもマグロの遠洋漁業の基地です。本マグロが1800円で食せます。マグロのちゃんぽん・カツアゲ・刺身・フレークと多彩です。フレークだけでご飯一杯が完食できそうな勢い。お味噌汁もマグロのつみれ。何と豪華なのでしょう。

 

 何とカマ焼きが出てきました。これって注文してないんですけど。店長のサービスです。お肉がいっぱい骨にへばりついていてこれまたご飯がいっぱい完食できそうです。

 

 人はなぜ熊野に向かうのか。それは熊野があの世を繋ぐ所だからです。しかも、そこには黒潮躍る熊野灘の海の幸が満載なら、熊野への憧憬はひとしおだったことでしょう。

 

 

今回の旅を3:59の動画にまとめました。見てね! 馬馬馬馬馬