世の中ゴールデンウィーク真っ最中。暇なので奈良県桜井市のたこやきあほやに行きました。二時間もかけてたこ焼きを食べに行くのはあほや。それでも、お味はそれだけの価値があります。なんと言ってもふわとろで卓越した美味しさなのです。
自分が頼んだのはぺちゃ焼きです。たこ焼き三個にチーズと卵一個を焼いた物。これがまたたこ焼きより美味しいと思います。
桜井を後にして吉野山の蔵王堂にやってきました。今日は祭りもないので観光客は多くはありません。日本最大の秘仏がご開帳です。
稲荷さんの前に檜の大樹の切り株を発見。花より団子です。といっても桜の季節は遙かに過ぎ去り、新緑の陰で一休み。宮内庁献上の草餅は絶品です。
蔵王道の左側に日本最古の天満宮があります。その謂われは何回もこのブログで紹介しましたが、おおよそこんな言い伝えがあります。
日蔵上人が笙窟で修行をしていると冥土に彷徨いました。日蔵はそこで菅原道真に会います。私に従う眷属たちが私を太宰府に左遷させたので怒り日本に災いを起こそうとしている。私はそれを抑えることができない。もし私を威徳天として祭ったならば眷属も怒りを止めることができるかもしれない。仮死から蘇った日蔵はそのことを伝え、ここ蔵王堂に天満宮を祭ることになったと言います。もちろん天満宮と言えば、京都の北野天満宮や福岡の太宰府天満宮が有名なのですが、由緒から言えばここの天満宮が最古と言うことができます。
境内には稲荷神社を始め十一面観音菩薩が祭られています。ここは愛染明王でなぜか若い女性がしきりにお祈りをしています。弓矢を持っていてキューピッドと言われています。この矢で男性の心を射貫くのでしょうか。あまりにも恐れ多いので堂内にも入れるのですが、外から撮影しました。本当に美しく鎮座されていて必見です。
帰り道に平宗に寄って柿の葉寿司と山菜巻きをゲットしました。パッケージのデザインが素敵なので、捨てるのが惜しいほど。
柿の葉寿司は鯖に酢飯をのせて柿の葉で包んだ吉野の伝統品です。柿の葉は殺菌効果があり、奥深い吉野で生まれた逸品です。
山菜巻きは何とおぼろ昆布で巻いてあります。海苔ではないので甘辛く炊いた山菜と昆布のだしがよく合います。8個も入っていて620円でお値打ち。しかも、ショウガやお箸にお手拭きまでつけてありました。さりげないおもてなし。
ここのお寿司は美しくてもうほとんど芸術品の域です。ここも宮内庁献上品。結局一日中何をしていたかというと、食べ歩きでした。
吉野山にも松尾芭蕉が訪れています。江戸から故郷の上野に旅した紀行文「野ざらし紀行」の中で一文があります。
独り吉野の奥にたどりけるに、まことに山深く白雲峯に重なり、煙雨谷を埋んで、山賤の家所々にちひさく、西に木を伐る音東に響き、院々の鐘の声心の底にこたふ。昔より此の山に入りて世を忘れたる人の、多くは詩にのがれ、歌にかくる。いでや唐土の廬山といはんもまたむべならずや。ある坊に一夜をかりて
砧打つて 我に聞せよや 坊が妻
西行法師の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町ばかり分け入るほど、柴人の通ふ道のみわづかに有りて、さがしき谷を隔てたる、いとたふとし。かのとくの清水は昔にかはらずとみえて、今もとくと雫落ちける。
芭蕉が吉野を訪れたときは一人だったようで、山深く峰々には白い雲がかかって渓谷には煙った雨で覆われていたようです。西方には木杣人たちの家が散在し木を切る音が聞こえてきます。古来よりこの山に入って世の中の喧噪を逃れ、その多くは歌の道に精進しました。それは中国の廬山に比することができるでしょう。芭蕉は宿坊に一夜を明かします。
織物のつやを出すための砧(きぬた)の音を聞かせておくれ。宿坊の女将よ。
西行庵は吉野山から少し山深く入ったところにありました。木こりが通る山道がわずかにあるだけで、やっと探して谷を隔てたところに庵はありました。西行が聞いた清水はその当時と変わらず滴が落ちていました。
二月に西行庵を訪れたことがありますが、前日に雨が降ったのか、木々の細枝が凍り付いていました。もう一時もいられないほど、寒々とした所です。近くの清水だけが凍らないで音を立てて落ちていました。
杣人たちが木を切る音、妻たちが砧を打つ音が吉野の渓谷にこだましてきそうな情景です。芭蕉は透徹した目と耳でそれを十七音に定着しただけなのでしょうが、その音が今も聞こえてきそうな一句です。
芭蕉は西行を一つの到着点として見ていたようです。しかも、世を離れて山奥に入り歌に沈潜する。芭蕉ほど世の中の喧噪に深く入り込んだ人はいません。芭蕉は藤堂藩の家臣として幕府の命を受けて江戸の上水事業を指揮しました。今で言えば、大手ゼネコンの総元締めのような役割です。芭蕉が担当した上水は関東大震災が起こるまで江戸の飲み水をまかなっていたほどです。引退した芭蕉は陸奥の旅に出て「奥の細道」を初め多くの紀行文を残しました。野ざらし紀行はその一つです。吉野山を訪れたのは、芭蕉が帰着点の一人である西行法師を慕ってのことでしょう。世俗のど真ん中に深く関わり、山深く世俗を離れて歌の世界に耽る。この一首は俗なる世界と聖なる世界とを振り子のように往復して生まれた物なのでしょう。