紀伊半島の中部には三重県から伊勢湾に流れる櫛田川が東西に流れている。その反対に奈良県から和歌山県を通り大阪湾に紀ノ川が流れている。この2つの川はまるで川筋が一つの川のように衛星写真からは見える。これは二つの川が中央構造線上にできたからと考えられる。中央構造線は日本を南北に分ける大断層で、高見山以西では年間5mmずれている。つまり千年では5mずれることになる。
地図でどんな断層が分布しているかと言えば、金剛山地が南北に断層があるのを除いて、上の地図のように大小様々な断層が中央構造線上にあることが分かる。
もし、この断層がずれたらどうなるか。震度7程度の地震が起こることが分かる。もっともこれらの断層が今後30年以内に起こす確率はほぼ0%でまず起こらないと考えた方が正しい。ただし、石鎚山の西側では最大0~12%という確率が出ている。
これを東海地震・東南海地震・南海地震など南海トラフのプレート型地震の発生確率と比べると随分低いことが分かる。これらの三つの地震は連動して起こると考えられていて30年以内に起こる確率は70%程度なのでそれと比べたらこの地域は一安心といったところ。
しかし、阪神淡路大震災も東日本大震災もだれも予知できなかったし、予知するのは難しい。だいたい日本列島はユーラシアプレートとフィリピンプレート、太平洋プレートのせめぎ合いの造山運動でできているので、地震が発生するのは当然のこと。それならいつ起こるかは知りたいのが当たり前。
発生確率0%なら起こらないと考えたい。でも、最近和歌山県北部で起こっている直下型地震の多発が気になる。これらはプーレート型地震とは関係がない。日本気象協会の地震発生地図を見るとそれが分かる。
どの地図を見ても圧倒的に和歌山県北部で起きている。震度一や二程度の地震は黙殺されやすい。震度3でも日常茶飯事になっている。さすがに震度4になるとニュースになる。最近では和歌山市の議会中に天井のライトが落下した。これも地図に出てくる地震の一部に過ぎない。専門家の見解はこれらの頻発地震が巨大地震になることはないと考えている。確かに小出しにエネルギーを放出しているより、返って一気に巨大なパワーを放出した方が災害は大きくなる。
多くの専門家は中央構造線と地震の関係に注目しない。また東日本大震災と火山噴火は別のもだと考える。サイダーを揺すれば泡が出るように、岩盤が揺れたら地中のマグマにも影響があるとは考えない。東日本大震災の揺れが東日本の火山活動を活発にさせたと考える専門家もいる。ならば、中央構造線上で発生している頻発地震と中央構造線断層帯との関連はないのだろうか。それにしても発生確率が0%といわれても和歌山県北部の地震はもう少し注目してもいいのではないだろうか。
発生確率0%の想定に想定外を生きる知恵が必要な気がする。想定外を想像できて、それに備えをしておけば想定外のことが起こったとき、想定外を生きることができるかも知れない。自分自身が率先的な避難者になること、そのとき最善を尽くすこと。自分が生きていなければ家族を守ることはできないし、何もできないことになる。
地震予知も噴火予知も自然科学には理論屋と観測屋がいる。私たちが地球という惑星をどのくらい知っているだろうか。理論にしても観測データにしてもそれはほんの一握りの知見しかないことを忘れてはいけない。そんな中で0%という数字をどう読み取るか。そこから何を考えどう行動するかが問われている。
ここまでは3年前の今日、書いたブログの内容。
それ以降、中央構造線上での地震はなりをひそめている。和歌山県北部での地震はむしろ3年前の比べれば減少傾向。この地図の震源も中央構造線からはかなり離れている。ただ今年和歌山県北部で震度1の地震が1月に起こっている。
3年前、能登で4000年に一回、震度7、半島の北岸が4mも隆起するような地震をだれが予想できただろうか? 能登半島を形成したのはあのような地震が積み重なってできたもの。それに対して紀伊半島は、熊野カルデラと室生カルデラという地球という惑星では最大規模のカルデラ噴火でできている。能登での幾つもの巨大地震がなかったら能登半島はできてないし、二つのカルデラ噴火がなければ、紀伊半島はない。本州はバナナのような形をした島になっていただろう。同じ半島でも地質的には全く異なる要因だが、その上に生活している人間にとっては災害そのもの。誰も予知できないことには、備えるしかない。少しでも災害を減らすこと、少なくとも人災にはならないようにすること。想定外を想像できたら少しは災害を減らすことができる。起こってしまえば最大限の努力をするしかない。
神戸市には震度7を体験できる設備がある。実際に2度ほど体験したが、なすすべもなかった。そのとき最大限の努力をしろと言われてもどうしようもない。津波なら少しでも高いところに逃げることもできるかも。しかし、直下型地震では何もできないと言うことが分かった。何もできないなら、何ができるのか。神戸の防災未来センターの体験以降、備蓄を始めた。食料や水、シュラフ、携帯トイレ、電源、衣服などを一つにまとめた。幸い、使ったのはポータブル電源だけだった。1日半台風で停電の時。
今回の能登半島地震でも、想定外を生きる力ってどんな能力なのか改めて考えさせられた。想定を超えたことが現実に起こること。それを想像する能力が必要だと思った。そして、起こったら何もできないけど、最大限の努力をするしかないことも。具体的には率先的避難者となること。蚤の心臓だと言われてもいい。古代中国で大地が崩れると恐れていた杞と言う人がいたらしい。彼のような無駄な怖れを杞憂という。恐れる必要はないかも知れないが、備える必要はあると思う。今日もブログに地震のことを書いた。3年後はどこでどんな地震が、災害が起こっているだろう。その日のためにも、今、自分ができることを考えみたい。