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darunamiのブログ

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何か情報を発信したいがためではなく、ただ情報を集めたかったり、文章力を向上させたかったり、思いついたことを客観的・論理的に書く練習がしたかったり、タイピングに親しみたかったり、という理由のもと、気軽に不定期に書きたいと思っています。
最も、アメブロのことはよくわかっていませんが。。。

現在、僕は大学生という身分にありますが、大学に行かなっかった(行けなかった)知人から、「いいなあ、大学生は楽しそうで。」という、意見を耳にします。

さて、これはどういう意図があるのでしょうか?

僕はこのような意見に心から賛成はできません。
以下に理由を挙げて説明したいと思います。
もっとも、個人の価値観に正解・不正解などはありません。

第一に、日本の大学は往々にして、世界の名だたる大学ほどの機能を有していません。
日本の大学レベル、すなわち大学院未満のレベルにおいて得られる知識はほんの基礎に過ぎません。理系は大学院に進学してやっとその功利が得られるということはその証左であると言えます。他方文系においては、いわゆる教養と言われるものを学ぶことが主流となっており、その実態は偏差値が低くなればなるほど授業のレベルや価値が低くなっています(筆者は大学を2つ通っている)。この理由は、経済界から求められたり、大学院未満のレベルにおける、特に文系の研究価値は非常に低いものとみなされていたりと様々あります。いわゆる教養と言われるものは多少知的好奇心の強い人なら新書などを使って学ぶことはできるし、非常に高いお金を費やして学校に通うことのほうがリーズナブルに新書等を利用して学ぶことよりも有益だとは到底思えません。つまり、大学で得られる教育水準は一流大学を除けば決して高くないかもしれないのです。実際、偏差値の低い大学ではほとんど授業に出ることなく、悠々と毎日を過ごしている学生もいます。このような日本の大学の現状において、厳しい受験競争を勝ち抜き、大学進学後も特定の知的関心を保ちつつ、未来の自分の明確な像を形成できるでしょうか?大学とは、自ら能動的に情報を収集し、価値づけていかねば、何も達成することのできない、極めて個人主義的な環境だと僕は思います。そのような強い意志を持たない者が大学に進学してもなあなあになるのが関の山です。まあ、個人の勝手ですが。

第二に、大学は時間の無駄かもしれないということです。
一般的に大学は四年制で、教養を学ぶところです。巷ではモラトリアム期間と言われていたりします。個人個人が自己の興味関心を発見する絶好の機会と言ってよいでしょう。しかし、すべての人にこの煩わしい制度が必要でしょうか?確かに、多くの人は自分の夢ややりたいことが見つかっていないと思います。しかしそれを見つけるために大学に通うのはコスパが悪くないでしょうか?教養は大学に通うよりずっと安く身につけることが可能だし、大学に行かないほうがかえって自分に向き合う時間が増える分、自己分析が容易になります。加えて、すでにやりたいことが見つかっている人にとっては、四年という手順を踏むことも、興味のないことを学ぶことも時間の浪費になりかねません。畢竟、大学に通う理由は大学生がモラトリアムを利用してワイワイ楽しそうに日々を過ごしている姿に憧れ、嫉妬しているからに過ぎないのではないでしょうか?そのような大学生活に意味や意義はあるのでしょうか?高校の延長線が大学になってしまうのではないでしょうか?そんなものに大金をかけるのは両親にも自分にももったいない気はします。

第三に、自分の境遇に同情してほしさを大学生活に投影しているに過ぎない場合です。
大学に行けないのはほぼ間違いなく自分のせいです。金銭面での障害は奨学金で賄えるし、親からの指図命令に関してはそれに反対せず服従したに過ぎません。その程度で歪められるような信念であるなら大学へ行ったところで何も変わらないでしょう。高校の延長線程度です。全ては自分の勉強不足や意思決定の未熟さに尽きます。

以上から、大学に行きたいという発言にはそれ相応の意思やプランが見いだされません。
もちろん、たくさんの人間に出会えることや、様々な刺激がもらえること、大学卒業という得点に預かれること等メリット(?)もあり、一概には否定できないし、個人の自由です。
単なる憧れや、同世代の圧倒的多数への同調主義の表れがその発言であるのなら、もう一度内省してみることもまたいいのかなと思います。

おわり