その場所は技術を身につけ障害という殻を割ってみんなが認められるような人間を養う場所である。
それはそのとおりだが、障害という殻を割ってみんなが認められるような教育が十分ではない。
なぜなら、教える人は教えられる人の日本手話という言語を潰して日本語を中心に教育している。
母語を潰すのは不快だ。それは耐えられない。
社会のために日本語が大切なのは確かだが聾という社会を潰すのはきにいらん。
だからわたしは自分の母語と聾文化を潰されるのがイヤだからいろいろやったが、先生のつなじがこわい。
それを原立てて抗議したが、社会のためだしょうがないと無視された。
精神的つかれた。
期待と夢を抱えてその場所に着いた。
イメージと全く違った。
聾の私が聾という理解低い場所におるのが不快でたまらなかった。
聾者のためにいろいろしてくれると親切は始めだけだ。
私は手話という言語が母語である。
その対応をしてくれるとおもいきゃ、口で喋っていて手話を使わないのが現状。
数年耐えて来たが限界だ。
それでその場所から出て、契約社員になった。
ある人は訓練学校に入った。
ある人は親の手伝い。
その場所にいる聾者は耐えて関東の大手会社に入る人がおる。
その人曰くその場所へ戻りたくない。