と考える必要もない。

小学校に入る前、すでに自分の存在が許せなかった。

何がと言われても幼少期にそんな事を考える頭はない。

ただただ自分の事が、自分に起こる事が。

自分が嫌いがゆえに、他人に話しかけるのも苦手だった。

ただ言葉を話すより前から好きだったものの話をする時だけ、

それが話せる大人とは話せていた。

当時は自分と同じ年で話せる相手がいなかった。

 

保育園時、友達…と自分が勝手に思っていた相手だけ…その相手だけ少しだけ話せた。。。が、それとてハードルが高かった。

名前は知っていた、でも呼べなかった。

話しかけたい時、近くに静かに寄って「ねぇねぇ、ちょっと…」それが限界だった。

何をして遊んでいたのかは覚えていない。

どんな話をしていたのかも覚えてはいない。

ただその友達と思っていた子の事は記憶に強い。

 

その、周りで楽しそうにしている他の子と違う、何をするのもいちいち考える自分が嫌いだった。

その性格なので、心から楽しいと思う時間はとにかく少なかった。

没頭できない。

好きな事ですら、人に見せる事ができなかった。

常に自分を隠す事ばかりしていた。

そんな自分の動向も嫌いだった。

そして物理的に自分が存在している事そのものも嫌悪していた。

 

幼少期の写真を見ては、親が「アンタはかっこつけだった」と言っていた。

自分を偽る事か隠す事でしか人の前にいられない。

 

今でこそユニセクシャルなルックスの男性も受け入れられるが、当時は男は男らしくという時代。

その時代にあっては、ナヨっとした見た目で、よく女の子みたいと言われたり、妹より貧相に見えたのか兄と思われる事も少なかった。

時には女の子用の服を着せられたりもしたようだ。

ただでさえ自分が嫌いなうえに、余計に自分の見た目も嫌いだった。

だからこそ格好をごまかす事でしかいられなかったのかもしれない。

そして偽る自分そのものも嫌い。

結局何をしても嫌だった。

 

自分の何かが嫌いなのではなく、自分の存在、自分に起こる出来事、自分を見られる目、自分が何かをすること。

すべてが嫌いだった。