<文献>

・「『マンガ嫌韓流』と人種主義-国民主義の構造」 坂垣竜太(前夜2007春号)

■「嫌・韓流」?「嫌韓・流」?

・『マンガ嫌韓流』(山野車輪 普遊舎2005)は「嫌・韓流」というよりは「嫌韓・流」、扱われている内容は日韓ワールドカップから朝鮮植民地支配、日韓条約、在日朝鮮人「問題」へ及び、植民地支配の美化、謝罪、補償は必要ないと説いている、韓国批判にとどまらず、朝鮮人総体に対するバッシングの内容

・「人種主義―国民主義」(あるいは「排外主義的ナショナリズム」):「ナショナリズム」といってもさまざまなベクトルがある。ここでは「日本人」という国民を立ち上げるのと同時に、その裏面で朝鮮人を排除し、蔑視をし、序列化する人種主義と国民主義が不可分にくっついている構造がある

Ex)「日の丸・君が代に対抗する市民ネットワーク」に届いた、嫌がらせメールにおいて、日の丸・君が代に反対すること自体が「朝鮮人」や「中国人」だと位置づけ

 最後には「嫌なら出て行け」⇒これはナショナリズムか?

               ナショナル・アイデンティティと人種主義

 本質化とマンガ特殊論

・『嫌韓流』の本質化:第四話において「韓国」は「捏造しているんだ!」から話は飛び、→朝鮮時代「小中華思想」を持った「朝鮮人」→日本敗戦後に「朝鮮人」が「自分たちは戦勝国だ」と主張、『嫌韓流2』第二話、「韓国」のベトナム派兵、メキシコやアルゼンチンでの「韓国人」問題、パラオでの「韓国業者」による問題、ロス暴動の「韓国系の店」など⇒過去であれ、現在であれ、また国家であれ国民であれ、国内のマイノリティであれ、   さらに国籍が何であれ、こういったものがすべて一つの脈絡に入ってくる

「そもそも○○人は●●という存在だ」と規定する力学、本質化作用

・ステレオタイプでの描き方:韓国から来た人たちは、目が吊り上がり怒鳴り散らすイメージで描かれ、朝鮮人の発言に「ニダ」がつく⇒マンガ特殊論で開き直る

 国民主義と人種主義の結合


・ガッサン・ハージ『ホワイト・ネイション』において、ムスリム女性のスカーフを突然剥ぎ取るといった明らかなレイシズム(人種主義)の論理と白人中心で語られる「寛容」なマルチカルチュラリズム(多文化主義)が、いかに同じ論理上にあるか

・スカーフを剥ぎとった人へのインタビューから「オーストラリア」という「ナショナルな空間」を管理する「主体」はわれわれホワイト(白人)なんだ、こいつら(移民、ムスリム)はいらないとスカーフを剥ぎとる→人種主義と国民主義の結合

・家の例:アリが家の外にあると気にならないが、家の中に入ると排除する

:「寛容」と「不寛容」の線引き ・『マンガ嫌韓流』においても家の例が出てくる

「家」:戸籍を持つ家族=<日本というナショナルな空間>

・「在日」はろくに働きもしない「居候」か?

・帰化した在日の登場人物に語らせる:なぜ朝鮮人だけが「帰れ!」と言われるのか、それは在日に問題が? 在日朝鮮人は「家」の管理者たる「日本人」に「出て行け」と言われたら自分のせいだと考えろという無茶苦茶な話

・帰化すれば、問題ないのか? 否、かつて韓国籍を持ち、日本国籍を取得した政治家、白真勲、平田正源を挙げながら、「立候補直前まで韓国人だった人達が本当に日本の国益のために働いてくれるかな?日韓の利害が対立したとき、どう動くか見ておくべき」と「国益」の論理にもとづいて監視のまなざしを向ける→要するに「日本国」というナショナルな空間は「日本国民」が管理するが、その「日本国民」の主体とは、どこまでも人種化された「日本人」プロパーなのだというメタメッセージがある

■ 9.11以降の世界と<嫌韓流>

常にエクスキューズ(言い訳)をともなって議論される 「一部」が悪い 「一部の在日朝鮮人は敗戦直後に非常に悪いことをした」→911以降 良心的ふりをしながら、徹底的にテロリスト(と疑わしきもの)を排除する「不寛容」な権力形態と軌を一にする

例)一部テロリストが悪いんだとアフガニスタンとイラクを攻撃、全員から指紋を採取

「一部の悪」を前提に全体を統制・監視・攻撃していく構造と

二者択一を性急に迫るグレイゾーンをいっさい認めない権力形態

・伊藤博文を暗殺した、安重根はテロリストか?テロリストを讃美する韓国人は人類の敵

・「一部の善」:としての新日派?韓国人作家 呉善花や鄭大均、浅川晃広など

・「通名の批判」:可視化されれば、「日本人」にとっえ弁別、管理・統制するのが容易

・チマチョゴリ事件の自作自演説 人種主義の隠ぺい、正当化

■ 植民地主義の正統化

世界的にみても、2001年ダーバン会議において、人種主義、人種差別は植民地主義が克服されていないところから起こるのだというコンセンサスに至る

植民地主義の歴史的正統化は人種主義にとっては必要不可欠:『嫌韓流』において、「白人」の「植民地主義正当化」と同じ論理で語られる

■ 人種主義の欲望としての歴史

・「日韓併合」の前の日朝関係と朝鮮内の動向

・「米の増産」と人口増

・植民地近代化の問題点 90年代後半の「新しい歴史教科書をつくる会」

 ⇒植民者たる日本人エリート男性と、朝鮮人「新日派」エリート男性が、朝鮮人女性をはべらせて語り合うのが、<嫌韓流>の「友好」か?

問題は日本の植民地主義による近代化と植民地主義そのもの 

■ 受容と欲望の構造

・この漫画には多くの「驚き」と「論破」のシーンがある→読者も?

・さらに、なぜ今まで知らなかったのか、その解答も与える:「反日マスコミ」(朝日、毎日)や「近隣諸国条項」に操作された「教科書」のせい、「戦後民主主義」のせい、「韓」や「反日」によって今まで騙されていたという歪んだ被害者意識を持つ、一見、マスコミ・公教育批判で体制批判のようにみえ、いまの日本社会で疎外感を覚える人には気持ちよかったりするような構造

・モヤモヤから解き放たれ、その先に待っているのは人種化された「日本人」

・『嫌韓流』の購買層:必ずしも「若者」ではない、「若者の右傾化」では問題を捉えられない

 人種主義・国民主義とどう対峙できるか

<嫌韓>は戦後のPCPolitic Correctness)批判か?終戦間もないころの「差別・偏見」が、冷戦の左右対立に還元する言説の中で、相対的に不可視になり、ポストバブル・冷戦期に表現の場を獲得。復活したというよりはまだ人種主義的差別構造は根強いということ

:泉靖一「日本人の人種的偏見」調査など

・「つくる会」が出てきたとき、従来、学界が正しい歴史知識を生産する→マスメディアや公教育という流通経路を通じて市民に受容させ、消費されていく:「啓蒙主義」のプロセス

しかし、「つくる会」はプロセスを飛ばして、流通の場に登場し、影響力を獲得

その後、歴史研究者が対応したが、歴史的に、史実として間違っていると指摘するのも大事だが、それだけでは足りない。そこをどうするかが問題。