帰省したときに手に入れたかったものがある。
それは・・・大谷焼
大谷焼とは・・・
http://www.kougei.or.jp/crafts/0429/f0429.html からの引用
安永9年(1780)徳島藩主から南京・唐津(磁器の焼成)をするよう命令がおり、九州より職人を多く雇い入れ、藩窯を造り、磁器の生産を開始しましたが、材料が地元にないため損失が大きく、短期間で閉窯しました。その後、天明4年(1784年)納田平次平衛が信楽焼の職人を雇い陶業技術を習得し、大谷村(現在の鳴門市大麻町)に登り窯を築き、陶器(民窯)の生産を開始したことが大谷焼の創始とされています。
明治時代には藍甕、大正時代には戦時景気と多様な変遷を経て、今日では大甕から日用雑器まで広範な製品が生産されています。
20代前半は白い器がシンプルでいいなと思っていたけれど
20代後半から焼き物に惹かれるようになった。
で、ダリと付き合うようになって、単純に見た目がどうのというよりも
思いが入るものがよくなった。
思いというのは『仲のいい友達といった旅先でみつけた作家もの』とか
単純に器云々の美しさだけでなく、その友達との思い出がある。
器を見るたびに思い出を楽しめる・・・そんなものが好きになった。
友人が心をこめてプレゼントしてくれたもの
友人が心をこめて作ってくれたもの
旅の思い出
そういうものはとてもとても大切にできることに気がついた。
大谷焼は故郷を思い出すものとして、
持っていたいと思う焼き物だったりする。
今、マグカップとフリーカップで大谷焼を使っている。
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ということで・・・
我が家から四国八十八箇所1番札所に向かう途中にある森陶器 へ。
駐車場には大甕がずらりと並ぶ。
ちなみに・・・大甕はこんな感じで2人がかりで作られます。
けろくろといいます。
http://www.awanavi.jp/article/0000988.html
より引用
中に・・・
コーヒーカップがずらーーー。
あまりにたくさんあるので悩んでいたら・・・。
母がもう一軒行ってみましょうよといいだして
元山窯
へ
ふとレジの下の棚に
焼味噌皿を発見!
下に穴が開いている。
この器は名前の通り味噌を焼くための器・・・
http://www.shimaya-miso.jp/omiso/index_misoyaki.html からの引用になりますが
こんな感じで焼くための器なんですよ。
こ・・・これは欲しい。
別にお猪口として使ってもいけそうだし。
こうやって焼いて食べてもみたいし。
ベランダに七輪もあるし。(←たまに使ってる)
七輪にしなくてもオーブンで使っても良いし(←穴の意味なくなるけれど、そんなの関係ねー)
取り皿を買いに来たつもりが
即決!
焼味噌皿を買ってしまったので・・・
日本酒も買って帰らなくちゃ♪
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※知ってたら誰か教えてください。
焼味噌皿って徳島だけなんでしょうか?
私の実家では祖父が持っていました。
遺品整理で母が捨てたかしまいこんだかしてしまって、行方不明になったのですが。
当たり前のように使っていましたが・・・東京で友人に聞いても誰も知らないといわれ(^▽^;)
あれ?徳島だけのもの?とちょっとだけ疑問に思ってます。