melma!blogのほうで、「イージー・ゴーイング」まで辿りつく
ここ数年の健さんの精神的な旅を著書や批評に沿って、
連載してくれるそうだ。
amebloで初めて健さんのことを知って、これから発売される
「イージー・ゴーイング」を買って読んでみようかなという
方々にぜひ読んでもらいたい。もちろん私もとっても楽しみ。

「歓喜の歌」が文庫になり、解説を素樹文生さんが書かれているらしいのだけど、その解説を読んでrosemaryさんがmelmablogのほうでこんなことを書いていらした。


>山川健一アニキの文学、そのとおりだと思う。
>また、「出し惜しみがない」というあたりで思わず
>深く頷いてしまった・・・。
(中略)
>たとえば私のように、ロックがわからない、オートバイなんて
>端でみているだけで触った事も無いマックにはあこがれるけど
>手が出ないといった人間があまりに頓珍漢な質問をしたとする。
>そんな時、きっと、質問をしたほうがあまりにおばかで理解
>できなかろうが、すごく親切に説明してくれるんじゃないか
>という気がする。憶測だけど。

まったく私も深く頷いてしまう。
「出し惜しみがない」っていうのは、よく言われることで、
『こんなことまで書いちゃっていいの??』と思うこともあるほど。ちなみに、私もオートバイや車のことも全然わからないし、マックユーザーじゃないです。
だけど、健さんはすごく間口を広げておいてくれるというか、「来る者は拒まず」っていう人だと思う。
まぁ、去る者も追わないと思うけど・・・(笑)。
私が健さんの本を読んだのは中学生の頃で、小説もエッセイもよく読んだ。
エッセイは、扱われているテーマ(ロックミュージシャンや小説家や
画家などなど)のことの半分は(それ以上?)当時の私には知らないこと
ばかりだったけど、何故か面白くて何度も繰り返して読んだものです。
どうしてかな、って考えてみると、たぶんrosemaryさんが書かれている
ように、私みたいに無知でおばかな子に対して、「わかんない奴は読むな」
みたいな、そういう文章じゃないからだと思う。

山川健一という人は決して人を見下したりしない人だ。
また、必要以上に自分のことを、大きく見せない人だとも思う。
等身大な人というとなんだか安っぽいメッセージソングを歌う流行歌手みたいな例えなので、私は健さんのことを「自然児」だなぁと常々感じている。
読んでいる側が驚くほど健さんの書く文章の中には小説、エッセイを問わず「山川健一」本人がいる。(たぶん、それを「出し惜しみがない」とみな言うのでしょう)
その表現の仕方は、作家というよりもミュージシャンに近いのかもしれない。
そういう作風を一部の偉い(?)評論家からは批判されることもあるようですが、たぶん、このことが私が健さんを信用する最も大きな要因になっているのだと思います。

好きなバンドでも好きな作家でも、作品だけでなく表現者そのものに魅力を
感じる人。信用できるかどうかっていうのは、私にとってすごく大事。
結局信用できるかどうかで、一つ二つお気に入りの作品が手元にあればいいかなって
思うか、その後も長く追いかけて行きたいかどうかってのが決まる。

昔、甲斐よしひろがバンドメンバーを考えるときに、

腕はすごくいいけど、心はまぁまぁな奴
腕はまぁまぁだけど、心がいい奴

の二人がいたとしたら間違いなく後者を選ぶよね、って言ってたことがあるんですが、こういう考え方って好き。
あ、別に健さんの腕がまぁまぁだって言ってるわけじゃないですよ。
どちらが信用できる奴かっていう例えです。
誤解無きよう・・・(汗)。
ただ、健さんはベストセラー作家じゃないですよね。
健さんよりも有名な作家さんはたくさんいるし、私もたまにそういう作家さんの
本を読むこともあるけど、健さんよりも「好き」と思える人はいないし、
たぶんこの先もいないだろうと思う。
だから、今はブイブイたくさん作品を書いている時期だけど、
もしかしたら落ち込んでしまってパッタリと作品が出ない時期がやってくるかもしれない。
そうしたら、私はのんびり健さんの新しい作品を待つのだろうと思し、
健さんが「ロックは終わった」と言い、私自身は「どうなのだろう」と答えが出なくても
全然関係ない。
信用してる、っていうのはそういうことなのです。
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