お母さんが亡くなったっていうよりはいなくなった感覚だった。忘れたくないから記録用。


市民病院から4時ごろ電話があって嫌な予感がしたらお母さんが亡くなった連絡だった。お父さんが電話に出て今まで見たことないくらい真面目な顔をしながら返事してた。

病院に行くとお母さんはナースステーション内のベットに横になってた。青白い顔を確認し触れると冷たい。亡くなったと実感したら自然と涙が静かに流れていた。声を出さないで泣きながらお母さんの顔を擦ってた。

お母さんはトイレで倒れていたみたいで職員の人が見つけてくれたときには息を引き取ってた。


亡くなる1ヶ月前から実家に戻って毎日お見舞いに行っていた。

日に日に力が出ないのか口数が減って寝ている時間が増えていた。黄疸で黄色く腹水が溜まっていてお腹が張って苦しいと話していた。私はお母さんに甘えたことがあまり無くて触れることに慣れていなかったけれど、お母さんの痩せた青白い足を擦ったり手を握っていた。あと少しでお母さんの声が聴けなくなるって考えるといつも泣きそうになってぐっと堪えてた。


亡くなる日の前日もお父さんと妹と私でお見舞いに行った。

医師からは今月持ちこたえるのは難しいと言われて死期が近いことを知っていた。

お母さんは痛みが酷くて麻薬で痛みをおさえていた。すぐ眠くなるのか話は出きるけど会話は終わってしまう。

帰ろうとしたけどなぜか私はお父さんはお母さんと今2人きりで話さなきゃいけない気がして話した方が言いよって伝えて2人きりにした。次の日に亡くなったから予感って当たるんだなとふと思った。


ナースステーションからお母さんを霊安室に移動した。

すぐに葬儀屋さんを探さなきゃいけなく葬式の手配や準備で忙しかった。私は妊娠6ヶ月か7ヶ月で基礎体温が上がっている上に夏だったから汗だくだった。

妊婦は葬式にでない方がいいって言う風習は無かったから良かった。お母さんの葬式だから周りに何を言われても出るつもりだったけど。

お母さんは恥ずかしがり屋だったから仲のいい内輪だけで葬式をした。昔ひいおばあちゃんの葬式の時蝋燭の火を絶やさないように棺の側で寝たことを思い出した。親戚のおじさんが棺が開いて遺体が起き上がったことがあるって話を聞いて本当かなと思った思い出がある。今は太い蝋燭があってよほどじゃなきゃ消えないみたい。

私は毎日お母さんの顔に触れた。


1番泣いたのはお母さんを火葬する時だった。故人には関係ないかもしれないけどこの世に残ってる私たちにとっては火葬で1番いなくなることを実感すると思う。

火葬場でずっとお母さんに触れながら泣いた。妹はあまり泣く方じゃないけど2人で声を出さないで涙を流した。

火葬が終わって骨を拾う時ひいおばあちゃんよりお母さんの方が骨の形が残っていた。私は本当に小さな骨まで残しちゃいけない気がして拾った。

地元の地域は骨壺をお墓に入れないで直接散骨する。

お墓を開けると少し灰が残っているだけだった。そこにお母さんの遺骨を1つずつみんなでお墓に入れた。骨壺の細かい灰も逆さまにしてキレイに入れた。お母さんが傍でみているような気がした。


葬式が全部終わって家を元通りにした後棺が置いてあった部屋で休憩した。お父さんは酷く疲れたのか座布団で倒れるように寝てしまったのが印象的だった。お父さんもこのまま起きないんじゃないかって心配になるほどだった。配偶者を亡くしておくりだすっていうのはこんなにも人を脱け殻のように疲れさせるものなんだ。お母さんが病気になってからお父さんは時折寂しそうにお母さんを見ていた。来るもの拒まず去るもの追わずなお父さんはお母さんが大好きだったんだなと実感した。


お母さんが亡くなった年の12月が子供の誕生日だから子供の年齢がお母さんと会えなくなった年月だ。

お母さんが亡くなる前に産まれる子に会ってみたい?って聞いたことがあるけどどっちでもいいとお母さんは答えた。元々子供が好きじゃないからかなと想っていたけど動けなくなる前に一緒に赤ちゃんの靴下を買ってくれた。起き上がるのが難しくなってからはお金をくれておくるみを買った。


今でもお母さんに会いたくなる。まだどんな声だったとか顔だったとか癖とかを思い出せる。私は歳をとりながらシワやシミが増えておばあちゃんに近付くことは好きだ。生きて歳を取るだけで自分を大切にできている気がするから。

でも歳を取るにつれてお母さんを少しでも忘れるのは嫌だ。

子育てでお母さんもこんな悩みがあったんだなって考えることも楽しい。

お母さん大好きだよ。