こんにちは、インド占星術家の有本です。
今日は、自分を客観的に見るということについてお話します。
人には感情があります。
人に嫌なことを言われたとき、怒ったり、悲しんだり、恐怖したりします。
その時に、どういう反応をとるか?でその人の真価が問われます。
怒っている時。腹が立つのはわかります。
しかし、腹が立つ、というのは悪いことで、因果応報の法則で言うと、悪いカルマになります。
人を殴れば、因果応報によりいつか自分が殴られる立場になるでしょう。
しかし殴らなかったとしても、殴りたいと思った時点でカルマになるのです。
もちろん、本当に殴った場合に比べたらかなり軽いカルマではあるのですが・・・
できるだけ、怒りや悲しみや恐怖の感情はなくしていきましょう。
では、どうすればいいのか。
それは、自分を客観的に見てみるのがよいでしょう。
自分を自分と思うから、だめなのです。
何も考えずにいたら、「自分」に飲み込まれてそのまま怒り、感情、恐怖、色々な感情に飲み込まれてしまいます。
そうではなくて、スマホで撮影した自分の動画を思い浮かべてください。
スマホで撮影した自分が、画面内で何か人に言われてイライラして、その辺の物に当たり散らかして、家族に文句を言っているとしましょう。
その動画を見て、あなたは自分自身を見苦しいと思い、冷静になることでしょう。
このように、自分の心の中でもうひとつ、自分の心を作り、そして元の自分の心の動きを注意深く観察してください。
自分の感情の動きに気づき、怒っているときにわれを忘れて怒るのではなく、
「現在、自分は怒っている」と認識し、なぜ怒っているのかを考えるようにしてください。
そして、怒っている理由を深堀りしてください。
私は怒っている。
なぜなら、あいつはあんなむかつくことを私に言ったからだ。
なぜ、あいつはあんなむかつくことを私に言うのか。
それは、あいつの中では、それが当たり前のことだからそういったのだろう。
しかし、それは私にとってはとても嫌なことなのだ。
なぜ嫌だとあいつは分からない?
それは、あいつはそういう人間だからだ。
なぜあいつはそういう人間なのか。
それは育ってきた環境や、関わってきた人間がそのような人間にしたのだろう。
だから、あいつがああいうことを言うのは、あいつにとっては当たり前のことなのだ。
そして、あいつの当たり前が私の当たり前と違うからこそ、私は怒っているのだ・・・
という形で、色々と今自分が怒っている原因を分析していきます。
そうすると、怒りの感情は次第に消えていきます。
私がよく行き当たるのは、怒りという感情は、
相手と自分との常識、当たり前だと思うことの違いにより発生するものだと考えています。
そして、当たり前が違うのは、普通のことです。
人によって、育った環境も場所も違うのですから。
それはもはや自然現象といってもよいでしょう。
だから、あいつがあんなむかつくことを言った。それは自然現象と同じなのだ、
と突き詰めて考えれば、そうなります。
雨が降って、空に怒る人はいません。
風が吹いて、風に怒る人はいません。
それと一緒で、誰か、人に怒るということは、やっても仕方がないことなのです。自然現象なのです。
そのようにして、何か自分が感情に飲まれて我を忘れそうになったときは、
現実に帰ってくるように心がけましょう。
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こんにちは。
インド占星術師の有本です。
こんにちは。
タイトルの
「誰にどう思われようと、どうでもいいことに対してプライドを持っている」
というのは、私の親友の名言です。
日本人は、人にどうみられるかを気にし過ぎなので、
この言葉はいい薬になるかなと思いました。
私自身も、誰にどう思われても気にしないように頑張ろうと思っています笑
さて、今日は、
人間関係など上手くいかなくて当たり前という話をします。
人は、十人十色みな違います。
ですから、いくら友達作りが得意な人であろうと、
いくら友達作りが苦手な人であろうと、
どんな人間でも、
必ず気の合う人間はいます。
ただし、気が合う人間は、
私の人生の経験上
人間が10人いるとしたら、
2人は私と気が合う人間で
6人は普通の人間で
2人は気が合わない人間
のような気がしています。
そしてこれは大体どんな人にでも当てはまると思います。
私は大学時代、物凄く交友関係が広く、
友人もとても多い人間でした。
君ならどこに行っても通用しそうだね
とよく言われたものです。
私も、自分のコミュ力には自信がありました。
しかし、会社に入ってその自信は打ち砕かれました。
あまりにも、会社の人間と気が合わな過ぎたのです。
同僚もそうでしたが、
同じ課の課長や、先輩社員とあまりにも気が合わな過ぎて
同じ日本語なのに中々通じないレベルでした・・・
誰とも気が合わないので、
私は社内に友達をあまり作ることが出来ず
どんどん孤立していきました。
そして、学生時代は友達の多いひょうきん者だった私ですが、
会社では口数の少ない、面白くない、仕事もできない、つまらん奴。
という評価を下されていました。
・・・今思えば、私はコミュニケーション能力が高かったのではなく、
「自分と気が合う人間を見抜く」のが上手で、
そういう人間を周りに集めるのが上手だっただけではないのかなと
思っています。
学生時代は、人間関係は自由です。
知らず知らずのうちに、
自分と気の合う人間同士で集まるのは当然のことです。
しかし、会社員は違います。
気が合おうと、合わなかろうと、
無作為に決められた人員と同じ時間を過ごさねばなりません。
無作為に人間を集めたならば、
10人いれば、
2人は気が合う人
6人は普通の人
2人は気が全く合わない人
になるので、
世界の8割の人間は、自分と気が合うわけではない
ということを考えねばなりません。
学生時代は、
2割の気が合う人間ばかりとつるむので気づきませんが、
会社というものは、
2割の気が合う人間ばかりとつるむことが出来ませんので、
自分と気が合うわけではない8割の人間と上手くやっていかねばなりません。
そして、自分と気が合うわけではない人間と、
いかにうまくやっていくか。
これこそが、本当のコミュニケーション能力だなぁと思うんですね。
まぁ偉そうに記事にするまでもない
当たり前のことを書いているように思いますが・・・
自分の一挙一動が、
人によって色々な受け取られ方をします。
自分が無意識に取っている行動が、
2割の人間には「良い」と思われ
6割の人間には「気にしない」
2割の人間には「癇に障る」
と、なるわけです。
どんな行動をとったって、
自分のことを悪く思う人間は絶対的にいるわけです。
これはもうどうしようもない、仕方のないことなんです。
だから、誰にどう思われたって気にしない。
みんなに良く思ってもらうことなど不可能なのだから。
どんな行動とったって、
絶対に誰かしらから文句は出てくるのだから。
自分として出来ることは、
人のことを悪く思わないこと。
人の悪口を言わないこと。
悪意を持たないこと。
常に善意を持って行動をすること。
これをただやっていくしかありません。
善意を持って行動しても、悪く思う人もいるのだから仕方ありません。
どうやったって、絶対に誰かから文句やなんやは発生するので、
自分としては気を着けながら最善の行動をとるのですが、
最善の行動をとったのであれば、
もう「誰にどう思われたってどうでもいいということに対してプライドを持つ」
という状態になっていけばいいと思います。
これが、集団行動をとる際のうまくやっていくルールかもしれませんね。
少しでも参考になったのであれば、拡散していただけると嬉しいです。
今まであなたは、こんなことを思ったことがありませんか?
「勉強していい会社に入ってお金稼いで結婚して子供作って死ぬ。それが生きる意味なのかな?違和感がある・・・」
「私は何のために生きてるんだろう?」
「神様や、幽霊や、魂や、輪廻転生とかって本当にあるの?」
「運命ってあるの?」
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こんにちは。
インド占星術師の有本です。
今日は、怒りの正体についてお話しします。
色々な相手に怒りを感じることがあると思いますが、
最も怒りを覚えやすいのが、
彼氏彼女や、夫婦などの男女関係だと思いますので、
これを1つ例にとってお話しします。
個人差はありますが、
男性と女性は違う世界感で生きています。
例えば、
A子さんとB男くんがいたとします。
A子さん「寒いね」
B男くん「そうだね」
A子さん(察しが悪いな・・・イラッ)
A子さん「あのね・・・なんでストーブ着けてくれないの?」
B男くん「はぁ?じゃあ最初からそう言えよ」(イラッ)
あくまで例ですが、
こういったような、話はよく聞くと思います。
察せない男に、ちゃんと言えない女。
これは男が悪いとか、女が悪いとかそういう話ではなく、
単純に、お互いが考える「当たり前」のことの違いだと思います。
先ほどの例でいくと、
A子ちゃんは「寒い」と言われれば、
察して何かしてあげるのが当たり前と思っています。
A子ちゃんが逆の立場なら、
「寒いの?じゃあストーブ着けてあげようか?」
となります。これが優しさというものでしょう。
B男くんは「寒い」だけ言ったら、
相手に「寒いの?じゃあストーブ着けようか?」と言わせなければならない。
そういう風に相手に気遣いを要求することは、申し訳ないし失礼なことだ。
だから気遣いを相手にさせないことが優しさで、そうするのが当たり前だと考えています。
B男くんが逆の立場なら、最初から「ストーブ着けて」と言うでしょう。
A子さんも、B男くんも、どっちも正しいです。
ただ、A子さんとB男くんはこのことがきっかけでケンカになります。
A子さん「寒い、で分からないの!?」
B男くん「じゃあ最初からストーブ着けてって言えよ。何でそれが言えないんだ?」
これは、両者の当たり前がぶつかっているだけです。
お互いが生まれた環境、性別、年齢、国、父親や母親の環境、兄弟姉妹が何人いたか、
などなどで、それぞれの人の「当たり前」が変わってきます。
人が誰か違う人に怒りを覚える時は、
ほとんどの場合、この「当たり前」の違いから
何でお前はこういうことをするんだ?理解できない
という当たり前の違いで怒りを発生させます。
しかし、それは仕方のないことなのです。
育った環境が違うから、当たり前は違って当然。
それは悪いことではなく、ただの自然現象なのです。
なので、相手が失礼なことをしたと感じても、
相手は失礼にするつもりは全くなかったかもしれません。
あるいは、こちらはきちんとしているつもりでも、
相手は失礼に思って怒っているかもしれません。
A子ちゃんとB男くんの例もそうですね。
これは、どんなに気を付けても、
『当たり前』の違いは必ずあるので、
そこで怒っても仕方がない。
ただ、『当たり前』が違うんだね、仕方ないね
というだけの話です。
なのであなたが相手に対して何か怒りを感じる時、
そこにはあなたの「当たり前」と相手の「当たり前」の違いが生じて、
怒っているのかもしれません。
しかし、それは「当たり前」と「当たり前」が違うのは自然現象なので、
怒っても仕方がありません。
雨が降ったから空に怒ったり、
雷が落ちたから雨雲に怒ったり、
いちいちしないでしょう?
それと同じことなのです。
「当たり前」と「当たり前」が違うのは自然現象。
従って、いちいち怒る必要なし。
ということですね。
怒りと言う感情を、一度横に置いておいて、
よくよく相手の当たり前を確認し、
どこに相手の当たり前に抵触したのかを考え、
自分の当たり前とすり合わせる必要があります。
そしてそういう作業を進めていくことで、
色々な考え方を理解できるようになり、
器が広くなっていきます。
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こんにちは。
インド占星術師の有本です。
今日は、幸せな人生よりも、
苦労から学ぶ人生の方が価値が高い話をします。
我々は、みんな幸せになりたいと思って生きています。
そして不幸を避けたいと思って生きています。
しかし、幸せなだけな人生から学ぶことは少ない。
不幸を通して学ぶことで、人は成長することが出来ます。
先日もブログに書きましたが、
私は、昔、京都大学に合格したいと思い、
高校時代はめちゃくちゃ勉強しました。
高校一年生時点での偏差値は54です。
京大は偏差値70越えないと難しい。
高校時代は、友達と遊んだ記憶がほぼありません。
ただ、勉強ばかりガムシャラにやっていました。
血を吐きそうなほど勉強しました。
その結果どうなったか。
高校二年になった時、偏差値は68まで上がっていました。
学年トップクラスの成績に上がっていました。
最終的に、京大を受けるまでの実力にはならず、
難関私大と、地元の国立を受かり、
地元の国立大学に進んだのですが・・・
京都大学に行けなくても、別に良かったと思っています。
結局大事なのは、何を学んだかだと思います。
勉強を死ぬほどやるのは大変なことです。
ロクに友達と遊ばず、バイトなんかするはずもなく、
ただただ机に向かい続ける日々。
物凄いしんどかったです。
そこから学んだことは、
勉強を通して『目標を設定しそれを自らの行動でクリアする力』
を得ることが出来たし、
単純に苦労することで、人に優しく出来るようになりました。
頭もよくなりました。
周りに誰もいなくても、一人で机に向かって淡々と仕事をこなせるようになりました。
そして、高校時代、あれだけ頑張ったんだから
自分なら何でも出来るという、
万能感というか、自信を手に入れることが出来ました。
勉強しまくることで、
そういう色々な大切なことを学ぶことが出来、
私の人生に多大なる恩恵をもたらしてくれています。
結局、京都大学に受からなかったのですが、
もうそれは受かっただとか受からなかっただとか
どうでもいいことだと思っています。
むしろ下手に京大なんかに受かったら、
「俺は高学歴だぞ~」
みたいな意味のない優越感を持ってしまった居たかもしれません。
無意味に自慢したくなっていたかもしれません。
バカみたいです。
だから、努力が実らなかったことの方が、
私の人生とってはプラスだったのであろうと思います。
これが、仮に私が天才だったとして、
何の努力もなく京大に受かっていたらどうだったのか。
まぁそれはとても幸せなことですよね。
でも、幸せだからどうした?何が学べた?何が得られた?
そう思えば、私は天才なんかじゃなくてよかったし、
京大なんか受からなくてよかったです。
凡才であるがゆえに、
たくさん努力や苦労や我慢をしなければならなかったし、
その努力すら足りなかったから、京大にも受からなかった。
そっちのほうがよかったんです。
登山だってそうですね。
苦労して山に登頂するからこそ嬉しい。
最初からヘリコプターで山頂に連れてこられて、
何の意味があるんだって話です。
結局、人生のおける苦労や不幸、嫌な思いと言うのは、
その時は大変だと思いますが、
それも、大切な学びになるのです。
私の親友に、
とても心が広い器の広い、
デカい男だなぁ~
と思える方がいます。
彼は、家庭環境が崩壊して、
賢いにも関わらず精神的にやられて、高校を中退し、
学歴は中卒です。
しかし、彼は中卒だからこそ、
非常に腰も低く、寛大で、
何でもOK、どんな人間とも友達になっちゃう心の広さを持っています。
彼の例もそうですが、
今まで人生生きてきて思っていることは、
家庭環境が崩壊して苦労した人間は、
概して心が広い人間が多いです。
苦労した経験があるからこそ、
どんなものが来ても、
心を広く受け入れられるのでしょうね。
何不自由なく、幸せな人生を送るということは、
何も成長がないということではないでしょうか。
優しく、強く、寛大で、美しい心は、
幸せな環境が作るものではなく、
厳しい環境下でこそ育つものだと考えます。
人生において最も大切なことの一つは、
幸せになることではなく、
苦労から学ぶことにこそあるのだと思います。
ただ幸せに生きて、
楽しいな~だけで人生を終わることは、
生まれた意味がありません。
寝たきりで人生を過ごすのと、
何が違うのでしょうか。
私には子供がいますが、
子供には幸せだけの人生を歩んでほしくないと思っています。
むしろ人一倍苦労の多い人生を過ごして欲しいです。
そして、たくさん学び、素晴らしい心を育んで、欲しいと思っています。
今、苦労が多い方、
心配が多い方。
今はしんどいと思いますが、
後々考えてみればそれは素晴らしい恩恵だったのだなぁと
気付く時がいつか来ます。
人生万事が塞翁が馬ということですね。
今、しんどいことや苦労が発生しているのは、
この経験から何を学ばせようとしているのか。
その時は分かりませんが、いずれ分かる時が来ます。
是非、苦労が多く、実りの多い人生を味わってほしいなと思います。
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「私は何のために生きてるんだろう?」
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「運命ってあるの?」
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こんにちは、有本です。
今日は、何故、インドの聖者や僧侶達はベジタリアンなのか?
についてお伝えします。
この答えは非常に簡単です。
肉や魚を食べるということは、悪いことだからです。
いや、別に個人の考え方では、肉や魚を食べなければ、栄養がとれないじゃないか、
といった意見や、
ちゃんと「いただきます」と言って食べれば問題ないんだ。
といった意見。
色々あると思います。
それはそれで構いません。
しかし、肉や魚など動物を食べる行為は、
他者を殺すという行為であること。
これは誰がどう考えても、どんな肉食主義者であろうと、
認めざるを得ない一つの事実ではあると思います。
そして、他者を殺すという行為は、
宇宙のルールでダメだと決められてしまっているのです。
今、宇宙のルールなどと電波なことを言いましたが、宇宙のルールというのは誰が言っているのかと言うと、
タイの僧侶やインドの聖者の方々が瞑想の中で見てこられて、皆さまが仰っている内容です。
決して私の勝手な思い込みではないし、
どっかの宗教の教えでもありません。
タイの僧侶は、特に瞑想力が凄く、瞑想を修行の中でも最重要視しています。
そして、瞑想の中で様々なものを見ることが出来ます。
地獄の様子、天国の様子、幽霊、精霊、悪霊、神様、色々見ることが出来ます。
そして彼らが見てきた事実として語られているのが、
その宇宙のルールというものです。
この宇宙のルールによると、
良いことをすれば、善いことが。
悪いことをすれば悪いことが必ず返ってきます。
肉や魚を食べるというのは、
他者の命を殺し、他者の魂の成長を邪魔していることになります。
しかも、苦痛を与えて。
これは重い罪となります。
私は肉食べてもいいと思うよとか、そういう個人的な考えは一度置いておいて。
ルールとして、法律でそう決められているということです。
現代の人間は、肉や魚を食べているので、
ほぼ100%間違いなく地獄に行くことになります。
地獄は、悪いことをした人がいくところではありません。
普通は、地獄です。
天国に行くなど、東大に受かるよりもよっぽど難しいです。
ほとんどの人が、間違いなく地獄です。
どんな権力者であろうと、偉い人だろうと、人格者だろうと関係ありません。
肉や魚を食べていれば、悪行をたくさんしたことだとジャッジされてしまい、
地獄行は免れません。
地獄の懲役は、数万~数億年単位です。
それだけの長期間拷問を受け続け、
懲役が終わったところで、人間に生まれ変わることはまずありません。
よほど善行による徳がたくさんあれば、人間になれますが、、、
人間に生まれ変わるというのは、物凄い低い確率です。
お釈迦様は言いました。
地面を指でこすって、指に土が付着する。この付着した指が人間とすれば、他は地球全ての土だ。
それくらい人間に生まれることは難しい
と。
今、人間として生きているということが、どれだけ幸運なことか。
この人生100年の間に、
出来るだけ多くの善行を行い、
徳分を積まなければなりません。
このたった100年の人生で、その後の死後の数億年、数兆年の行き先が決まってしまうのです。
今、生きているということの方が嘘なのです。
本当は死後の世界の方が本当です。
あの世から、ほんの一瞬だけ、善行を行い徳分を作るために、
ほんの一瞬この生を与えられて、出稼ぎに来ているようなものなのです。
このほんの一瞬、100年程度の人生で、その後の行き先数億~数兆年が決まります。
だから、善行を行い徳を積んでください。
肉や魚を食べるという悪行をしていると、間違いなく地獄です。
私がそう決めたのではなく、個人の考え方がどうとかじゃなく、
魚や牛や豚が可哀想だからとか、そんなことはどうでもよく。
単純に宇宙の法律でそう決まってしまっているのです。
ルールで他者を殺しちゃダメ、
と決まっているので、食べてはいけないことになってしまっているのです。
なので、これを読んだならば、
今すぐ冷蔵庫にある肉類を全て捨てて、
ベジタリアンになった方がいいよ、とアドバイスします。
あくまでアドバイスです。
強制するつもりはありません。
この記事の内容を信じずに、
肉や魚を食べ続けて、地獄に落ちるのはあなたです。
どうぞ好きなだけ、肉も魚も食べ続けて下さい。
別にあなたが地獄に落ちようがどうなろうが、
私の知ったことではありません。
強制はしませんので、好きなだけ、肉も魚も食べればいいでしょう。
食べて地獄に落ちて何億年も拷問を受けても構わないのであれば、
好きなだけ食べて下さい。
しかし、数億年も数兆年も拷問を受け続けるというのは、
本当にきついですよ。
この記事の信ぴょう性がどうなのかは置いておいて。
仮にこの記事に書いてある内容が、
本当に真実である可能性が0.1%だったとして。
例え0.1%だったとしても、
地獄で数億年の懲役を受けるというのは、
あまりにもリスクが大きすぎると思います。
数学の期待値という考え方を用いれば、
例え0.1%でもリスクが大きすぎるので、
これはベジタリアンを実践したほうがよいという
結論に至るはずです。
出来れば、地獄に落ちずに、
死後も来世も来来世も幸せであってほしい。
そういう思いからこの記事を書きました。
もしよければ、今日から肉や魚を食べるのをやめて、
ベジタリアンを実践して見て下さい。
少しでも参考になったのであれば、拡散していただけると嬉しいです。
この内容を拡散するのも、善い行いであり徳分になるので
あなたに良いことが返ってくるでしょう。
今まであなたは、こんなことを思ったことがありませんか?
「勉強していい会社に入ってお金稼いで結婚して子供作って死ぬ。それが生きる意味なのかな?違和感がある・・・」
「私は何のために生きてるんだろう?」
「神様や、幽霊や、魂や、輪廻転生とかって本当にあるの?」
「運命ってあるの?」
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こんにちは。
インド占星術師の有本です。
今日は、何故子供は勉強しないといけないのか、について語ります。
まず、第一に。
「子供に将来的に安定して欲しいから」
「いい大学行って、いい会社に入ってほしい」
という考えは、あまりにも稚拙です。
今時、いい大学に行ったところで、
給料はFラン大に行った人と大して変わりません。
そりゃ全く変わらないわけじゃないですよ?
いい会社入れば、そりゃ儲かりますよ?
しかし今の時代、どの会社がつぶれるか分かったもんじゃないです。
Fラン大に出たとしても、会社がすべてではありません。
今は、クラウドワークスやランサーズなどのクラウドソーシングが発達し、
Fラン大や高卒、中卒でも、
自分でメシを食っていける時代です。
勉強の目的が、ただの安定やいい会社やだの、
そういうものであれば、それは間違いです。
本当に安定したいのであれば、
勉強ではなくビジネスを子供のころからやるべきです。
何か子供に技術を培ってもらって、
その技術をバイトがわりにココナラなどで販売する経験をさせる。
夏休みの宿題に、
10万円を子供に渡し、それを100万円に増やしなさいという課題を与える。
プログラミングを習わせて、クラウドワークスやランサーズで
販売させる。
ブログを書いてもらい、
アフィリエイト広告を用いて稼ぐ経験を積ませる。
などなど・・・・
そういうビジネスの特訓をさせた方が、
東大に行くよりも将来よっぽど安定します。
私も起業して、広告業をやっていた時期がありました。
会社員の頃の何倍も稼ぎました。
東大卒の人間など、目じゃないくらいに稼ぎました。
そういう時期もあったからこそ言えることです。
金銭面で、将来安泰にしたいなら、
やるべきことは、勉強させることではなく、
「独力で稼ぐ力を身に着けさせる」
ことの方が、よっぽどコスパがいいです。
東大に行くほど勉強する暇があったら、
ビジネスの経験をさせた方がよっぽど将来安泰で、
たくさん稼げるようになりますよ。
勉強とお金稼ぎは、多少は関係がありますが、
そこまでコスパの良い方法ではないと考えます。
よって、将来良い企業に行って安定して欲しいから、
勉強させるというのは、間違った考え方です。
安定するために行うのはビジネスの経験や勉強であって、
学校の勉強はあまり関係がありません。
ツイッター調べて見て下さい。
中学生や高校生でもツイッターを使って稼いでいる方。
たくさんいます。高校生で月収100万もいますよ。
プログラミングや絵などの技術を培って、
ココナラやクラウドワークス、ランサーズで出品してもいいでしょう。
技術があれば、中高生でも月収20万~30万くらい稼げるでしょう。
そういうビジネス経験をさせることの方が、
将来はよっぽど安定しますよ。
そもそも、高卒でもどこかしら就職は出来ます。
高卒からでも技術や資格をとって、
安定した職に就くことだってできます。
以上から、将来安定と学校のお勉強は、あまり関係がないことだと考えられます。
何故、子供に勉強をさせたいと考えるのか。
次に考えられるのは、
『エリート思考』です。
私の子供は、他の子どもより優秀であって欲しい。
そう願う、親心は分かります。
しかし、優秀になったその先に待っている者は一体何なんでしょうか?
子供がいつもテストで100点をとって帰ってくる。
難関高校に合格し、その中学でも学年1位の常連で、
大学は当然、東京大学に進学。
親としては誇らしいですよね。
でも、だからどうした?
ここでいくつかの間違った考えが発生していると考えます
「東大に行ったから、自分の子供は将来安泰で幸せになれる」
本当にそうか?
東大に行ったからと言って、
それが人生幸せになるかどうかは、関係がありません。
就職した先が、ブラックかもしれません。
東大でて官僚になったものの、官僚の仕事が大変すぎて辞めて、
地元の、高卒でも入れるような中小企業に再就職して幸せになった人もいます。
東大出ていい会社に入ったものの、
家庭が上手くいかず、離婚する人もいます。
東大出身というのが逆に枷になって、
社内でイジメられる場合もあります。
結局、人生幸せかどうかは、
全て因果応報で決まります。
その人が過去世でどれだけ善行をしてきたかの徳分と、
どれだけ悪行をしてきたかのカルマによって決まるのです。
幸せのためにすべきは、善い行いをして徳を積み、
悪い行いを慎んでカルマを溜めないようにすることです。
東大だの勉強だのは、人生の幸せとあまり関係がありません。
自分の子供が東大に行ったから、他所の子供と比較して、立派だ。
だからどうしたのだろう?
自分の子供は東大に行った。
「〇〇さんのお宅、子供が東大に行ったんだって。凄いね」
と言われることでしょう。
あるいは、
「私の子供が東大に行ったということは、私も優秀だ。」
と考える。
凄いねと言われるのが嬉しい。
他人から称賛されるのが嬉しい。
私は優秀だと思えるから嬉しい。
私の子供が優秀だから嬉しい。
他人から称賛されて、だからどうした?
優秀だと思われるから、どうしたのだろう?
他人から称賛されて得られるものは、
気持ちいいという快感だけです。
そんなことのために勉強しているのだとしたら、
それは、女性とホテルに行きたいために頑張ってる、ナンパ師と
「気持ちいいという快感を得たい」という意味では、
努力の方向性は変わらないと考えます。
勉強させる意味ってなんだ?
私が学校の勉強をさせる理由と言うのは、
①出来ないことを出来るようにする意志を鍛える(昨日の記事参照)
②先生の言うことを聞く責任感を鍛える
③よい環境に恵まれる
という3つの意味があると考えています。
①については、
昨日の記事を参照してください。
勉強と言うのは、孤独な作業です。
分からない問題を自分で解決していく、自己解決力が求められます。
自分が理解しないと、先に進まないのです。
そこで、「出来ないことを出来るようにしていく力」
が物凄く鍛えられるのです。
この作業を繰り返すことで、
経験したことがないものでも、
理解をして、解決できるという自信が育まれます。
また、勉強というのは、自主性がなければできません。
何か目標を設定する。
そしてその目標のために、自分自身がしんどくても頑張っていく。
私自身は高校生の時、京都大学を目指していました。
それはただのエリート意識でしかなかったのですが、
ただ単純に憧れがあったんですよね。
そのために、物凄い勉強しました。
高校時代は友達ともほぼ遊ばず。
ひたすら勉強しました。
めちゃくちゃきつかったです。
でもそのおかげで、高校1年の時進研模試で偏差値54だったのが、
高校2年時の河合模試では偏差値68まで伸びていました。
最終的に、京都大学に行くまで学力は伸びず、
関西の最難関の私立大学と地元の国立大学に合格し、
地元の国立大学に進学したのですが、、、
あの時、めちゃくちゃしんどい思いをして死ぬ気で勉強して、
自分で目標を設定して頑張る力が鍛えられたからこそ、
今の自分があるというのはあります。
かなりの根性が鍛えられたと思います。
②について。
学校の先生が言ってきた宿題をきちんとこなすことで、
子供の責任感を鍛えることが出来ます。
③について
高校や大学も、偏差値が低いところに行くと、
不良率が上がります。
逆に偏差値が高いところに行くと、
親の言うことや先生の言うことをよく聞く、優しく良い人が集まります。
勿論、これは平均値の話です。
低偏差値高校にだって、物凄くいい人はいますし、
逆に偏差値高い高校にだった、悪い人はいます。
しかし平均値をとれば、明らかに偏差値の高い学校の方が、
良い人間が多い。
そしてそういう環境に自分の身を置くことで、
さらに、優しく良い人間になることが出来る、ということです。
そのため、勉強することから得られるメリットというのは非常に大きいですね。
少しでも参考になったのであれば、拡散していただけると嬉しいです。
今まであなたは、こんなことを思ったことがありませんか?
「勉強していい会社に入ってお金稼いで結婚して子供作って死ぬ。それが生きる意味なのかな?違和感がある・・・」
「私は何のために生きてるんだろう?」
「神様や、幽霊や、魂や、輪廻転生とかって本当にあるの?」
「運命ってあるの?」
その全ての答えをお伝えする
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こんにちは。
インド占星術師の有本です。
今日は、根拠のない自信を持とう、という話をします。
世の中には、何でも出来る人というのが時々います。
私が昔大学時代にいた研究室の先輩もそうでした。
パソコンに詳しいかと思えば、
研究の成果も物凄い上げる。
車の仕組みや構造にも詳しく、
DIYも詳しくて、自分で色々なものを組み立てれる。
博識で、自分の研究分野と全く関係ないものまで、
本当に詳しい。
はっきり言って、
この人なら何やっても上手くやるんだろうなという気しかしません。
いつも自信満々で飄々としていました。
そんな方がいました。
私がかつて勤めていた会社の先輩もそうでした。
パチンコをやっては連戦連勝。
アニメやロボットものに詳しいかと思えば、
車にも詳しい。
仕事の業績も素晴らしいですし、
自分の仕事の分野以外の知識も豊富。
野球にも詳しい。
さらに、人間関係も上手で、
上司や役員にとことん気に入られていました。
はっきり言って、
この人なら何やっても上手くやるんだろうなという気しかしません。
いつも自信満々で飄々としていました。
そんな方がいました。
何だか、
『この人なら何やっても上手くやるんだろうな』
という人って、いますよね。
そういった人たちに共通して言えることがあります。
根拠がなくても自信にみなぎっている、ということです。
会社でやったことない仕事を任されても、
『私それ上手ですよ、余裕ですよ。』(やったことないし根拠なくても)
という顔をして、平気で取り組んでいきます。
そして、実際に成果を出してしまいます。
何故彼らは、何でもかんでも成果を出すことが出来るのか?
それは、
やったことなくても、私ならやってるうちに上手になって、最終的に出来るようになるだろう
ということに対して自信があるからです。
だから、やったことがなくても自信満々で、それ出来ますよ、と言えるのです。
その結果、やったことないことを何でもこなして出来るようになり、
出来ることがたくさん増えて、
自信もそれに伴いどんどん増えていくのです。
そして新しいことでも、自分なら出来るようになる、ともっと自信が持てるようになるのです。
出来ないことを出来るようにしていこうという意思。
それがあるかないかの違いで、才能でも何でもありません。
やったことがないから出来ないのではなく、
やっていけば上手になるのです。
私の師匠も良く言います。
「それはやったことがないけど、私なら上手に出来るに決まってる」
そして、私の師匠も実際、何でもこなしてしまいます。
色々なことが出来る人間は、何故色々なことが出来るのか。
それは、色々なことをやってみるからです。
出来ない、ではなく、やりながらできるようになる努力をし、
最終的に出来るようになってしまうことに対して自信があるのです。
でも、これって凄いことでも何でもなくて、
当たり前のことですよね。
出来ないことを出来るようにしていくというのは、
私たちの人生でこれまで何度も繰り返してきました。
赤ちゃんの時は歩けませんでしたが、
今、歩けるようになってますよね。
1+1すら最初は分からなかったけど、
勉強して、ひっ算まで出来るようになりましたよね?
掛け算もやったことなかったけど、
九九を覚えて出来るようになりましたよね?
簡単なように思えますが、
今までの人生で、私たちは、
出来ないことを出来るようにしていく、
という作業を、何度も繰り返してやってきたはずなのです。
だから、私たちは、
やれば何でもできるはずなのです。
あとはその意志があるかどうかだけなのです。
私も、かなり色々なことが出来るようになりました。
冬場、水道管が凍結して破裂すれば、
自分で破裂箇所を探して、
塩ビパイプ用接着剤をホームセンターで買って来て自力で直しました。
(500円で直せました。業者に頼むと2~3万とられます)
バイクで事故って大破した時も、
バイクのユーザーマニュアルを購入して、
部品のネジの品番から何から全て調べて、
全て自分でバイクの修理を行いました。
家の壁がカビっぽかった時は、
壁紙をはがして石膏ボードを出し、
漂白剤で石膏ボードのカビを取り除いて、
カビ防止剤を散布し、
壁紙を買って来て自力で全て治しました。
壁紙を張り替えるにあたって、コンセントの差込口なども新しいものに付け替えました。
さらには、会社を辞めて、
自分でネット関係のビジネスを始めて、
会社員時代の何倍も稼ぐことにも成功しています。
パソコンの組み立てや、
簡単なHTML、CSSのコーディングも出来ます。
私自身も、
「何でも出来るね」
とよく言われるようになりました。
でもそれはやはり、
私自身にも
『出来ないことを出来るようにしていく意志』
があったからに他なりません。
この
『出来ないことを出来るようにしていく意志』
があれば、実際何でも出来るようになっていき、
自信もついていきます。
多くの人が、自信がありません。
何か新しいことを始める時、
「〇〇だから出来ません。」
「××なんて私には無理です。」
「△△をやるのは不安です」
ということをよく言います。
自己防衛本能が働き、失敗を恐れているのです。
勿論、失敗したら人がたくさん死ぬとか、会社がつぶれるとか、
多くの人に迷惑をかけるとか、借金まみれになるなど・・・
リスクが非常に大きい時は、しっかりと自分の実力を見極めて、
出来ない時は出来ない、とはっきり判断する必要があります。
しかし、失敗しても大したリスクがないことにまで、
人は過剰に不安になります。
あれだから出来ない、
これだから出来ないと、
自分が出来ない理由を丁寧に証明して、
「ほら、自分にはできないでしょ?」
と平気な顔をして言います。
そういった、自分にできない理由を探してばかりいると、
本当に無能で、自信のない人間になり、誰の役に立つこともできません。
頼られることもありません。
なので、この文章を読まれた方は、
今日から
「それはやったことがないけど、私ならやっているうちに出来るようになって、上手に仕上げられるに決まってる」
という、思考のクセをつけるようにしましょう。
「出来ないことを出来るようにしていく意志」
があれば、なんだってできます。
ナポレオンも言っているでしょう?
「吾輩の辞書に不可能という文字はない」
と。それは、このような思考だったということがよくわかります。
ドラゴンボールの孫悟空も、ワンピースのルフィも、
「出来ないことを出来るようにしていく意志」
が凄いですよね。
「よくわからないけど、やってみる」
みたいな意志が凄いです。
彼らを見習うといいかもしれませんね笑
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今まであなたは、こんなことを思ったことがありませんか?
「勉強していい会社に入ってお金稼いで結婚して子供作って死ぬ。それが生きる意味なのかな?違和感がある・・・」
「私は何のために生きてるんだろう?」
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「運命ってあるの?」
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こんにちは。
インド占星術師の有本です。
今日は、『自分のもの』という考え方をなくすことについてお伝えします。
例えば、あなたが道を歩いていて、
チンピラに唾をペッと吐きかけられたとします。
「なんだこいつ?」と、腹が立ちますよね。
あるいは、「チンピラに因縁付けられた?怖い。」
と思うかもしれません。
当然の感情だと思います。
では・・・
あなたが道を歩いていて、
あなたの前を歩いていた人が、
チンピラに唾をペッと吐きかけられたとします。
どうでしょうか?
多分、「えっ?」と思うとは思いますが、
自分に吐きかけられた時ほどは、
感情が動かないはずです。
では、テレビを見ていて、
誰かが誰かにペッと唾を吐きかけられている映像を見た
としたらどうでしょうか?
多分、まったく感情は動かないと思います。
では、
・自分が唾を吐かれた場合
・前を歩いている人が唾を吐かれた場合
・テレビの中の人が、唾を吐かれた場合
この違いを、「ものすごく客観的に」考えた場合、
どのように違いがあるのでしょうか。
「ものすごく客観的に」見た場合、どれも
『1人の人間が、別の人間から唾を吐かれた』
という、まったく同じ出来事であるということが分かります。
あなたに唾が吐かれようと、
前の人が唾吐かれようと、
テレビの中で唾吐かれようと・・・
どれも『1人の人間が、別の人間から唾を吐かれた』
というただの事実には何の変わりもありません。
にもかかわらず、何故、感情の動き方が違うのでしょうか?
それは、『自分の』という考えがあるからです。
『自分の』存在が唾を吐かれた。
だから、怒りや、恐怖などの感情が湧いてくるのです。
しかし、この世界に、『自分の』ものなど一切ありません。
お金は、死ねばなくなります。
家も、死ねばなくなります。
親も子供も家族も、死ねばお別れです。
そしてこの身体も、死ねばなくなります。
お金も、家も、親も子供も家族も、そして自分自身の肉体ですら、
自分の物ではありません。
自分の物であるならば、完璧にコントロールが出来るはずです。
しかし、お金は思うように増えませんし、
家は放っておけば痛みますし、
家族も自分の思い通りにはなりませんし、
自分の肉体ですら、病気になったり老いたりします。
どれもこれも、あなたがコントロールできるものは一切ありません。
従って、この世に「自分の」ものは存在しません。
そもそも、自分とは何なのか?
自分の右手をちょん切ったとします。
右手がぼとっと床に落ちます。
その落ちた右手と、残った体の部分。
どちらが自分ですか?
と聞かれれば、
「残った体の部分が自分だ」
と言うでしょう。
では、頭から股間まで、
綺麗に左右、真っ二つに体を切られたとします。
その左側と右側、どちらが「自分」ですか?
と聞かれれば、どちらが自分なのか分からないと思います。
身体を限りなくみじん切りにされた場合。
『自分』はどの破片でしょうか?
もはや自分というものは、どれだったのか訳が分からなくなると思います。
結局、「自分」というのは妄想なのです。
「自分」というものは、ありません。
だから、
・自分が唾を吐かれた場合
・前を歩いている人が唾を吐かれた場合
・テレビの中の人が、唾を吐かれた場合
「自分」がなければ、どれも一緒でしょう?
これで感想が変わるというのは、
「自分」という妄想があるからなのです。
「自分」というものがなければ、どれも
・人間が別の人間に唾を吐かれた
というただの事実にすぎません。
自分が何か悪いことをされても、
他人がされた場合と同じ程度の感想しか持ってはなりません。
「自分」など無いのだから。
私は正しいことを言っていますが、
かなり難しいことを言っています。
何故なら、このような認識を持つことが出来れば、
全ての欲望から解放されたことになり、お釈迦様と同じ場所にいけるからです。
お釈迦様の様になれと言っているわけですから、
正しいとは言え、めちゃくちゃ難しいです。
しかし、方向性としては正しい。
頑張ってそうなれるように自分の考えを変えていかねばなりません。
自分が唾を吐かれても、他人が唾を吐かれたのと同じ感想を持たなければなりません。
自分のお金が盗まれたとしても、テレビのニュースでどっかの町でひったくり事件があったのを見たのと、同じ感想を持たねばなりません。
自分が殺されても、どっかのニュースで殺人事件やってるのを見たのと、同じ感想を持たなければなりません。
上司に怒られたら、怖いです。
でも、他人が上司に怒られてるなら、そんなに怖くないはずです。
何故他人だったら怖くないの?
「自分」というものはないのだから、自分が怒られようが、他人が怒られようが、同じ程度の感想しか持ってはなりません。
「自分」という考えこそが、
全ての欲望の始まりであり、諸悪の根源なのです。
「自分の」お金
「自分の」肉体
「自分の」名誉
「自分の」家族
『自分の』があるから、
傷つくと怒りだす。
恐怖を覚える。
嫉妬する。
執着する。
その結果、
人に文句を言う
ケンカする
足を引っ張る
しまいには、戦争する。殺し合いをする。
となるのです。
「自分の」という考えをどんどん捨てていきましょう。
あらゆるものは手放ししていくことが必要です。
お金も地位も名誉も、全て執着してはなりません。
手放ししていかなければなりません。
そして、最後には「自分」すらも手放ししていかねばなりません。
「自分」という考え方は妄想です。
「自分」という妄想すらも手放ししましょう。
それが出来ればお釈迦様と同じ境地になれる、ということです。
はっきり言って、「自分」をなくすことなど、非常に難しいのですが・・・
しかし、少しでもその境地になれるように、
考え方を改めていきましょう。
少しでも参考になったのであれば、拡散していただけると嬉しいです。
この内容を拡散するのも、善い行いであり徳分になるので
あなたに良いことが返ってくるでしょう。
今まであなたは、こんなことを思ったことがありませんか?
「勉強していい会社に入ってお金稼いで結婚して子供作って死ぬ。それが生きる意味なのかな?違和感がある・・・」
「私は何のために生きてるんだろう?」
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インド占星術師の有本です。
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さて、今日は、本当のヨガとは何か?ということについてお伝えします。
ヨガと言えば、今流行りの、健康に良い柔軟体操を連想されると思います。
しかし、これはインドで言う本物のヨガとは違います。
本当のヨガとは?について今日はお伝えします。
本当のヨガってなんだ?
ヨガについて話すためには、まず「ヤントラ」というものについてお話しなければなりません。インドには、ヤントラというものが存在します。こういう物ですね。このヤントラは神様の出入り口の図形と言われ、持っているだけでかなりの開運になるものです。このヤントラをインドの聖者たちはどう編み出したかと言うと・・・①インドの偉い聖者たちが、業の末、神様を呼び出すことに成功した②神様が出現する時、向こうの世界との扉が出現した③その扉には図形が描かれていた④その図形を見た聖者たちが「あの神様が現れた時、こんな図形だったよね?」「あ~そうそう、そんな形だった!」といって話し合い、図形を完璧に再現してみた。⑤するとその図形から、素晴らしいエネルギーが出てきたということです。ヤントラと言うのは、神様の扉の図形だということですね。神様の恩恵を引き出すテクニック
ヤントラだけでも神様の恩恵があり、非常に強い開運になるのですが、さらに神様の恩恵を引き出すテクニックというものがあります。それは、ヤントラの図形を人間の身体で再現することです。それにより、通常のヤントラよりもさらに強力な神様の恩恵を引き出すことが出来るのです。そう、もうお気づきですね。このヤントラの図形を人間の身体で再現し神様の恩恵を引き出すこと、こそがヨガなのです。厳格なインドの神様
神様にも色々な神様がいますが、インドの神様は厳格です。まず、インドのお経「マントラ」は、完全な菜食主義の人間でないと唱えてはいけません。神様のものなども、菜食主義でないと触ることが許されていません。そのため、ヨガも完全な菜食主義の人間が、「神様に捧げたい」という純粋な思いで行わなければ、本当のヨガをやったことになりません。本当のヨガをきちんと行えば、それは神様に捧げるために頑張ったという行動ですので、非常に大きな善行、徳分となり、善いことが返ってくるでしょう。ですので、今流行りの、女性のダイエットや健康維持で行われているヨガっていうのは、元をたどっていけば、本来そういうものなのだということを知ってほしくてお伝えしました。何故、菜食主義?
何故、菜食主義がそんなに大事なのか?それは、動物を食べるというのは、他者を殺すことになり、神の世界では罪とみなされるからです。また、肉自体に、殺された者の怨念や、苦しみの念が含まれている点。また、肉自体に悪いエネルギーを吸収するという特徴がある点。以上から、肉を食べた場合そういった不浄なものが体に入ってくるため、肉を食べる者は神様から見れば、不浄な者に写るのです。そのため、菜食主義であり、酒も飲まない人間のみに、恩恵を与えるというのがインド系の神様の特徴です。イエス様やミカエル様などのキリスト教系の神様はこの点があまり厳格ではなく、肉や酒を飲んでいても、祈りを捧げれば神様は動いてくださいます。優しいですね。そのように神様にも色々いるということですね。ただ、肉も酒も、あとパチンコなどのギャンブルも、神の世界から見れば悪行であることは変わりなく、因果応報の法則から、悪行を働いた結果自分に悪いことが返ってくるので、もし、魂の成長を考えるのであれば。もし、死後の幸福を願うなら、ベジタリアンになり、酒もギャンブルもしないことをオススメします。まぁ、他者を殺して肉食ってるんだから、罪になるのは当然だとも言えますね。仮に自分の家族を宇宙人に殺されて、食べられたら絶対その宇宙人を恨みますからね。。。今まであなたは、こんなことを思ったことがありませんか?
「勉強していい会社に入ってお金稼いで結婚して子供作って死ぬ。それが生きる意味なのかな?違和感がある・・・」
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