前回のだらメルで丁度100号。早速、読者からお祝いのメールを戴きました。うれしかったです。本当に読んでいる人がいるんだ、と改めて実感できました。
さて、寺では毎日、本堂で朝のお参りをします。これを晨朝(じんちょう)勤行と云います。全員で掃除を済ました後、香部屋に全員が集まり衣に着替え、この勤めの始まる直前に、一同行儀良く正座をして朝の挨拶を交わします。これは言わば朝礼のようなものです。その日の晨朝勤行の習礼(しゅらい:勤行作法の事前確認)や、新たな連絡事項の伝達などをします。これを毎日の日課のように繰り返し行ないます。
挨拶といえば、幼い頃の子供たちは誰にでも元気よく大きな声で挨拶ができたのに、この子供たちも段々と成長するにつれ、それが高校生にもなると大半が無愛想になってしまうようです。それは何故でしょう。人と人が会えば挨拶を交わす、ということは当り前の礼儀なのにそれができない。逆に、今日この当り前のことができる子供の方が目立ってしまうとは、全く奇妙な世の中になってしまいました。
いつだったか、ある中小企業の社長さんが「うちの会社では、ここ数年、新採を見合わせていたのですが、暫くぶりに今年採用した高卒の男の子のお陰で、随分と会社全体が明るくなりましてね。その子が朝、出社してきますと、先ずとてつもない大きな声で『おはようございます』と皆に挨拶をしてくれるのです。高校時代は剣道部だったそうでして、入社当初はその大きな声に皆がびっくりしたものでしたが、私などは今ではその子が朝出てくるのが楽しみでね、待っているくらいなんですよ」と、ニコニコな顔でおっしゃっておられました。
この大きな声で挨拶をするといえば、私が学生時代は空手部だったのですが、入部当初、校舎の屋上で14人の一回生が整列させられ、先輩から訓示があり「今日からお前達の使う言葉は次の二つだけでよい。それはオッスとゴッツァンデスだ。分かったか!」と言われ、この時思わず「オッス!」と、皆の口から自然に出てしまったのです。それからは、大学校舎内外を問わず先輩を遠くからでも発見すればその時点で大きな声でまず「オッス!」、すれ違うときにも、そこで更にまた大きく「オッス!」、街の通りであろうが、市電車の中であろうが、便所の中であろうが所構わず「オッス!」でした。練習中に先輩からドツかれれば「ゴッツァンデス!」、しごかれても、先輩のオナラの匂いを嗅いでも、いたずらされても「ゴッツァンデス!」でした。
こんな理不尽なことを経験した私ですが、今となってみればただの笑い話でしかありません。
住職の口癖 北陸大谷高校を、小松の大事な学校にしたい。
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