こんにちは。
久しぶりに再読しました。
だいぶ昔に読んだ事があったんですが
先日青森に行きまして
八甲田山の辺りも通ったんですよね
何か昔大変な遭難事故があったんだよなー
って思ってちょっと調べたら
何かもう心を抉られるような。
昔読んだのはまだ実家の北海道に住んでいた頃で10代で
雪の恐ろしさ、
冬の寒さは身に沁みて知っていたので
いくら昔とはいえ何て無謀な・・・
と思った記憶。
久しぶりに再読してみたら
当時とは違う気持ちも湧いてきました。
イヤ、無謀は無謀なんですが。
まず八甲田山雪中行軍遭難事件とは。
明治時代、
日本軍青森歩兵第5連隊から
雪中行軍に参加した210名の内
199名が死亡する
日本の冬季軍事訓練において
最も多くの犠牲者を出した山岳遭難事故
この実際の事故を元に
作者さんの創作も加えられたフィクションです。
明治35年
時は日露戦争直前(日露戦争は明治37.38年)
日本軍はロシアを仮想敵国として
県内の列車が不通となった場合に
物流を人力で行えるかどうかの調査
厳寒地戦の対策研究を目的とし
青森歩兵第5連隊と弘前歩兵第31連隊が
それぞれ別の日程、ルートで
雪中行軍を計画しました。
青森隊は青森から田代元湯へ
2日の行軍
弘前隊は
弘前から十和田、八甲田山、青森、梵珠山を11日間で走破する行軍。
オレンジが弘前隊
青が青森隊のルート
こう聞くと弘前隊の方が過酷な訓練のように思いますよね
でも実際に大きな事故になってしまったのは
青森隊。
弘前隊は落伍者を出すことなく
訓練を成功させています。
その違いは何だったのか。
準備不足
経験不足
情報不足
知識不足
油断
間の悪い事に訓練期間中
例年以上の大寒波が襲っている中での強行
(この時に記録された北海道での最低気温が
今でも破られていません)
なのに。
下士兵卒の防寒着
毛糸の外套2着です
手袋靴下の替えも持っていなかったんです
場所によっては腰や胸まで雪に埋もれてしまうような冬山で
そんな軽装備でいいはずが無い
って思わなかったんだろうか
思わなかったんですよね
と言うか、
思っても言えなかった方もいると思うんですが
そんなに雪深いとか寒さが厳しいとか
そんな認識すら無かったんじゃないかな
雪国の方はご存知だと思いますが
氷点下でも雪の中でも
例えば雪かきをしたり
スキーをしたり
体を動かすと汗をかきます
山登りだし
1台80キロのソリも運ぶし
汗かいちゃうなー
田代元湯で汗流せるかなー
位の感覚
(出発前日に深夜まで壮行会と言う名の宴会をしていたり
5里、今で言う20キロ程度、湯に入りに行く程度の気持ちでいたという証言があったり)
弘前隊が細かく凍傷予防の指示を出して
マタギや木こりなど
地元の案内人を頼んで
宿泊を民家に頼んで
寒さ対策、遭難対策を取っていたのに対し
青森隊は案内人を断り地図とコンパスのみ
軽装備で
休憩は計画すら立てられていなかった始末。
そもそも弘前隊は1ヶ月前に行軍命令が下されたのに対して
青森隊の行軍命令が下されたのは2日前
弘前隊は地元出身者を中心に
37名(プラス記者1名)の少数精鋭、
指揮官は冬の行軍経験ありだったのに対して
青森隊は210名の大所帯
指揮官である神田大尉(作中名、神成大尉をモデルにしたとされる)よりも上官の
山田少佐(作中名、山口少佐をモデルにしたとされる)の同行つき。
少数で最後まで統制の取れていた弘前隊に対し
大所帯で指揮系統も混乱してしまう青森隊
人災としか思えない場面が多々あります。
物語の中で神田大尉は
山田少佐に意見する事が出来ません
旧日本軍の事
立場が下位の人間が上位の人間へ意見をするのは
現代の私の想像以上に難しいだろうとはいえ
それがいちいち悪手
せっかく地元の方が案内人をつける事を申し出てくれても強く断り
悪天候でビバーク(露営)しているのに
凍傷が広がる事を懸念して
猛吹雪の夜中に行軍を再開してしまう
極寒でコンパスが効かないとはいえ
地図を持っている人よりも
夏場に通った経験があると言う人の方を信じ
道を見失ってしまう
あくまで指揮官は神田大尉であったはずなのに
山田少佐の独断で指示がなされてしまう
せめて指揮系統が守られていたら
そう思わずにはいられません。
2日目に最初の犠牲者が出てからは
3日目の早朝までに70名余りが死亡
極寒の中
道も自分の居場所も分からない状態での彷徨
この辺りで神田大尉が
映画八甲田山でも有名な
天は我らを見放した
という言葉を言います。
どれだけの絶望でしょうか。
そんな絶望を目の当たりにして
低体温も合わさり錯乱を起こす隊員たち
矛盾脱衣
川に飛び込む
その場にいない者が見える
樹を銃剣で斬りつける
凍傷を負って手の自由がきかず
着衣のまま排泄をしてそこから凍り
凍死する者
はぐれ置いていかれて、
崖を登ることが出来ずに、
落伍していく者
隊の統制は完全に失われました。
地獄絵図ですよね
想像を絶する過酷な状況に言葉がありません
この物語は実話を元にしているとは言えフィクションで
作家さんの創作も含まれています
例えば山田少佐のモデルとなった山口少佐と
神田大尉のモデルとなった神成大尉
物語では神田大尉の苦労とか葛藤とか
心情的に神田大尉寄りに描かれています
ヒールのように描かれている山口少佐もそこまでの暴君では無かったのかもしれないし
物語の中では準備をし理性を持つように描かれている神成大尉も
実際は行軍命令を受けてから出発までの日数が少なくて
準備と言える程の準備が出来たかどうか分かりません
行軍を成功させた弘前隊に関しても
案内人が止めても意見しても
半ば恫喝するように無理矢理案内をさせています
最後の地点、八甲田山踏破で案内人になった7名の方(七勇士)は
隊員がビバークしている中
小屋を探す道を探す斥候として
休憩もなく外を歩き回らされたり
田茂木野に到着すると
雪の中に七勇士を置き去りにされたり
まるで使い捨てのように扱われています
七勇士は重度の凍傷を負って
頬に穴が開いて水を飲むのも困難な人生を余儀なくされたとか
青森隊で亡くなったり凍傷を負った方には
それなりの補償がされましたが
七勇士には案内料(1人50銭、2円という説もあり)以外は何もありませんでした
弘前隊の方も気持ちの上で
純粋な成功談と言えるような描かれ方ではありません
(余談ですが映画では逆に
高倉健さん演じる徳島大尉は紳士的に描かれているそうですね
映画も観てみようと思います)
どんな本も物語もそうだけれど
作者さんの思考が反映されていますよね
物語においてはヒーローやヒールが必要なのかもしれないし
物語性や共感出来る箇所
感情を刺激される箇所が必要なのだと思います
けれどこの本はあくまでフィクションで
実際はヒーローもヒールも多分いなかった
と言うか、簡単に色分け出来るようなものでは無かったと思うんです
七勇士の偉業はもちろん偉業として
案内人がいなければ弘前隊の成功は無かったのは言うまでもないんですが
弘前隊も軍として、
弘前隊の福島大尉(作中の徳島大尉)も
個人ではなく指揮官として、
1人の犠牲者も出さずに訓練を遂行する事に
心血を注いだのではないかという気がします。
悪を見付けようとするならば
軍という組織の非情
国内外の情勢を含む時代背景なんじゃないのかな。
八甲田山死の彷徨
物語として名作です
そしてこれを読む時には
これはフィクションなんだ物語なんだと認識して
モデルになった実在の人物への軽率な批判がされない事を願います。