父ちゃんとして、最後までできることってなんだろう。
もしかして、かっこいいとか、できるとか、そんなかっこいいことじゃなくて、だらしなさとか、負けっぷりとか、そういうことを背中で教えることじゃないか、ってふと思いついた。
昨日からWBCの一次ラウンドが始まって、見事に勝利を収めたけれど、なぜか勝ち試合なのに僕の頭の中で繰り返されていたのは、さだまさしの「敗戦投手」だった。
最終回。サヨナラホームランを打たれて、喜ぶ相手チームの背にしながらマウンドを降りる。
ボクは野球少年ではあったけれど、ピッチャーなんて数回やらせてもらっただけで、打てば三振、守ればエラーのかっこ悪い存在だった。
だから、そんな敗戦投手の経験はないけれど、あのマウンドを自ら降りる気持ち。
想像するだけで惨めなんだろうな、って思う。
まだ、そのサヨナラホームランを打たれた姿が自分に重なる。
うまく軌道に乗っていた。このままいけると思っていた。ところがまさかの逆転ホームランで奈落の底に落ちた。その悔しさはそうそう癒えるものじゃないよ。
けれど、失投のマウンドから降りてこなければゲームは終わらない。
草野球だって、プロ野球だって、次の試合はある。だったら「次こそは」って思いながら、降りてきたい。たとえ、大好きな彼女が目の前にいても、大切な子どもたちの目の前でも、どんなに悔しくても、とぼとぼではなく、次こそは!が伝わる姿で降りてこられたら、気持ちは惨めかもしれないけれど、なんかかっこいい。
ヘリコプターペアレントという言葉があるそうだ。
子どもの近くで、親がヘリコプターのようにホバリングして待機。子どもが失敗しそうになったら、すかさず急降下して、失敗しないようにする。過干渉を揶揄した言葉らしい。
ハッとした。ボクはそうなっていたんじゃないか。
学校は失敗するところだ、なんていいながら、失敗体験をなるべくさせないで、自己肯定感をあげよう、という声が飛び交う。けれど、自己肯定感ってなんだろう。もしかしたら失敗してもイケるっていう気持ちも、また自己肯定感なのかもしれない。むしろ、負けたり、失敗したりしたけれど、そこから立ち直ったということの方がよっぽど自信につながる気がする。
今日は高校入試。
もちろんここ一番のときに失敗体験なんてさせたくない。
けれど、万が一、万が一のことがあったとしたら。
それは失敗じゃないと思う。それも面白い人生のスタートだ。
けれど、ここはどうしても成功体験をして欲しい。だって、ずっと頑張ってきたんだもの。
その代わりに、失投をしてとぼとぼマウンドを降りた、かっこ悪い父ちゃんで、何か学んで欲しい。家で転がっていて粗大ゴミ扱いされていても、娘に「あっちいって!」って言われても、きっとその後ろ姿から、あの子たちが意識しないで気づいていることがあると信じたい。
かっこ悪くマウンドを降りて、「かっこ悪い」って思われてもいい。
誰かがその役を引き受けなければいけないなら、その役を引き受けよう。
それが例え反面教師であったとしても、そこから学んでくれることがことがあれば本望だ。
かっこいいことばかり目指して薄っぺらく生きるよりも、その方がもしかしたらかっこいいし、楽しいかもしれない。サヨナラホームランを打たれたって、次の試合は完封を狙ってやる。それくらいのかっこ悪さと、かっこよさを併せ持つ存在になれたら、きっとやりがいもある。



