私の3年に及ぶ断捨離の歴史が終わろうとしているので、ここに

 

「なぜ断捨離をしようとしたのか」「どのように断捨離をしてきたか」「何をもって完成としたか」「何を失い、何を得たのか」

 

 

を記録する。

 

私の情報

・アラサー

・パラサイトシングル(実家住まい)

・土日休みフルタイムワーカー

 

 

断捨離のきっかけ:虫が出たから

私の部屋はよくあるオタクの子供部屋そのものであった。壁にはアニメのポスターとタペストリーが所狭しと貼られ、

収納スペースに収まりきらないグッズ、カバン、洋服などが床に散乱し、ゴミこそないものの足の踏み場は基本的になく、

足の裏をケガしないよう脛を使って這って物の上をすすむような部屋であった。

その状態で特に困ったことはなかったのだが、ある日私が最も嫌う黒い虫が物の間を這っていることに気づき、このままでは

寝ている間に私の口の中に侵入するのではないかという恐ろしい妄想にとりつかれ、私は何はともあれ断捨離の本に手を伸ばした。

 

それがこの有名な

人生を変える断捨離 やましたひでこ

 

 

 

である。(@amazonJPより)

 

ちなみにこの本に何が書いてあったかは忘れたが、部屋が散らかる人間特有の、実務を排し机上の空論にしがみつきやすい性質により、ほかにもたくさんの本を読んだ結果、

断捨離をすると金がたまるという、いくつかの本に共通の文言にとりつかれた。

私は仕事ができない。大変な無能である。できれば早く貯金をして、今の仕事から逃れたい。

その一心で、私は断捨離に挑んだ。

 

そんななかで得た、断捨離の手法は下記のとおりである。

 

 

①いらないもの(ゴミ)から捨てる

散らかった部屋に住んでいる者特有の妄想に「持っている物は全部大切だから持っているのだ」という事項がある。

これは誤りである。

実はタンスの中には、すでに年齢を逸して着られなくなった服、機嫌切れの防虫剤などが転がっている。下着もよく見れば、表面がモロモロしていることに気づく。よく考えたらこの下着はユニクロで10年前に親が買ったものだと気づく。そういうことである。

そういったものは、もはやゴミである。ゴミ箱に入れる。もしくは、表面がモロモロしだけでまだ着られる服を捨てるのが忍びない場合、その下着を手に巻き付けて窓を拭きまくった。するととんでもなく汚れて、ぼろきれとしか認識できなくなる。そうすると捨てやすい。

その他、私が捨てた服は3年間で45Lポリ袋10袋分に上った。また、リサイクルショップなどに持ち込んだものもあり、それらは5000円程度になった。

 

②使っていないものを捨てる

使っていないだけでまだ使えるものというのは、部屋に山ほどあった。まず、今はそこまで熱中していないジャンルの缶バッチがゆうに200個はあった。もったいないのでそれらは全て新宿西口のブックオフに売りに行った。とんでもなく買いたたかれたが、200個で合計1000円にはなった。あの虫の這う奈落のなかから1000円拾ったと思えば嬉しい収入である。

このように、使っていないけれどまだ使えるものは手放すのが惜しいが、正直使っておらず床にあるなら、ほかの人間の家の床や、新宿西口ブックオフの棚にあっても同じことである。完全に誤用だが共産思想みたいなものだ。中古ショップのものは、長い目で見れば私のものであり、ほかのオタクのものである。グッズは世界を循環している。

こうして私は使っていないけれど使えるグッズをすべて売り飛ばして3万円ほどを手にした。

 

③思い出のものを捨てる

小さいころに友人からもらった年賀状、手紙、幼少期の制作物。これらは、今は友人の少ない私にも友人がいたことを示す過去の栄光である。しかし過去は過去にすぎない。友人がいないのは、自分の素行が悪いからだ。その苦しみを、これらの「思い出のもの」は否応なく眼前につきつけてくる。見返すこともないそういった品目は捨ててしまう。これらは特に販売益なし。

 

④必要だと思ってたけれど違ったものを捨てる

そこになくてはならないと思っていた、過去に熱中したジャンルのグッズを手放すことは惜しい。自分がもうすでにそのジャンルにいないという事実を嫌でも実感させられる。悔しいが、結局それらのグッズは必要ではない。なぜなら、もう見返すこともないのだから。私はこの段階に約半年ほどを要した。「実はもういらない」ということを認めるプロセスが本当につらかったが、私はついにこの段階を卒業した。

 

断捨離の終わり

最終的に私は、この④の段階を経て断捨離を完了とした。いま部屋にあるのは、今ダントツにハマっているジャンルのグッズと、それから最低限の必需品だけだ。この部屋はこんなに…狭かったのか。狭い部屋だと思っていたが、片付けても狭いものだ。ただ、私は片づけを苦手としていたが、④を経ることでついに「片づけが不要」なまでに到達した。

つまり使ったものを適当にポイと置いておいても、歩けるので全く問題がない。そういう段階を完成とすることも一つの手だと思う。

 

失ったもの

・「グッズが欲しいという気持ち」

あれほど熱中して集めたすべてのグッズは、すでに一つも手元にない。昔は缶バッジを敷き詰めた痛バッグなども自己顕示のため多様していたが、加齢により重量に耐えかねて持てなくなり手放した。もはや私にはグッズは必要ないのだ。

それに、結局買っても私のような飽き性な人間は3年もたてばどうせブックオフにもっていっているのだと思うと、あまり物欲が湧かなくなった。ちなみに今でも絶対に欲しいものは買っている。アクスタとか

・片付けの必要性

・ものを探す手間・時間

 

 

得たもの

・今一番好きなものが飾られているのがとてもよく見える部屋

・不用品の売買で得た5万弱の現金

 

 

また、この断捨離を始めてから、仕事を変えていないのになぜか月間の貯金額が2倍になった。

もちろん仕事をやめられるほどの金額ではないが、同年代・同じ環境の人間と比べても多いのではないだろうか。

 

 

お読みいただきありがとうございました。