不機嫌Maxだった頃 | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

 

もう過去を振り返って、

後悔するのは辞めようと決めたのに、

なにかのきっかけで、フラッシュバックした場面に、

胸が絞られるような気持ちになります。

 

今回、思い出したのは、

20年前のあの時のこと。

 

以前にも書いたことがあります。

 

自分の苛立ちを、自分で解消できずに、

そのまま子どもにぶつけていたあの頃。

 

 

…そう、今でこそ、

なんとかなるでしょ~~と、

へらへらしているワタクシですが、
断捨離を知るまでは、
限りなく不機嫌で鈍感な女でした。

家のどこに居ても、
目に飛び込んでくる混乱、混沌、無秩序。

溢れかえるモノの谷間で、
本当に窒息しそうでした。

マンションの壁が
迫ってくるように感じていたのを

覚えていますから。

ですが、その状態が私の日常、
別にまずいとも、おかしいとも思いません。

快と不快を感じるセンサーがさびついて、
鈍感もここに極まれり…な日々です。

 



長女が生まれて間もない頃。

ダイニングテーブルの上には、
ピンクのベビーバス。

夫と義母と息子と私で、
小さな赤ちゃんをお風呂に入れていました。
 
温かいお湯が気持ちいいらしく、
ちょっと口元をすぼめて、
ゆらゆらたゆたいながら、
私たち4人の顔を順番に眺めている娘。
(実際にはまだ見えていない月齢ですが)

本来なら、とてもとても微笑ましく、
幸せなシーンです。


 

その時、まだ2歳だった息子が、
お湯の中のタオルに手を伸ばしました。

それを見た私は、
息子のトレーナーをむんずと掴み、
ぐいっと引き戻しました。

…かなり乱暴に。

私の頭にあったのは、
息子が服を濡らしたら嫌だということ。

ただでさえたくさん洗濯物があるのに、
これ以上増やさないでよ。

着替えも一人ではできないくせに。

…思い出すと、心がきゅ~~っと締め付けられます。うるうる

洗濯物がもう1枚増えることぐらい、
なんてことないのに。

どうせ洗濯機が洗うんだから。

それすらも許せないほど、
心にゆとりがなかった私。

一家総出のお風呂タイムを、
あれもしなきゃ、これもしなきゃ…で、
楽しむどころか、キリキリ、イライラしていた私。


 

この時のこと、彼は覚えているかしら。

妹のお風呂、
お手伝いしたかったんだよね。

湯船でも体が冷えないように
タオルをかけてあげたかったんだよね。

今なら、なんなら息子も
一緒にいれちゃうくらい、
ベビーバスを楽しめるのに…。

お手々、ゆらゆらさせてるね。

アンヨ、泳いでいるみたい。

髪の毛、少し濃くなっきた。

そんな素敵なことよりも、
洗濯物のことが気になっていた私。

そしてそのイライラを、
容赦なく家族にぶちまけていたのです。

私はまだ、若くて未熟な母親でした。

そのイライラの大きな部分が、
散らかった部屋からきていることも、知らず…。


 

過去の時間は取り戻せません。

 

でもやましたひでこは、

今が調えば、過去も調うと言います。

 

私の解釈では、

過去の捉え方が変わるという意味かと。

 

そう、確かに、私は

できたお母さんではなかったけれど、

それは今に至るプロセスだったと、

思えるようになりました。

 

子どもを傷つけて、ダメな私…と

自分を責めるのではなく、

今、何ができるか、今、どう在れるかを、

見るようになりました。

今の私にできるのは、
住まいを整えることで自分を調え、
不機嫌ではなく、

ごきげんを振りまく私でいること。

心の平和を
そのまま「あり方」に反映させて過ごすこと。
 

母としての役割はほぼ終わりですが、

日々の暮らしを楽しんで、

ごきげんの増幅器になること

 

もう後悔にさいなまれて、

自分を責めることはしません。

 

でも自分が一体どんな場所から

抜け出してきたのか、

そして今いる場所が、

どれだけ軽やかで心地よい場所なのかは、

心に留めておきます。

 

 

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