雨音が連れてきた思い出・22年分 | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

 

雨音を聞きながら、

家の中であれこれしていたら、

…そういえばこんな時、

いつも足元にいたなぁ…と思い出しました。

 

 

時々ふっと思い出して、

無性にもふもふしたくなります。

 

窓枠に前脚をかけて

外を眺めるのも好きでした。

 

爪で削れた跡が今も残っています。

 

 

来て…、去っていく。

 

出会って、分かれていく。

 

現れて、消えていく。

 

それが世の習い。

 

モノもコトもヒトも常に変化して、

ひとつ所に留まることがありません。

 

 

この家に住み始めたのは、

娘が生まれた年、

間もなく22年になります。

 

22年の間には、いろいろなことがありました。

 

いい思い出もあれば、

思い出したくないようなことも。

 

 

子どもがらみでは、

いじめられたり、いじめたり、

友達とトラブルを起こしたり、

学校から呼び出されたり、

100点をとったかと思えば、

0点の答案もあり…、

部活に習い事に塾に、

子どもなのに、なんて忙しい日々。

 

突然降り出した滝のような雨、

雷も鳴る中、ずぶ濡れの娘(小3)を

偶然見つけたママ友が、

車で拾って家まで送ってくれたこともありました。

 

私の留守中に公園でけがをして、

頭からダラダラ血を流す息子(小1)を、

スクールバスの運転手さんや近所の方が、

連携して救急病院まで連れていってくれたことも。

 

ロッキーを迎えることになったのも、

しぶる両親を説得できない娘に、

近所の方々が入れ代わり立ち代わり、

援護射撃をしてくれたおかげ。

 

親ではカバーしきれない部分を、

しっかりサポートしてくれた教師との出会いには、

感謝しかありません。

 

たくさんの皆さんとの関わりの中、

子育てしてきたんだなぁ…と、

今更ながらに思います。

 

夫婦のことでは、

雨降って地固まる…とは言うものの、

雨もアラレもヒョウも雪もじゃんじゃん降るのに、

なかなか地は固まらず。

 

いつしか人生のパートナーというよりは、

子どもを育てるためだけの同志となり、

お互い、それぞれの役目を果たすだけ。

 

相手をより理解するよりも、

自分の主張を通したかった私…。

 

なんだか味気ない関係になりました。

 

お互いに向き合いだしたのは、

子どもが巣立ちはじめ、

ロッキーもいなくなった、ここ数年のこと。

 

遅まきながら、

どうせ一緒にいるなら、仲良くしたい…と

私が思ったことが、大きかったかも。

 

最近は、夫婦でお出かけしたり、

旅行をしたり、レイトショーを見に行ったりするように。

 

私個人では、

自分のできること、したいことを、

常に探していました。

 

いつもいつも抱えていた、

漠然とした不安や不全感。

 

こんなはずじゃなかった、

もっと他になにかできるはず…と、

外にばかり目が向いていました。

 

結婚直後から通訳の猛勉強を始め、

京都の学校に通いました。

 

その後、字幕翻訳と出会い、

訳したドキュメンタリー番組300本。

 

しばらく仕事が途絶えた時期に、

母との確執や子どもの反抗期が

のっぴきならない状況に。

 

心理学で乗り越えようとするも、

葛藤の嵐に翻弄されて,

身も心もボロボロ…。

 

断捨離に出会ったのは、そんな時でした。

 

要らないモノを捨てながら、

家を整えながら、

自分と向き合う練習をしながら、

ここまできました。

 

この家は、全部、見てきたんだなぁ…。


そしてこれからも、

私の歩みを見守ってくれるんだなぁ…。

 

こんな感傷的なことを思いだしたのは、

夏至のせい、…それとも雨音のせい?

 

 

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