人形の処分 | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

今朝は汐留の朝焼けを眺めています。

断捨離トレーナー研修で、
株式トレーダーであり、
セミナー講師であり、著者でもある
イグゼロ氏から
「人の心をきく技術」の講義を受けました。

いわゆる傾聴とは少し違って、
「きく」スタンスとその背景の心理を
4つのタイプに分けて検証。

ワークも交えての「きくこと」の妙を、
改めて認識させていただきました。
 

先日の断捨離マラソンシェア会で、
人形は捨てにくいという話が出ました。

そうですね、目があるモノを
ゴミ袋に入れるのには、抵抗があります。

人の形と書いて人形。

昔から人形には魂が宿るとも言いますから。

ですが、人形といえど、
縁が切れたり、不要で不適で不快になれば、
断捨離の対象になります。
 
お姑さんがくれた市松人形が、
今でもリビングにド~~~ンと飾ってあって、
実は気味が悪いのだけれど、
捨てられない…という方がいました。

贈り主はもう亡くなっています。

結婚してほどなくの別れ、
あまり長く一緒にいられなかったこともあり、
捨ててしまうのは、お姑さんに悪い…と。

果たしてそうでしょうか。

天国のお姑さんは、
自分が贈った人形が
家族を怖がらせている状況を見て、
なんと思うでしょうか。

私だったら、後悔するけれど。

あんな生々しい人形を
贈らなければよかったな。

遠慮しないで、
はやく処分してちょうだい…と。

私の想像ですけれど、
市松人形が捨てられない背景には、
大好きな夫を育てた人と、
もっと話をしてみたかった、
いろいろ教えてもらいたかった、
親孝行もしてみたかった…、
そんな想いがあるのかもしれません。

やましたひでこが教えてくれた、
人形の処分方法は以下のとおりです。

十分にお日様に当ててから、
他のゴミとは一緒にせず、単独で袋に入れて、
お清めの塩をふって、
「ありがとう、さようなら」とともに、
ゴミに出します。

それが忍びない方は、
人形供養をしてくれるお寺もありますので、
検索してくださいね。

よく日に当ててから、
目の部分に紙で目隠しをして、
塩とともに、紙の袋に入れ、
ゴミステーションで、手を合わせ、
「ありがとう、さようなら」をして、
お別れした方もいました。

その方は、供養も考えたそうですが、
けっこう高額だったので、
自分で処分することを選びました。

ですが、そうやって、
しっかり自分で片をつけたので、
後悔はなく、気持ちにも納まりがついたと言います。

目があるから捨てられないというのは、
後から人間がつけた理由。

なにか悪いことが起こるのでは…という怖れは、
捨てる後ろめたさの表れかもしれませんね。

 

かくいう私にもあります、
人形との苦い思い出。

私がまだ3~4歳の頃、
祖母がひな人形の代わりに、
ガラスケースに入った、
藤娘の人形を贈ってくれました。

赤い着物に黒い傘、
藤の枝を持った愛らしいお人形。

でも幼い私にとって、
藤娘のガラスの目は、
まるで生きているようで、
恐怖以外のなにものでもありませんでした。

私が一人で眠る部屋の箪笥の上に、
鎮座している藤娘。

怖いから、どこかにやってくれという
私の訴えは、笑われるだけで、
真剣には聞いてもらえません。

夜中に動きだして、
「ち・か・こちゃ~~ん」なんて声が
聞こえたらどうしよう
 
あの頃は、
夏でも頭から布団をかぶって寝ていました。

しかもひな祭りの時、
母がいたずらをしました。

風呂から出てきたら、
藤娘の前に置いてあったあられとジュースが、
半分になっていたのです!

しかもガラスケースの扉が少し開いてるし!

もう私の恐怖は最高潮(>_<)

藤娘、大っ嫌いでした。

引っ越しを繰り返す間に、
さすがにどこかにいってしまいましたが、
そんな愛しくもなんともない人形、
貴方のお宅にもありませんか?

不要ならば、処分してもいいんですよ。(^^ゞ
 
ブログを書いているうちに、
ビルの角からお日様が顔をだしました(^^♪

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