故人の家を片づける | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

連休が終わって…、

今朝は筋肉痛(T_T)

おまけに腰も痛いです。

なんでかって?

それは清々しい秋の1日、
親戚の家の片づけに勤しんだから。

7月の暑い日、

天に帰った方の後片づけです。



築55年の家。

代々その地に暮らしてきた
兼業農家の田舎の大きな家に、
先代からのモノがいっぱい残っています。

「モノは捨ててはいけない」

「モノは大切にしなければいけない」

「欲しがりません、勝つまでは」

圧倒的なモノ不足の時代に、
“もったいない”を柱とした教育
受けてきた世代ですから、

要・不要を問うなんて、
考えたこともないのでしょう。

そういう時代、そういう社会通念、

それは仕方のないことで、
一概にダメだ!…と決めつけることはできません。

ただ後に残った膨大なモノは、

誰かが片づけなければ、

これからもそこに在り続けます。

使われることもなく、

愛でられることもなく、

埃をかぶって、忘れ去られ、

長い長い時を、ずっとそのまま。

そこに住まう残された家族も、

不要なモノを溜めこんだ家そのものも、

窒息しそうです。



1回目のお片づけは、

真夏の暑い日。

冷房の無い部屋で

汗をタラタラ滴らせながら、

大人4人で3時間。


ひたすらゴミを運びだしました。

ゴミ…。

私たちの目には、ゴミに見えましたが、

故人にとっては、
大切なモノだったかもしれません。

その証拠に、紙類は、

なにもかもがきちんとファイリングされ、

それこそ何十年分もが、

書棚や棚や箱に整然と納められていました。

あまり着る機会のなさそうなスーツも

立派な燕尾服を含め、いっぱいありました。

古くなってもう着ない衣類は、

風呂敷に包んで、しっかり保存。

そんな包みが、いくつも出てきました。

電化製品の箱は、

ダンボールがボロボロになっても、

捨てません。

新品のままの
引き出物や頂き物の山。



そうやって「手放さない」ことで、
家の中に、モノを詰め込んだ魔窟

生まれます。

いわゆる開かずの間です。

とりあえず、なんでも放り込んでおく空間で、
たまに扉を開けても、
見なかったこと、

なかったことにしちゃう部屋。

私も魔窟の存在は知っていましたが、
親戚とはいえ、人のお宅だし、

片づけを提案して気まずくなるのも嫌だし、
見て見ないふりをしていました。

でもそこで暮らしていた故人は、

息苦しさを感じていただろうと思います。

なんとなく重苦しいけれど、

まさかそれが、
死蔵されたモノのせいだとは気づかない…。

お年寄りの住まいの片づけは、

とてもデリケートな事案で、

様々な抵抗や困難に直面します。

それは分かっていたけれど、
まだそこで生活しているうちに、
なんとかしてあげればよかった…。

苦い後悔が残ります。


つづきます。

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