記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート -5ページ目

朝日新聞での紹介記事!

記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート

朝日新聞(山梨県/愛知県)に『だんらんにっぽん』の紹介記事が掲載されました。
下記に転載させて頂きます。


有縁社会の再生信じ 小池監督映画、25日封切り 山梨(02/23 00:48)

 山梨県出身の小池征人監督の記録映画「だんらんにっぽん――愛知・南医療生協の奇跡」が25日、東京で封切られる。医療生協を舞台に医療や福祉に奔走する人々の日常を切り取った。「人と人のつながりが社会をつむぐ」と説く監督が「無縁社会」の解決や東日本大震災の被災地復興につながると思いを込めた意欲作だ。
 11地域に40事業所、900以上の班組織。約6万5千人の組合員を擁する名古屋市の南医療生協が舞台。
 巨大組織では個人の尊厳よりも集団の論理が優先されがちだ。だが、この生協は「みんなちがってみんないい。ひとりひとりのいのち輝くまちづくり」を理念に掲げ、医療従事者や施設職員だけでなく、組合員ボランティアが入院患者や施設利用者の支援に加わる。
 そんな人々の笑顔や親切を垣間見た監督と武重邦夫プロデューサーが映画化を決意。二人三脚で制作した「いのちの作法」(2008年)、「葦牙(あしかび)」(09年)に続く「いのち三部作目」に位置づけ、中央市出身の一之瀬正史カメラマンを引き続き起用した。
 空き民家を改装したグループホームで暮らす認知症女性やスタッフ、緩和ケアで「(患者にとって)最後の飲み物になるかもしれない」と心を込めて飲み物を用意するボランティア、寝たきりの難病患者を複合映画館に連れ出す女性たちの表情を丁寧にとらえた。
 南医療生協は約5千人が犠牲になった1959年の伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けた地域の人々が「自分たちの命は自分たちで守らないといけない」と立ち上がり、61年に設立した。
 小池監督は「撮影を通じて、市民ひとりひとりの自主性やボランティア精神が組織を支える協働の底力を改めて感じた。『有縁社会』の再構築や地域再生のヒントが隠れているのではないかと思う」と話す。
 上映は25日から3月中旬まで、東京・中野のポレポレ東中野(03・3371・0088)で。午前10時20分、午後3時半からの1日2回。118分。前売り1300円、当日は一般1700円、学生1300円、中高生・シニア千円。ジャーナリストや参院議員、映画評論家を迎える小池監督のトークショーもある。(床並浩一)
     ◇
 こいけ・まさと 1944年、旧満州生まれ。敗戦後に大同村(現富士川町)に引き揚げた。巨摩高から中央大法学部へ。東大新聞研究所では社会学者日高六郎氏に師事。水俣病患者の記録映画監督で知られる土本典昭氏のもとで長く助監督を務めた。監督作に「水俣の甘夏」(84年)、「免田栄 獄中の生」(93年)、「白神の夢」(03年)など。【朝日新聞社】

ポレポレ東中野で上映始まる!

大変ご無沙汰してます。
まだまだ寒い日が続いておりますが、スギ花粉の飛翔と共に春の訪れを感じる今日この頃。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?


2月25日から四週間に渡るポレポレ東中野での上映が、ついにスタートしました! 初日の上映には、100名を超えるお客様にお越し頂き、大盛況でした。

まだまだ上映は始まったばかりですので、ご覧になっていない方は是非、ポレポレ東中野まで足をお運び下さい!

記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート

懸垂幕

劇場は東中野駅すぐ傍、だんらんにっぽん懸垂幕が目印です!

記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート

階段に並ぶ人たち

たくさんの方が見に来て下さいました!本当にありがとうございます!

記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート

上映中の人たち

初日の会場は、満席。みんなで映画を見るってやっぱり良いですよね。

記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート

トークショー

上映期間中の毎週土曜日と日曜日(土曜日、日曜日共に午前の回終了後)は、ゲストの方をお呼びして小池監督とのトークを開催してます!初日のゲストは、映画の中にも登場する岩城弘子さんでした。

封切前夜の悪夢

映画を作るのは楽しいが、プロデューサーとなると話は別だ。
企画段階ではバラ色の夢に酔えるが、資金調達で酔いは醒め果てる。
撮影では事故の心配で緊張を強いられ、完成の喜びは打ち上げの一瞬。
そして、上映の劇場が決まり封切りの前夜になると悪夢に襲われるのだ。

一昨日の夜(2月24日の夜)、僕は悪夢を回避しようと睡眠薬を飲んだ。
午前2時ごろ床に入ったが、心がけも睡眠薬も何の役にも立たなかった。
いつものように、確実に、悪魔は笛を吹きながらやって来たのだった。
なんと、封切りの初日、舞台挨拶の僕の前に観客はたった二人しかいない!
「こんな筈はない・・」マイクを握るがショックで声も出ないではないか。

「こんな筈ではない・・これは夢なのだ・・」
居たたまれなくなり、絶句してロビーに出るとスタッフの姿も消えている。
「みんな・・逃げたのか!」叫んだ途端に目が覚めた・・例の悪夢だった。
本当に嫌な夢だ。枕時計を見ると午前4時、汗びっしょりで気持ちが悪い。

以前、今村プロで今村監督と仕事をしていた時は、作ることが楽しかった。
配給や上映は東映や松竹がやってくれるので、良い作品つくりに専念できた。
21世紀になり、自主制作を始めてからは全てを自分たちでするしかない。
興業収入が悪ければ資金回収が出来ず、借金地獄の苦しみ待っている・・。
その時から、僕の封切り前夜の悪夢が始まった。

映画の独立プロダクションは殆どが零細企業体で、倒産件数も多い。
常に悪夢に脅かされ、倒産して家族離散は日常茶飯事。でも続ける者は多い。
その謎は不可解だが、映画制作には夢と自由があり麻薬のような魅力がある。
これはTV局の下請会社から来たプロデューサーの言葉だが、僕の場合は違う。

映画の製作費を集める方法は色々あり、大手の映画会社からだと下請けになる。
自らが幹事会社になり、幾つかの企業が出費する制作委員会方式もある。
以前は、投資会社が集めるファンドも在ったが、殆ど還元が無いと分かり撤退。
いずれも、良い作品を作る努力をするほど我が身が細り見合わないシステムだ。

僕は制作費の50%を自分で拠金する。ここで自己借金が派生するが仕方がない。
残る50%は、作品の賛同者に1万円位の小口の拠金をお願いして作品のDVD
を贈る。僕らは通常販売のDVDは作らないしTV局には売らないので、
賛同者向けの貴重な私家版DVDである。
それでも尚も製作費が不足すれば広告としての協賛金を集め、助成金を申請する。

自主制作の映画を上映できるのは、都市圏に残るわずかな名画座やミニシアター。
売り上げは折半で広告宣伝費は制作側の負担だから収入は僅かである。
これでは到底資金回収できないので、我々は全国のホールでの地域上映を行う。
しかし、地域上映を広げるためには、都市圏劇場での成功や評判がカギになる。
だから冒頭に書いたように、劇場封切の前夜、僕らは悪夢を見ることになる。

今まで悪夢が正夢になったことはない。初日はファンや関係者が来てくれるからだ。
今回の「だんらんにっぽん」も午前の第1回は満席だったが、これからは大変だ。
作品は良くても広報宣伝が乏しいと情報が広く伝わらない。そこが辛いところだが、
自主制作の場合は良さが浸透するまで長期戦で続けていくしかないのが現状である。

さて、僕が悪夢に脅かされ、借金を抱えてまで自主映画に拘るのは何故なのか。
他人、友人からも問われるが、大手制作会社やTV局の下請けになれば著作権も
興業販売権も相手に持っていかれる。これは資本の原理で仕方がないことだ。
「映画が実現しただけで幸せじゃないか」そう諭してくれる人も居るが、正しい
と思う反面僕には同調できないから悲しい。

僕は映画を作る以上、制作側が作品の本質を死守する主体になるべきと考える。
そのためには制作側が著作権や興業権を持ち、時間がかかろうが自ら上映をする。
制作費の回収が長期に及ぼうが犠牲を伴おうが、制作者は自立するしか未来はない。

日本の映画のスタッフはここ40年、安い給与で貧乏に我慢して生き続けてきた。
清貧に甘んじる人生も悪くはないが、女房や子供を犠牲にしては救いがない。
今こそ、僕ら映画のスタッフや関係者は必死に自問すべきときだ。知恵をだし状況
を変えて世界に繋げていく努力が求められているのではなかろうか。

70越えの悪夢は少々身体に堪えるので、そろそろ決別したいと思っている。
ホラー映画も良いが、ホラー人生はチットも楽しくないからである。




記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート

映画「だんらんにっぽん」のチラシ

記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート

ポレポレ東中野の初日。

記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート

小池監督と南医療生協の創立者・岩城医師を囲んで。

記録映画『だんらん にっぽん』フォトレポート

2008年、「いのちの作法」北上市での自主上映会。
1日2回上映で2500名の入場記録。