毎年十二月になると、
「今度の正月は何もしなくてもいい、おせちも出来合いでいいよ」
と夫が言いだす。その通りに済ませれば楽なものなのだが、そうもいかないと思うのは主婦の習性だろうか。出来合いも買うけれど、あれとあれだけは作らなくては、というものが幾つか頭をよぎる。
その中の一つに生酢がある。大根をよく研いだ包丁でサッサと切る、あの感触がいい。
大晦日の台所は朝から煮〆の匂いが立ち込めているが、そんな中でこれだけは生野菜の匂いを放つ。
千切りにした大根と人参を両手でギュッと絞り、ガラスの大鉢の中で三杯酢で和えるそこに一口大に切った干し柿とよく煎った胡麻を合わせると、新年の香りが一つ出来上がる。
育ち盛りの私たち兄妹がいた頃の実家のおせちを懐かしむのはこんな時である。
家中の大きなお鍋や蒸し器を総動員して、ガス台でも練炭火鉢でも一日中何かが煮立っていた。そんな中できびきびと働く母の姿を、真っ白い割烹着と晦日の内に整えた髪が際立たせていた。
忙しいながらもどこかいそいそと嬉しそうだったあの頃の母の気持ちが、今の私にはよく分かる。何もしなくていいと言われ、一度くらい楽をしてみようかなどと思いながらも、こうして買い物をし、下拵えをし、手間を掛けて料理するのは、やはりそれが嬉しいからなのだ。普段の食事の準備などとは違った胸ときめくものが、おせちの仕度にはあるのだから。
大きな鉢一杯に拵えた生酢はラップをしておき、食事の度に小ぶりの鉢に取り分けて出す。煮物や焼き物のしつこさの合間に、これは格別の味である。
1986年作