熱を出したのは何年振りのことだろう。

インフルエンザと診断されてから三日間ベッドで過ごしながら、わたしは遠い日を思い起こしていた

テレビを観る気力もない。蜂蜜とレモンを熱い湯で溶かしたものだけを日に二、三度胃に流し込み、それさえも吐き出しそうになりながら、もうろうとした頭の中をよぎるのは、子供の頃のことばかりだった。

 

「お腹が痛い」と言っては学校を休んだのは、小学校に上がった頃のことだ。今なら登校拒否児の烙印を押されていたかもしれない。「行ってきまあす」という姉の元気な声を聞きながら、さして痛くもないお腹をかばうように体を丸めて布団にもぐり込み、母が心配そうに様子を見に来るのを待ったものだ。

何も考えることがなく、一日一日が静かに流れていた、あの頃‥‥。今無性に懐かしい。

 

「一人暮らしは気楽でいいけど、熱を出したりすると大変よ。どんなに辛くてもとにかく一人で何でもやらなくちゃいけないんだから」

 わたしが親元を離れるとき、まず聞かされた言葉だ。

「平気よ。丈夫だけが取り柄なんだから」

と、軽く受け流していたが、実際こうして寝込んでみると、辛い。母のお粥が素直に恋しい。

 

それにしても昼間の住宅地の何と静かなこと。時折ちり紙交換の声がスピーカーを通して聞こえるくらいだ。

それが行ってしまうと、また静寂に戻る。広い道路から一歩入っているので、車の音さえ遠い。

夕刻になってやっと学校や職場から戻る人達の声や、自転車のブレーキの音が聞こえだす。

わたしも明日からはその一人になるのだ。ようやく熱も下がってきた。仕事が溜まっているだろう、いや溜まっていてほしい。

こんな退屈はもうごめんだ。

 

ご飯を柔らかめに炊いてみる。冷蔵庫から卵を取り出し、これも軟らかく煎りつける。薄味のみそ汁とで夕食を済ませる。

熱いお風呂に入り、熱をすっかり追い出した気分。

暖房を効かせた部屋で、三日分の新聞を繰る。明日の洋服を用意し、あとは眠るだけ。

しかし目が冴えていて、寝つかれそうもない。

 

そこへ電話。待ってましたとばかり受話器を取る。女性の上司から。

「明日は出ます」と簡単に応えるだけ。安心したようだが、「無理はしないで」と付け加えてくれる。

後ろで子供の声がした。わたしの知らなかった彼女の世界を覗いたような感じ、いいお母さんなのだろう。そっと受話器を置く。

 

このままベッドに入ってしまうのは惜しいようで、何となく次の電話を待つ気分になっている。

学生時代からの友達の、失恋したとか、いい男を見つけたとかいう電話がいい。今日ならゆっくり話を聞いてあげられるだろう。

 

また電話。今度はわざと三回鳴らしてから出る。

「・・・」 無言のいたずら電話だった。すぐ受話器を置くが、今日はそれほど腹が立たない。ほんの少し退屈を紛らわせてくれたのだから。わたしと同じように、時間を持て余している者がいるのだろう。

 

冷蔵庫から缶ビールを出すと、ヒーターをオフにし、室内灯を消した。カーテンを開ける。

向かい側の家の明かりが薄く見える。この時間が好きだ。

 

ベッドの上でビールを開ける。わたしの長い春の夜がこうして終わる。

 

 

1991年作