誰もいないので、ぼんやりとテレビを観ていたら、事故のニュースがあった。
大型ダンプが民家に突っ込んだ映像。こういうのを観ると、必ず思い出す。
小学校三年生の一学期。五年生の姉と一緒に、玄関の隣の和室に布団を敷いて寝ていた。
午後十時過ぎごろ。表の車道を走っていた大型ダンプ(当時は大きなトラックと言っていた)が、縁石を乗り越え石畳の歩道を越えて、我が家の門柱を倒し、玄関まで突っ込んできたのだ。
姉が起き上がって、「おいで!」と言うので、後について廊下に出た。玄関のほうを見ると、ダンプの先っぽが見え、玄関の吊り電灯が落ちるところだった。
廊下の床は埃やらガラスの破片やらでいっぱい。よく怪我をしなかったものだと思う。
奥の茶の間で、母が一人でいた。兄は下宿していたし、父は宴会のある日でまだ帰ってきていなかった。 とっさに何が起きたかわからないという母の顔を、今でも覚えている。
大きな会社のトラックだったので、壊されたところはきれいに直してくれた。が、
のちに大きな災害や事件が起こるたびに、PTSDという言葉が使われ、その意味が分かるようになった時、あの時の私のあれもそうだったのだと気づいた。
夜、眠れなくなったのだ。また何かがぶつかってきたらどうしよう、そんな恐怖心で。
奥の部屋で母と一緒に寝るようにしても、だめだった。
それで、母が担任と相談し、夏休みのラジオ体操に出なくていいから、朝ゆっくり寝なさいということになった。当時は夏休み中ラジオ体操があった。
夏休みになるころには、不眠はかなり解消されていたが、私は夏休み中朝寝を続けた。
姉は普通に眠り、学校に行き、夏休みのラジオ体操も出ていた。
姉とは大人になった今も、性格がかなり違う。
でも今は、O型でアバウトな私とB型で神経質な姉との違い。二人の人生、どこでどうなったんだか。