小学2年生のころ、滋賀県大津市に住んでいた。
2年生の担任は、若い男性で、教室のオルガンが全く弾けず、
ピアノを習っていたわたしが、音楽の時間に、唄の伴奏をしていた。
学級委員もしていたからなのか、ある日職員室に呼ばれ、
当時大津市で開かれていた「○○博」(○○は忘れた)の入場券があるから
一緒に行かないかと言われた。1人で来るのがいやなら、友達を誘っていいと
言われたので、近所に住む同じクラスの仲のよかった友達を誘った。
母親同士で相談して、わたしたちはリュックにお弁当と水筒を入れ、
遠足のような格好で行った。先生はスーツだったと記憶している。
昨今、いろんな事件をニュースで観ると、あの時1人で行っていたら、
危険だったかもなんて考えてしまう。先生にしてみれば、
日頃世話になっているからというところだったのだろうけれど。
当時、4年生の姉のクラスも男性の教師で、母はそのクラスで役員をしていた。
わたしたちはその年の夏に父親の転勤で徳島へ引っ越した。
次の年の夏休み、日教組の大会のようなものが徳島であり、
その二人も来られた。そしてなんと、2人で我が家に来られたのだ。
当時の父は日教組が嫌いだったが、個人的にはそういう人たちと話すのが
好きだったので、2人はビールを飲みながら、父や母と話をされた。
お土産に大きなスイカを持ってこられ、姉と2人で縁側で食べた。
あんなこと、今では信じられないだろうと思う。
PTAと学校と教育委員会。ニュースで何かあるたびに、わたしは現代の
その三者の関係が、ざらざらと砂にまみれているように感じてしまう。
PTA、昔日の感といった話である。