6月16日(日)、世は「父の日」。


娘から花をいただきました。ありがとう。


「父親」らしいことは、何もしていませんが、それが何なのか、


考えるきっかけを作ってくれているのかも知れません。



dankeのブログ-父の日20130616

6月6日、福島駅前・AOZで、「第39回ふくしま復興支援フォーラム」を開催しました。


報告者は天野和彦さん(福島大学・うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授)。


テーマは、「おだがいさまセンターは、どこに向かって進もうとしているのかー被災者支援のいいま」


関心が高く、40名を超える参加者で、活発な質疑応答もなされました。



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挽歌、海に流れて/思潮社
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大学(法学部)時代の友人、斎藤紘二君から詩集『挽歌、海に流れて』(思潮社)をいただいた。

東日本大震災、原子力発電所事故から二年、原爆や戦禍に真向った詩人である斎藤君が、再生と希望の祈りをのせ、失われた多くの言葉でうたいあげる。女川湾で詠う「三陸慟哭」を読んで、本の御礼と感想を送信した。

斎藤君から、早速、メールをいただいた。

<お送りした「挽歌、海に流れて」について、早速丁重なご感想をいただきありがとうございました。実は「三陸慟哭」は津波で身内の方を失ったという、女川出身のあなたのことを思い浮かべながら書いた作品です。心に留めていただきうれしく思います。>と。

震災後、特に直接話し合うこともなかったのですが、本当に有難い気持ちで一杯です。

以下に、「三陸慟哭」を転載します。

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三陸慟哭

女川湾 水平線ぼんやりと空に溶け

海鳥たちの羽 せわしなく波を打ち

漁船の音は湾と小乗の森にひびく

見渡してももはや

陸にマリンパル女川なく

海にふたつの灯台はない

ただ氷雨が静かに降りしきる

(灯台はいったいどこに行ったのだろう)

眼前に広がる雑草の原は失った街の亡骸

涙なしに眺めることのできない景色が

遥か海辺へとつづいている

鳥たちが啼いているだけで

冬の海辺に人はいない

だが わたしには見える

泣き叫ぶ間もなく失われた人びとの

濡れた着衣のままの姿が

幻視というのであろうか

あれから九ヶ月たって年の瀬を迎えても

もはや生きているはずのない人びとが見えるのだ

(三陸海岸の都市と集落に残る津波の伝承に

新しい喪失の物語が加わる)

高台にたたずんでじっと海を見つめつづけると

かつて白灯台のあったあたりの水面で

光っては消えるものがある

何百何千もの魚の鱗が

灯台の代わりに光っているようにも見える

けれどもそれは

湾に沈んだ死者たちの魂の明滅

冥府からやってきて生者に追憶をねがう

いのちのはかない瞬きかもしれない

あるいはそれら死者たちの

氷雨にまじる慟哭の涙かもしれないのだ

それにしても・・・・・・

あの海辺の幻影が

鱗のように光る水紋に没するとき

灯台は墓標となって海底に立つか

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3月9日(土)11時からと13時から、「ふくしまの海産物」、復興イベントに参加してきました。

福島県農業水産部の企画ですが、漁協の幹部も来て、説明してくれました。

場所は、コープふくしま・方木田店




dankeのブログ-130309-1

 生産者が、その安全性確認のために努力していますが、生協は、消費者の食の安全のために

努力しています。

 ふくしまの農産物の企画は、回数を重ねていますが、海産物は初めて。

 コープふくしまの理事長として、挨拶をさせていただきました。



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 亡き姉の写真を探していたら、


従姉が見つけて送ってくれました。


 叔母の法要の時らしいですが、


歳はとっても、幼きときからの面影を


髣髴とさせています。


添えられた句:


    「寒の陽に


       笑顔 幼き


           いとこかな」


   
         dankeのブログ-従姉妹同士20130301