6月6日、福島駅前・AOZで、「第39回ふくしま復興支援フォーラム」を開催しました。
報告者は天野和彦さん(福島大学・うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授)。
テーマは、「おだがいさまセンターは、どこに向かって進もうとしているのかー被災者支援のいいま」
関心が高く、40名を超える参加者で、活発な質疑応答もなされました。
- 挽歌、海に流れて/思潮社
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大学(法学部)時代の友人、斎藤紘二君から詩集『挽歌、海に流れて』(思潮社)をいただいた。
東日本大震災、原子力発電所事故から二年、原爆や戦禍に真向った詩人である斎藤君が、再生と希望の祈りをのせ、失われた多くの言葉でうたいあげる。女川湾で詠う「三陸慟哭」を読んで、本の御礼と感想を送信した。
斎藤君から、早速、メールをいただいた。
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<お送りした「挽歌、海に流れて」について、早速丁重なご感想をいただきありがとうございました。実は「三陸慟哭」は津波で身内の方を失ったという、女川出身のあなたのことを思い浮かべながら書いた作品です。心に留めていただきうれしく思います。>と。
・
震災後、特に直接話し合うこともなかったのですが、本当に有難い気持ちで一杯です。
以下に、「三陸慟哭」を転載します。
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三陸慟哭
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女川湾 水平線ぼんやりと空に溶け
海鳥たちの羽 せわしなく波を打ち
漁船の音は湾と小乗の森にひびく
見渡してももはや
陸にマリンパル女川なく
海にふたつの灯台はない
ただ氷雨が静かに降りしきる
(灯台はいったいどこに行ったのだろう)
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眼前に広がる雑草の原は失った街の亡骸
涙なしに眺めることのできない景色が
遥か海辺へとつづいている
鳥たちが啼いているだけで
冬の海辺に人はいない
・
だが わたしには見える
泣き叫ぶ間もなく失われた人びとの
濡れた着衣のままの姿が
幻視というのであろうか
あれから九ヶ月たって年の瀬を迎えても
もはや生きているはずのない人びとが見えるのだ
・
(三陸海岸の都市と集落に残る津波の伝承に
新しい喪失の物語が加わる)
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高台にたたずんでじっと海を見つめつづけると
かつて白灯台のあったあたりの水面で
光っては消えるものがある
何百何千もの魚の鱗が
灯台の代わりに光っているようにも見える
けれどもそれは
湾に沈んだ死者たちの魂の明滅
冥府からやってきて生者に追憶をねがう
いのちのはかない瞬きかもしれない
あるいはそれら死者たちの
氷雨にまじる慟哭の涙かもしれないのだ
それにしても・・・・・・
・
あの海辺の幻影が
鱗のように光る水紋に没するとき
灯台は墓標となって海底に立つか
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3月9日(土)11時からと13時から、「ふくしまの海産物」、復興イベントに参加してきました。
福島県農業水産部の企画ですが、漁協の幹部も来て、説明してくれました。
場所は、コープふくしま・方木田店
生産者が、その安全性確認のために努力していますが、生協は、消費者の食の安全のために
努力しています。
ふくしまの農産物の企画は、回数を重ねていますが、海産物は初めて。
コープふくしまの理事長として、挨拶をさせていただきました。
亡き姉の写真を探していたら、
従姉が見つけて送ってくれました。
叔母の法要の時らしいですが、
歳はとっても、幼きときからの面影を
髣髴とさせています。
添えられた句:
「寒の陽に
笑顔 幼き
いとこかな」





