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フォトリーディング読書感想文

フォトリーディングで毎日2冊以上の本を読み、毎日1冊以上の書評ブログを書きます。  「読む読書」⇒「アウトプットする読書」 さまざまなジャンルの本を読み、ポイントを押さえわかりやすくお伝えします。

となりの車線はなぜスイスイ進むのか?――交通の科学/トム ヴァンダービルト

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体重数十キロの人間が二トン近い鉄の塊を乗り回し、
出発地と目的地に必ず駐車場が必要で、
ほとんどの時間は使われていないなどという無茶が、
なぜ成り立つのか?



道路の90%は90%以上の時間は空いている。
多くの混んでいる通りは、一日のうちわずかな数時間しか混んでいない。

車交通は複雑で、矛盾している。



「道路は社会の縮図なのか、それとも独自の法則をもっているのか?」

「どうして路上で今のような振舞いをするのか、それは何を現しているのだろう?」

「男女間で、運転方法が違うのだろうか?」

「もし昔よりドライバーのマナーが失われているという俗説が正しいのなら、それはなぜか?」

「温厚な人を大胆な行動に駆り立てる得体の知れないものは、車や交通の問題なのか、それとも人は誰しも、心の奥底に獣を飼っているのだろうか?」


目考えれば考えるほど、様々な疑問が生まれる。


「人はなぜ、原因もわからない渋滞にずっと我慢できるのか?」

「満車の駐車場では、空き待ちをしている人がいる人がいるときほど、嫌がらせをしてなかなか出ようとしないのは本当か、それともそう見えるだけか?」

「高速道路の相乗り専用車線は本当に交通渋滞解消に役立っているのか、それともかえってそれを激化させているのか?」

「大きなトラックほど実際に危険なのか?」

「どこで誰とどんな車に乗るかが、運転の仕方に影響するのか?」



禁止「交通問題」は交通というものが生まれたときからありました。

乗り物を手に入れたときから、社会は移動するときの意味を探り、新たな求めにどうにかして技術的、社会的に対応しようとしてきたのです。


走る人交通は、物理的、機械的であるのと同じほど、「感情的」でもあるのです。

交通問題は、「人間問題」なのです。


―――年代、階級、宗教、性別、政治的理念、ライフスタイル、精神安定度―――

こんなにも自由にあらゆる人々が相まみえる場所は他にはないのです。


本本書は、すべての章や段落にぎっしり言葉と考えが詰まっています。
交通のみならず、世の人が拘わるすべての原理や真理に迫る内容です。

1去年、読んだ本ですが、ここ数年間で読んだ本の中で、面白さNO,1の本です。


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●大半の事故は自宅のごく近くで起きている

なじみのある状況、たとえば自宅の近所まで戻ると、習慣的行動が支配的になる。
これは一方ではよいことだ。新たな情報をそっくり集める必要がなくなり、気をそらさずにすむからだ。
しかしもう一方では、周囲の状況の分析がおざなりになり、警戒心がゆるむことにもなる。
勝手はわかっているという実感は、弱みにもなるのだ。


●ドライバーは運転時間の80%から90%は前を見る

ドライバーは自分を追い抜いていく車の存在に、よく気がついているのだ。
運転中は、時間のわずか6%しかリアミラーを見ていない。
自分が抜いた車よりも、自分を抜いていく車の方をより意識しているのだ。


●ドライバーは自動車そのものと同一化している

現代人はサイボーグなのだ。乗り物が私たち自身なのである。
「ドライバーは進路に縄張り意識を持っている」
「誰かが目の前の車線に入ってきたら、邪魔をされたと感じる。肉体的に接触したわけでもないが、加減速を強いられたことでそんな意識が生まれる」。
そんな時、人は、「俺の前からどけ」と言う。
「俺と、車の前からどけ」とは言わないのだ。



●道路上はオンラインのチャットルームに偽名参加しているようのものだ

自分のアイデンティティを失い「ハンドルネーム」(道路上でのナンバープレートを同じだ)しか知らない相手に囲まれていると、日常のくびきから解放される。・・・・・
非合法行為でない限り、何でもやりたい放題だ。
何を言おうが、後でそのツケが回る訳ではない。・・・・
誰かを「炎上」させてから逃げることだって出来る。
人に中指を突き立ててから走り去るのと同じなのだ。


●交通事故の原因

一つ目は、人間の知覚・認識能力だ。
それは驚異的であるが、人間は必ずしも見たものを正しく解釈していない。
それ以上に、それを自覚しているとは限らない。
二番目は、私たちは運転ロボットではないということだ。
人間は、警戒レベルを一定水準に保っておけないのだ。
慣れて自信がつくと、人間の行動は変わる。
よそ見をしたり、携帯電話で話し始めたりするのだ。


●どうしてアリの群れは渋滞しないのか

人間は集団の目標に向かって進むのではなく、個々がそれぞれの目的に従って動いている。
アリはほぼ一定のスピードで動くが、人間は自分勝手にスピードを決め、それは速度制限に従っている場合も、従ってない場合もある。
そして何よりも、アリはアリとして働き、いつも隣人の存在を感じ取っている。
人間はお互いに距離を置くどころか、ドライバーと歩行者の立場に別れ、あたかも同じ種ではないかのように振舞う。



●駐車場の中の「限界のある合理性」

ドライバーは最高の駐車スペース(最も店舗の入り口に近いところ)を獲得してやろうといる目標を漠然と持って駐車場に入ってくる。
しかし、ひとたび個別の列に添って走り出すと、目標はその列でいちばんましなスペースに停めることへと変わる。


●交通渋滞問題の核心

私たちは「利己的な通勤者」なのです。
運転するときは、通常、みんなにとって最善のルートがあるか、またどんな時間にどこを通るかは考えない。
同じルートを通って他にあまり多くの人が通らなければよいがと願うのがせいぜいだ。


●交通安全策は危険

交通局、保護柱、路上表示、ガードレール、標識、信号などで標準化された世界は、いずれもその背後で起きている物事を覆い隠してしまう。
ドライバーは、交通世界の約束事によって歩行者に対する社会的責任から解放され、それに応じて非社会的な振舞いをするようになった。


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ほかの事はたいていはすごくシンプルで、ちょっと適応すればいいだけですが、交通の文化は簡単ではない。


交通はある場所の内なる世界を垣間見せてくれる「秘密の窓」です。

言語、服装、音楽と同じような「文化表現」なのです。


ダウン交通は人間であり、感情であり、文化であり、矛盾して、複雑で、しかし、深く、興味深いものです。


目次

プロローグ 私はなぜ高速上の工事区間でぎりぎりまで車線合流しなくなったのか?
第1章 どうしてとなりの車線の方がいつも速そうに見えるのか?
第2章 あなたが自分で思っているほどよいドライバーではない理由
第3章 路上で裏切る私たちの目と心
第4章 どうしてアリの群れは渋滞しないのか(そして人間はするのか)?
第5章 どうして女性は男性より渋滞を引き起こしやすいのか?
第6章 どうして道路を作れば作るほど交通量が増えるのか?
第7章 危険な道の方がかえって安全?
第8章 交通が語る世界、あるいはご当地運転
第9章 スーパーボウルの日曜日にビールを飲んでいるフレッドという名の離婚した医者とモンタナの田舎でピックアップ・トラックに乗るべきでないのはなぜか?
エピローグ ドライビング・レッスン